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第2回定期開催スペース「喫茶AKSK OTサークル」(ゲストスピーカー:よしだなおきさん)テーマ「作業療法の観察評価と分析のすゝめ」のまとめ記事

はじめに:

「作業は観察されなければみることができない」
という有名な言葉が作業療法にはありますが、模擬的ではなく実際に作業を実行することの重要性と、我々作業療法士が観察しなければ作業療法を展開できないということを表現した秀逸なフレーズだと思います。

今回は2023年5月14日に実施した第2回定期開催スペースのまとめ記事になります。テーマは「作業療法の観察評価と分析のすゝめ」です。ゲストスピーカーはhttps://twitter.com/@OtNaoki よしだなおきさん です。

また、今回はスペースで話した後に、もう少し詳しくお話を伺いたくなり、何回かやりとりを行い、一部の文章は実際にスペースでお話しいただいた方々からも執筆していただきましたので、それをもとに編集しております。この場で改めてお礼を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。

観察評価はなぜ大事なのか?

 クライエントの作業を支援する際、まずその作業をどのように遂行しているか?を捉える必要があります。作業遂行には「人」「環境」「作業」という要因が相互に影響し合い実行されます。

(人-環境-作業モデル)
https://www.researchgate.net/publication/273200360_The_Person-Environment-Occupation_Model_A_Transactive_Approach_to_Occupational_Performance

つまり、机上での検査やインタビューのみで作業遂行を判断することはできません。なので作業を専門に取り扱う我々、作業療法士はクライエントが実際に作業を行っている場面を観察という方法で評価を実施する必要があるということになるわけです。

この「実際にみる」技術というのは作業療法士が強みとしている部分の1つであるように感じます。

観察評価の種類について

観察評価には構成的評価と非構成的評価があります。構成的評価は手順が決まっており、結果を客観的に数値化し、比較や他者共有を行うことができます。そのかわりに、できる対象や場面が限られるというデメリットもあります。作業療法の技能をみる観察評価として有名なものにThe Assessment of Motor and. Process Skills:AMPSがあります。

一方、非構成的評価は手順が決まっていないため、対象者や場面を気にせずに質的分析を通して柔軟に実施できます。作業療法はクライエントの個別性が高いリハビリテーションです。構成的評価では対応できないケースにも遭遇します。そのような時、非構成的評価による個別性の高い観察評価はクライエントの作業を捉えることができます。注意点として、非構成的評価は評価者の基準に基づき行われるため、観察されている事象に対し、評価者は裏付けとなる理論や知識を有していることが前提として必要です。それにより少しでもバイアスを排除し、事象を整理、分析することの一助になると考えることができます。


要するに、観察評価に限らずですが構成的評価と非構成的評価は相互に補完し合うものだと思われます。


非構成的評価はクライエントに合わせて非常に自由度が高い側面を持つ一方、構成的評価を参考にクライエントの個別性に合わせたものにアレンジして使うような場面もあります。例えば、本来、AMPSは実施できる作業名がある程度決められていますが、AMPSの作業名にない調理場面の評価の際でも、AMPSの評価を参考に、事前に道具の使い方を確認したり、器具や材料の位置は伝えた上で開始して、AMPSの観察項目を参考に評価していくという使い方は実践でよく使われています(当然logits値は算出できません)。また、AMPSの実際の評価のように完全にヒントを与えないという方法ではなく、クライエントの特性に合わせて、エラーが起きる前に声掛けをして遂行してもらう、というように用いれば失敗による動機づけ低下のリスクを避けるように活用することも可能になります。

非構成的評価を一人のクライエントに完全にオーダーメイドでゼロから考えて使用するのは熟達した技術が必要になりますが、このように既存の構成的評価を取り入れることで、みる視点を絞りつつ、柔軟に変化できる観察評価を実施可能にすると考えられます。

コミュニケートの質に関する観察評価

スペースは中盤からリスナーであるhttps://twitter.com/@abyss778 萩 槙生さんのSTらしい視点からのコメントに着目し深堀りしていきました(鍵付きアカウントのため文章で引用させていただきました。また、内容は萩さんに回答してもらっているものをベースに編集しております)。

萩さん:①失語症に関しては、失語症状は見れていても、コミュニケーション(あるいは交流技能など)は物足りない印象はあります。

そもそも「言語聴覚」士という名称なのにコミュニケートの質がなぜ「観察」されていないか。これはSTの勤務実態に理由があるのではないかと邪推しているとのことです。
まず、ST人口は大きく小児分野と成人分野に二分されます。その中で、さらに嚥下、聴覚、発声・構音、高次脳(小児であれば発達障害)に四分されます。この中で最も総合的にコミュニケーションを診れていると感じるのは小児の嚥下以外を専門としている人たちになりますが、この領域に携わるSTはそもそも人口としては少ないです。現在圧倒的に多いのは成人における嚥下で、そちらに興味を持ってSTを目指す人もいるくらい目立った存在感になっています。また、医療現場においてはSTと言えば第一に「嚥下」というイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。

つまり、「言語聴覚」士なのに「嚥下」の専門家になっているという現状があるということですね。

さらに、STでありながら失語含む高次脳に苦手意識を持っているSTも一定数いて、そういった方々はそもそもコミュニケーションに興味はあれど、突き詰め切れない現状があるようです。また、成人領域にいるからと言語発達の知識をあまり意識できていないSTが多い現状も(肌感覚ですが)あるようです。
加えて、ST学生の多くは聴覚、聴覚心理、言語学といった科目でつまずく方や、国試の出題割合が少ないために、いわゆる捨て問としていくらかの科目を蔑ろにする学生がいます。その他、養成校教育で非言語コミュニケーションについて学ぶ機会がとても少ないことから、臨床でそもそもその視点を言語コミュニケーションと結びつけるタイミングが得られないみたいな背景もあるかもしれません。

このような内情・実態を抱えるSTですが、コミュニケーションの質を捉える評価法はいくつか存在するようです。

・The Pragmatic Rating Scale(PRS)
語用論的コミュニケーション(いわゆる、コミュニケーション作法)の観察式評定尺度の一種であり、後天性脳損傷によって生じる認知コミュニケーション障害(cognitive communication disorder:CCD)を評価する目的で作成されたものです。
内容は、周言語的コミュニケーション、命題的コミュニケーション、コミュニケーション相互作用の3領域16項目から観察評価を行うもので、4つの場面を想定し、観察時間内においてそれらの項目がどの程度適切な時間割合で運用されたかを採点します。日本語版で比較的検証がなされているもので、現状最も実用性の高いものではないかと思われます。

・The Conversational Skills Rating Scale(CSRS)
CSRSは元は教育分野において、生徒などの対人コミュニケーション技能を評価する目的で開発されました。内容は、言語的行動と非言語的行動の両方を組み合わせた25項目を評価します。こちらはネットからマニュアルが入手可能なので、詳細なスコアリングも可能ですが、日本語版の作成・検証はされていません。

・Discourse Analysis Rating Scales(DARS)
DARSはThe Right Hemisphere Language Battery Second Editionという右半球損傷における言語評価バッテリーの下位検査として収録されたものです。内容は、基本評価と補助評価の2領域15項目から構成され、やはり観察場面から採点を行います。こちらは、論文にて翻訳を行ったことのみの記載のため、作成者に問い合わせて入手するしか現状ないかと思います。

また作業療法の評価にもコミュニケートの質に関わる評価として有名なものを挙げるとすればこちらでしょう。

・Assessment of Communication and Interaction Skills(ACIS)
人間作業モデルに基づき開発されたコミュニケーションと交流技能に関する観察評価です。身体性、情報の交換、関係という3つの領域で評価をするのですが、ACISの特筆すべき点はコミュニケーションや交流を観察する上で、身体をどう上手く使えているかという「身体性」と、相手との関係性をどのように調整しようとしているかという「関係」の領域を測定できる点でしょう。このような項目は他のコミュニケートの評価にはない視点です。

・Evaluation of Social Interaction(ESI)
人間作業モデルに基づき開発された社会交流技能に関する観察評価です。ACISと比べると「社会交流技能」という概念の方がやや広い意味合いがあるのか、一部の項目はACISよりも視点が細かい部分をみているな、と感じます。またAMPS同様にライセンス制になっており、観察結果を臨床的に意義のある数値に変換できる点は利点ですが、講習を受けなければ使用できません。

自由会話という評価(及び介入)について

萩さん:②STは自由会話という専門用語でも何でもないものに逃げやすい。自由会話を使ってはいけいないということはないけれど、そこから何かを導き出していることを明示できていないことが問題。

STの評価及び介入には「自由会話」というものがあります。会話をしながら評価・・・つまり観察評価し、そして同時に介入も行うという技術です。これについて少し触れていきます。

①「自由会話に逃げやすい」のはなぜか?
これは「自由」というだけあって、freedomに何をしていても、意思疎通しようとしていれば「自由会話」の体を成せてしまうという点があります。
STはその名の通りLanguage(言語)の障害を扱うため、失語症者や聴覚障害者、構音障害者といったあらゆるコミュニケーションに障害のある方々の特性や、それらに応じた技法、視点を養成校で学んでいます。いわゆる、他職種がおよそ学んでこなかったであろう相手の意図を汲み取って、こちらの意思を相手に伝えやすくする知識を持っています。そんなSTが「自由会話」という用語を使えば、その手の専門家である以上、何か特別なことをしている感が出せてしまいます。ですが、実際には「自由会話(と言われるもの)」という概念はST同士でさえ共通認識が曖昧であるにも関わらず、あたかも共通認識が為されていて、満場一致の適切な手続きが行われているかのようにお手軽に使われているという現状を抱えています。そういった曖昧な要素を持つ言葉に「逃げてしまってはいないか?」と考えるわけです。

②より良い「自由会話」のあり方を考えてみる
実は養成校でSTは談話分析や会話分析、面接の技法といったことは学ばないことが多いです(もしかしたら教えている養成校もあるかもしれません)。
また、会話の質といったものについて定量化する手段も特には習いません。「自由会話(と言われるもの)」は自己と対象者における2者間のみの事象で会話の質を完結させるようなものではなく、本来は評価と訓練の要素を含んでおり、そうある以上は、効果検証されるためのアウトカムが設定される必要があります。そのためには、「自由」であることを止めて、ある程度の制約(あるいは枠組み)を設ける必要があると考えます。
それを明確にするために、談話分析や会話分析、非構造化面接、半構造化面接、スモールトーク、場面設定会話練習など、そういった用語に置き換え、目的を明確にすることで、実態がよく分からなくなってしまっている「自由会話(と言われるもの)」の実用性を上げることができますし、自ずとアウトカムの運用も可能になってくるのではないかと思います。

一番大切なことは、STが「自由会話(と言われるもの)」の中で何を診て、何を工夫し、どのように対象者との意思疎通をより円滑に進めているかを、周囲の人々にも分かってもらえる状況を作っていくことだと考えます。

番外編:観察評価と卒後教育

こちらはスペースの内容でもなんでもなく、赤坂の個人的意見になりますが、僕が若手の作業療法士に「なぜ観察評価ができるようになってもらいたいか」を卒後教育の視点と絡めて述べます。

回復期という領域には学生を卒業し、初めて社会に出る作業療法士が多く集まります。学業と社会の大きな違いとしてよく言われているのが、「答えのある問題」を解くことから「答えのない問題」を解決することへの変移です。学生の時にはテストで良い点を取ることを求められてきたのに、社会に出ると点数のない問題ばかりに直面します。そういった大きな変化に、新社会人は思わず答えのあるものにすがりたくなります。それは自然なことだと思いますし、新人作業療法士でも同じだと思います。
「答え」とは分かりやすいものです。障害を特定したり、異常を測定するような評価。つまり疾患種別に応じた検査・測定です。前提として述べますが、信頼性・妥当性の高い尺度を用いた検査・測定を行うことは非常に推奨される行為です。ガイドラインにも推奨されています。ですが、僕は臨床現場で若手の作業療法士の方々をみていていつも思うのですが、一部の作業療法士はそういった分かりやすい「答え」に「逃げるように」単位を使ってしまい、クライエントとコミュニケーションを取ることや作業に焦点を合わせることを(無意識的なのか)避けているように(肌感覚ですが)思います。コミュニケートの項で萩さんが述べた、「STが自由会話に逃げている」という感覚に近いものだと思います。

また、臨床現場に出たばかりの若手の作業療法士の多くが身に着けたいと思っていることの多くは「即時的に効果が出る技術」だと思われます。例えば、徒手療法、触診、移乗の工夫、福祉用具の上手な使い方など、そういった技術は実に使用できる場面が多く、クライエントとの信頼関係を高める要因にもなり得ます。僕自身も、今でも介入の選択肢としてこういった技術は活用します。ですが、忘れてほしくないことは、それはどこまでいっても「手段」、「選択肢」であって本来の目的ではないということです。作業療法士の目的は、作業に焦点を当てた実践によって健康と幸福を支援することであって、クライエント受けの良い技術で相手を惹きつけることではありません。あまり深く考えなくても(時間が掛かるために)単位が取れる行為や、小手先の技術に偏執するのではなく、自分が支援すべき作業を特定し、それを目標として共有できる関係性を作り、観察・分析を行い、介入・支援するというトップダウンリーズニングの思考を常に頭に入れておいて、必要に応じて取り出して実行できるということが重要になると思います(現実的に現場でトップダウンアプローチができるかどうかとは別ですが)。結論として、個人的には観察評価の質というのは、そういった作業療法士の介入プランが作業を中心に添えているものなのかどうか、をある程度判別できる位置づけにあるものだと考えています。

最後に:

今回は思い入れのあるテーマだったのと、関わって下さる方々の熱量も凄まじく、長い書き物になってしまいました。
今後も作業療法士の卒後教育に関わるテーマでスペース企画を続けていきますので、気軽にコメント、直接お話できれば嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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