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放送の進化を導いてきたNHK文研フォーラムが放送へと退化してしまった

※トップの画像は配信終了後の画面を勝手にキャプチャーしています

NHKには知人友人も多く、放送局の中でもとくに私の情報発信に注目してくれる人が多かったりもする。だから今から書くことは公開するのが忍びないのだが、だからこその愛の鞭と思ってNHKの皆さんは受け止めて欲しい。ただ言っておくと、なぜあえて書くかといえばシンプルに腹が立っているからなのだが。

NHK文研フォーラムには感謝してきた

NHKには放送文化研究所という研究機関がある。放送技術研究所というのもあり、そっちは理系。日本の放送の最新技術を生んできた。放送文化研究所は言わば文系の研究機関で「文研」と略して放送関係者は慣れ親しんでいる。

放送局が持つ文系の研究所にはTBSメディア総合研究所もあるが、さすがに公共放送たるNHK文研は人数も多く充実している。放送業界全体のため、ひいいては国民のために放送についてかなりまじめにじっくり研究している。

私もメディアコンサルタントという怪しい肩書きで活動するようになってずいぶんお世話になった。とくに毎年3月に開催される「NHK文研フォーラム」はプログラムが公開されるとさっそく申し込み、毎年会場になる紀尾井町の千代田放送会館に三日間の期間中通っていた。

ブログにもそこで得たことを何度も書いている。→ブログ「クリエイティブビジネス論」の文研フォーラム関係の記事

一年おいて久々に配信形式で開催したのだが

去年は運悪く、3月初旬の開催がちょうど深刻化したコロナ禍で中止になった。放送業界で残念に思った人は多かったろう。放送研究の毎年の「節目」の場を失ったのだ。次の階に登る踊り場が消え失せてしまったようなもの。

一年待って今年は開催、ただし当然配信によるものだ。それは仕方ない。だが逆に、文研フォーラムがどんな配信をするのかも楽しみにしていた。

第一日目の昨日、3月3日のあるプログラムにあらかじめ申し込んであった。前もって届いたURLで配信を視聴した。

ちょっと「ん?」と感じた。ライブ配信のはずが、これはあらかじめ収録したものだ。イメージしていたのは、いつもの大きな会場ではなく会議室に発表者が座って発表するのを、さすがに放送局なので数台のカメラで撮影しライブ配信する様だったのだが、ライブじゃなくね?調査内容の発表を、原稿を研究員だかアナウンサーだかが読んでいるが事前の収録だ。2人の研究員が調査結果の感想を語り合う、その様子をあらかじめ収録して編集した映像を配信している。いや、ライブ配信の意味わかってる?

丁寧と言えば丁寧だけど、これはシンポジウムのライブ配信ではない。中途半端に制作した番組を放送しているようなものだ。エキサイティングじゃない。

アーカイブ化せずリアルタイム視聴しかできない!

それでもまあ、じっくり見ていたのだがふと見ると重要メールが!ウェビナー聴講の欠点がここだ。仕事するPCで聴講するので、どうしても業務連絡が目に入る。どうしてもデュアルモニターでいろいろ見える状態で見るので、どうしてもメールが来たら読んでしまう。重要メールだとどうしても即返信してしまう。

これが会場で聴講するとスマホでメールを見てしまってもその場でジタバタしづらいので聴講を優先する。ところがウェビナーだと仕事部屋にいるのでどうしても身体が仕事してしまう。

気がつくと、コアな部分をちゃんと見ていなかった。でもウェビナーのいいところは、多くの場合アーカイブで見直すことができる点だ。すぐに見られることもあるし、少し時間が必要なこともある。まあNHKならすぐ見られるだろう。だってNHKプラスやってるんだから。同時配信ばかり強調されるが、NHKプラスは同時でもオンデマンドでも見られるのが断然ベンリだ。放送で民放に先んじてやってることは、フォーラムでも当然やるよね。

プログラムが終わってしまったので、アナウンスを待った。「アーカイブでご覧になる方は、かくかくしかじか」とあるんだろう。・・・だが、しかし、けれども・・・何も言わない。

視聴URLの案内メールを確認したら、ちゃんと書いてあった。「見逃し配信」の予定はございません。だってさ。ええーーー?なんだよそれ。画面写真も撮れないし録音も禁止。それはいいとして、アーカイブなしかよ、なんて不親切な!それでも公共放送か?

ウェビナーでみんなが学んだことをNHKはわかっていない

ははーん、となんとなくわかった。この人たち、シンポジウムを「放送」にしちゃったんだ。

この一年、何を見て何を学んできたのだろう。

コロナ禍で様々なシンポジウムやセミナーをやってきた人たちは、当初戸惑い、すぐにZoomを発見し、その使い方を究めて到達したのは「セミナーの進化」だった。リアルに集まるライブイベントを、通信を通してのウェビナーにトランスフォームさせて、リアルにはない利点の数々を得たのだ。

私も去年の2月に100人が福岡に集まる「地域とテレビの未来を考えるシンポジウム」をコロナ禍が本格化する直前に開催できたが、その後はリアルで続けられない代わりに、Zoomの人数多めのアカウントにお金を払って使い倒してきた。全国から気軽に参加してもらえて、コストもずっと安くすみ、チャット機能で気軽に質問を受けられる。「かえっていいこと」がいっぱいあった。

そしてだからこそライブ性も重要だと感じた。正直、テクニカルな失敗も何度もしている。だがいまそこで対話していることを、リアルタイムで共有してもらえて、質問もライブで受けてライブに応える。設備が立派かどうかではなく、緊張もし愉快でもあるライブなコミュニケーションこそ、セミナーの進化系なのだと感じ、面白がれている。

そして当然の感覚として、アーカイブを残して共有する。有料で開催するので当日不測の事態で参加できなかった人へのサービスでもある。だがそれ以上に、参加した方に何度でも味わってもらいたいからアーカイブするのだ。せっかく来てくれたあのパネリストがあの瞬間にぽろりと言ったむちゃくちゃ響いたコメントを、何度も聞いてもらいたい。あまり大声では言わないが、なんなら参加しなかった同僚に見せてもらってもいいと思っている。「昨日の境のウェビナーでね、〇〇さんがこんなこと言ってて刺激になったよ」とそれこそ共有してもらえるとうれしい。「共有」はウェビナーの価値であり醍醐味だと思う。

私はウェビナーをヒマナイヌスタジオをわざわざ借りて行う。コストはリーズナブルなのだが、それでも収益を考えたら自宅からやったほうがいい。なのにヒマナイヌを借りるのは、その設計思想が気に入っているからだ。有料なのだからクオリティが高い方がいい。ヒマナイヌのクオリティは簡易な設備でここまでやれる、という発想がいいのだ。

0302ウェビナー

※3月2日に筆者が企画し開催したヒマナイヌスタジオでのウェビナー風景

逆に言うとセミナーの配信に大袈裟なプロ用スタジオはむしろ使わない方がいいと考えている。巨大な送信設備から国の電波を送信する「放送」なら立派な機材と立派なスタジオが必須だろう。だがセミナーを進化させるからこそ、大袈裟な設備じゃない方がいいのだ。それより何より、大事なのはライブ感とメッセージなのだから。手作り感覚の方がいい。何かやってきたことの成果をパワポにまとめてきちんと喋ってもらうのがベースなのは間違いないが、ウェビナーで重要なのは、発表者のソウルだ。こんな思いで、こんな理念で、これやりました。熱い思いがライブでこぼれ出る。それが何より重要であり、立派な設備じゃないからこそ伝わる。ウェビナーとはそういうものだ。

いろんなウェビナーを見てまわればわかったはずだ。そして自分でZoomってこんなこともできるのか、などと新しい経験も楽しみながら少しずつ使い方を理解し、伝え方を心得ていく。この1年間、ウェビナーに挑戦してきた人たちはそんなことをやってきた。そこを面白がったはずだ。

ライブのフォーラムがタイムテーブルに沿った放送に退化

文研フォーラムのやり方を決めた人たちは、残念ながらそこを学んでこなかったのだと思う。そしてなまじ放送人なので、きちんとした映像を、問題が起こらないように配信する、と考えてしまった。いや、それはライブ配信じゃない。それは放送だよ。チャットも受け付けないし、アーカイブも見せないんだもん。

みなさんのソウルが聞きたいんだよ。フォーラムはそういう場だったはずなんだ。ライブ配信は発信者の思いを増幅して伝えられる。ライブでこぼれ出る、報告者の気づき、発見、それについての興奮、驚き。それを聞かせて欲しいのだ。

きちんとした映像は、ライブ配信ではなく、番組だ。それはEテレで見ればいい。でもこれはフォーラムだ。タイムテーブル通りに映像を流すだけなら放送でやって欲しい。

文研フォーラムに学んできたからこそ、どんな配信をするのか期待した。だって放送の進化を導いてきたのだから。フォーラムの進化を見たかった。だがフォーラムが「放送」へと退化してしまった。これほどがっかりした文研フォーラムもない。みんなが進んできたのに、なんで逆に戻るのか。

そもそもプログラムにあらかじめ申し込ませて、受付を終了したらもう視聴できないなんて。時間通りにライブで見ないともう見れない。公共放送の研究機関が、ライブ配信形式だからこそ思い切りオープンにならなくてどうするのか。チャットだと何を書かれるか、炎上しないか、なんて気にするから逆にこうして私なんかに批判されてしまうのだ。放送の進化がちっともわかっていない。

せめて、要望したい。今からでもアーカイブを誰でも視聴できるようにして欲しい。あらかじめ申し込んだ人だけでなく、あとからでも誰でも、見られるようにすべきだ。それが「公共性」ではないのか。

公共放送なら、研究機関のフォーラムを誰でも見られるようにしなければならない。NHKプラスでやってることとまったく整合性が取れていない。そんな簡単なことにどうして気づかないのだろう。頭のいい人たちが、シンプルなことを難しく考えるとこうなるのだろう。簡単にこう考えればいい。ユーザーにとっていちばんいいのはどんなやり方か。放送局はそれができないと見離されていくだけだ。公共放送ならなおさらのはずだ。

ぜひ真剣に検討してもらいたい。

境治/メディアコンサルタント・MediaBorder発行人

3月30日ウェビナー「テレビマンがYouTubeをドライブさせる」開催







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