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200センチメートルに誰もいない世界

prologue

これはもしもの話。

電車に乗るときも、映画を見るときも。

散歩する時も、ご飯を食べるときも。

みんな、200センチメートルの距離をとるようになって、

それが当たり前になったとしたら...。

First phase 困惑

エレベーターはいつも、一人ずつ。

並ぶにも200cmの距離を置くから、待つ人だけで会社の外まで並んでる。

買い物はいつも時間がかかる。

1人がドリンクコーナーにいると、みたくても近づけない。

別のところを見ようと思ったら、前と後ろの両方から挟まれることも。

ガソリンスタンドはいつも通り。

でも、車は一人専用になった。

家族がいても、別々の車で行かなきゃいけない。

電車は200cm離れながら座る。

子どもたちを見失わないかと気が気じゃない。

映画館は入場制限がかかる。

これまで300人収容していたステージでも、4席ずつ離れて座るから、50人しか入れなくなった。

その代わり、映画のチケットも6倍になった。きっと金持ちしか、行かないのだろう。

ランチのカフェは、いつも貸し切り状態。

時間をつぶしたいけど、その前に店がつぶれそうだ。

Second phase 適応

いつしか、一人でいることが当たり前になった

家族とは画面越しに、なるべく同じ時間で似たように過ごして

同じ食事を作ったり、買ったりして共有するようになった

テレビも別々だけど、同じものを見て

何となく習慣が合えば、結婚しているのとそうでないものの線引きはなくなった

二人でくっつくことはないし、デートも200㎝越しで

電話しながら歩くことが普通で

水族館も、別々のルートで、後で電話で共有するだけ

リアルタイムで過ごすことに価値はあったけど

同じものを見ることは本当に難しくなった

ほとんどのテーマパークやアミューズメントは規制されて

本当に好きな人くらいしか出入りしなくなった

花火大会は全国で一つになった

ああ、一つになるとそこに集中してしまうよね

だから、集中させたのは日にち

夏のある日、全国のどこからでも見える花火大会が開いた

電話しながら、同じ花火を探した

家には、人数分の出入り口と部屋が必要になった

一戸建ては使われなくなって、アパートを買う人が増えた

お母さんが作った料理は、時間になると玄関の前に置かれている

テレビで見た、どこかの刑務所みたいだ

外に出て家族で遊ぶときは、一人ずつでて、間隔を開けながら目的に向かう

たった5人でも、先頭と最後尾は10m離れるから、声なんて聞こえない

家族の伝言ゲームは、もう慣れた

Third phase 崩壊

ちらりほらりと、適応できずに接触した人たちが現れた

それをとがめる過激派もいて、反対に接触を推進する過激派も増えた

2分した世界に、もはや残された道は崩壊しかない

お互いの正義をぶつけ合うが、接触を反対する派は少し分が悪かった

なぜなら、200㎝に入れないことを知られていたからだ

反対派は煽る

むしろ200㎝を破ろうと、追い掛け回す

接触することが悪い世界なのに、追い回されているのは規律を守る側だった

200㎝の中に入られてしまった人は、残念ながら前科一犯となった

そして、規律を壊す側に回ることになった

接触を避けて構築された世界は、あっという間に崩れた

今度はウイルスではなく、人の手によって

epilogue

追いかけられて、200㎝の中に入られてしまった人たちは、

なぜだか、涙を流していた

笑顔になる人もいた

何年かぶりの接触

みんなこの世界を望んでいたみたいだ


こうして、200㎝に誰もいない世界は終わる

そして世界に、笑顔が戻る日が来る

といいな。

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