推しを産んだ話②

前回の続きです。
読んでいない方は、ぜひ①から読んでみてください。

前回の記事で、無事に心拍確認までできた太郎くん。
ちなみに、なぜ胎児が太郎と呼ばれているかというと、救急搬送された帰り道、まだ性別もわからない細胞に夫が何気なく「太郎くん」と呼びかけたのがきっかけです。

妊娠が発覚した後も仕事を続けながら過ごしていましたが、9週ごろから貧血のような、吐かないけど吐き気がすごい…そんな日が続きました。
最初は無理やり仕事に行っていましたが、段々と起きるのもしんどくなってきて、ここから安定期に入るまで3ヶ月ほど布団に寝たきりでした。
吐けないけどめちゃくちゃ気持ち悪くて、1日ウィダー1本で過ごすような日々が続きました。嘔吐恐怖症であることをこんなにも恨んだのは初めてかもしれません。

安定期に入りつわりが落ち着くまで5キロ痩せましたが、医者からつわりの時期は栄養なんて気にせず(もちろんアルコールなどはダメだけど)食べられるものを食べなさい、と言われていました。
食べられるものがないけど。

食べられなくても大丈夫とはいえ、まだ胎動を感じることはないですし毎日が不安でした。
つわりがひどくても栄養がいっているのか心配で、つわりが安定しても逆に流産…?と心配になり。
自分を安心させるために知識をつければつけるほど、もしかして、が増えるんですよね〜。

でもこの知識をつける、という行為はのちの出産時に自分を助ける行為になったのでやっておいてはよかったかな。

基本はウィダーを1日1本、調子がいい時はマックのポテトやラーメン。
そしてまたウィダー生活に逆戻りを繰り返しました。
2週間に1日ほどめちゃくちゃ調子がいい日が来るんです。
「これはつわり終了では!?」と調子に乗ると逆戻りするんですよね。
嵐の前の静けさだねっていつも言っていました。
食べたいから食べちゃうんです。学ばないから。

夫はありがたいことに家事全般ができるので、週末に全部お願いして毎日のご飯もお願いしていました。
朝から晩まで、夜勤の時は晩から朝まで働いて、帰ると屍のような嫁の介抱をして。嫌な顔せず、文句も言わず、自分用に買ってきたご飯を嫁に奪われても怒らず、よくできた夫です。
ありがたいですほんとに。産後もありがたいことだらけ。
それに関してはいずれ書きますね。

そんなこんなで安定期まで屍の如くつわりに耐えました。
ちょうどコロナウィルスが中国で流行り始めた時期で、ずぅーーーっとワイドショー見てました。
まさか日本で、いや世界でこんなに流行るとは思わず。ましてや、自分が産む頃に影響受けるとは思わず。
つわりで外出もできなかったので、感染の心配もそこまではしていませんでした。
唯一ちゃんと外出したといえば、都内で大流行する前に仲のいい従姉妹の結婚式があったのでその時に都内に出向いたくらいでしょうか?
10名弱いるいとこの中で年下組の私がお腹が大きいことが珍しいようでみんな寄ってたかってきました。
いとこの中でも結婚が早い方だったので、まるで珍しい物を見るかのように…笑

という感じで安定期を迎え(まあ安定期とは名ばかりで妊娠中安心できることなんて何もないんですけどね)、いざ職場にも復帰!お出かけもしちゃおうかな〜なんて思っていたんですが、コロナの影響で出勤回数が減り、お出かけにも行ける雰囲気ではなく。
せっかく体調が良くなったのにほぼ引きこもりでした。出かけると言えば週末に買いだめるくらい。
この買い溜めも、ペーパー類は売ってないしスーパー営業時間短縮してたりするしで満足にはできず。

お出かけはできない(=運動しない)、つわりは終わり食欲はある。
欲望に正直に生きた結果、つわり中より6キロ増量、妊娠前より1キロ強増量しちゃいました。
つわりで減った分を取り返したとはいえ、短期間の増量に医者に怒られました。
自業自得ですね。だって急激に戻しちゃったんですもの。
その日から慌てて運動しました。運動といっても歩くくらいなんですけど。
仕事終わりに手前の駅で降りて3駅分(※1駅間500mほど)歩きました。
休日もなるべく歩くように、ちょっと近所へのお買い物も遠回りしてみたり。

結果、増えた体重をなんとかキープしそれ以降医者に怒られることはなく。

ですが今度は別のトラブルが発生します。
「切迫早産」気味になってしまったのです。
夫には、妊娠中のトラブル全部経験するんじゃない?と言われました。
そんなことあるかいな。(これが後に言霊のようになったりならなかったり…)

つわり以降の妊婦検診で、お腹張ってるね、とは言われていたのですが、妊娠初心者の私、それが何なのかよくわかっていませんでした。
まあ、張ってる以外に何をやめろとか、やれとか言われていないから気にしなくてもいいのかな?と思い、特に気にしていませんでしたが本当はも少し安静にしていた方が良かったみたいです。

切迫早産が判明したのは、とある日の退勤後でした。
29週に入ったばかりの日曜日のことです。
その日はやけにおりものが水っぽく感じ、仕事中もお手洗いに行くたびに出血がないかなどは確認していたのですが、出血や腹痛、すごくお腹が張る感覚もなかったので、様子を見つつ仕事を定時までして自宅の最寄駅まで帰ってきました。

が、何だか職場にいるときより下着が濡れてる気がする。
漏らしたような感覚はないし…もしや高位破水しちゃった?
でも違って病院に行くのは恥ずかしいし、何より今日日曜でいつもの病院休診だし…
病院に行くかどうか迷い、夫に相談しながら家まで帰ろうと改札を出ました。
別に夫は医療従事者でもなんでもないけれど、「心配なら病院行ったら?何もなかったらそれはそれで安心じゃない?」と言ってくれたので病院へ連絡。
※休日や夜間等の緊急時用に、分娩予定の病院を予め受診はしていました※
電話口で看護師さんに、一応見てみましょうか、と言われ病院へ。

休日の夜で真っ暗の病院、しかもコロナの影響で患者本人以外は立ち入り禁止。
1人で薄暗い廊下で待たされ、内診と破水かの検査(リトマス紙のようなものでわかるらしい)をした結果は、水っぽいおりものが多かっただけですね。
…すいませんでした、休日に。
医者や看護師さんに謝るも、異常なくて良かったじゃない、まだ29週だし!
そう言ってもらえて良かったです、ごめんなさい、休日の夜に…
お礼を言って会計を待って帰ろうとすると、医者に呼び止められました。

「産休って、もう入りますか?」

産休までまだ1ヶ月ほどあったので、全然働いていた私。
そのことを伝えると、可能ならば即産休に入ってください、と。
なぜ?だって、破水じゃなかったし…

「切迫早産気味です。子宮頸管が25mmしかありません。」

あれ、数日前の検診で40mmあったんだけどな…

「この後帰宅したら安静にして、お手洗い以外は寝ていてください。
本当ならこのまま入院してほしいけど、自宅で安静にできるなら帰っても大丈夫です。」

なんか、すごく大ごとになってない?

安静にすることを誓い、今週中に通っている産婦人科から診断書などをもらって再度受診するように言われこの日は帰宅しました。

つわりが終わったと思ったら、今度は切迫早産かよ…
もう笑うしかなく、病院近くで時間を潰していた夫と合流しその日は帰宅。

翌日、いつも行っている産婦人科で書類を用意してもらい、本当は34週ごろ転院予定だったところを予定を早めて転院。
翌々日に再度分娩予定の病院へ受診しました。

「日曜日にそう言われたんだね〜今見た感じ、40mmくらいあるから良くなったのかもね。」

…はい?今なんて?
そんな数日安静にしてたくらいで治ります?

どうやら一過性のものだったようで。
※人それぞれです、あくまで私の場合です※

産休入ってって言われたんだっけ?別に大丈夫よ、働いて。
あのぉ…日曜に見てもらった医者には入院も考えてって…

まあ良くなったから良かったんですけど。
良かったけど、産休に入るのか〜と思って働く気力を何処かに放り投げていたので、また明日から働くのか、と思うと若干気が重い部分はありました。
でも産後のミルク代、おむつ代を稼ぐために翌日から元気に出勤しましたよ。

そんなこんなでコロナやら、自分の体調やらでトラブルが続き全く赤ちゃん用品を準備していなかったので、32週に入った休日にバタバタと車で3時間強の場所にある実家に帰り赤ちゃん用品の買い出しに。

里帰りする予定は一切なかったので、産前最後の顔見せのつもりで帰りました。

自分より半年ほど前に出産した親戚やその周辺の叔母たちに、絶対里帰りした方がいい、メンタルも病むし!うつみたいになるって!
複数名に説得されました。でも帰らなかったけどね。

理由としては3つ。
まず、実家が田舎すぎて一番近い分娩可能な病院まで車で1時間弱かかること。
ましてや山道。夏場ですし、台風などが来て途中の道が通れなくなれば車の中で出産もあり得なくはないのです。
さらに出産時万が一の事態が起きても、それに対処できる病院となるとさらに車で30分〜1時間ほど。最悪、死にます。
自分はどうであれ、赤ちゃんに何かあったときに後悔したくはなかったのです。

次に、親や兄弟がフルタイム(シフト制)で働いているということ。
里帰りしても、自分以外の家族がいない時間が普通にあり、夜勤もしているので夜1人になることも十分あり得るのです。
だったら、自宅にいた方が夫が産後1ヶ月はいてくれるので安心です。

最後はなってみないとわからないのですが、そこまで自分が産後だからメンタルを病むとは思えなかったのです。
というのも、まだ妊娠する前に短期間ブラックな会社に勤めていたことがあり、そのときにかなりメンタルを病んでいました。
もっというと、学生時代にこれ以上ないくらい病んで、それこそ毎日どうやったら楽になれるのか、どうやったら人生を終われるのか?まで考え不眠になったこともあったので、それ以上のことはないだろうと思っていたんです。
そして、夫はそのことを理解し対処法もわかってくれていたので、その人のもとにいた方がもし病んでしまっても安心だったんです。

という理由で里帰りはしませんでした。
後はあんまり親と仲良くないというか…
まあ普通といえば普通なんでしょうけど、私が親に頼るのが苦手なのでね。
その代わりということで、実母が産後1週間私の自宅にきて手伝ってくれることになりました。

現役の医療従事者、しかも元産科勤務が来てくれるのはありがたかったです。

さあ、赤ちゃんの服なども準備できて、その後は体調も異常なくいざ臨月!

しかし、このトラブル女。
そう簡単に出産までたどり着けるわけもなく…
臨月から出産、産後すぐについては長くなってしまうので続きます。

長々と読んでくださりありがとうございました。
良かったら次回も読んでいただけると幸いです!

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