「過去を光らせる」という事

「未来変わらなくても 過去を光らせるんだ」

龍友くんが歌う、もう一度君と踊りたいの歌詞の一部である。

私はこの歌詞の意味を、今日初めて理解した。

私が朗読劇「もう一度君と踊りたい」を初めて観劇したのは、去年の9月の事である。

もう一度君と踊りたい、は話として大好きだったし、とても感動したし、帰り道は幸福感に浸っていた。

もちろん、あの時佐野玲於さん演じる倫太郎が一日をやり直した事を、無駄だとは思っていなかった。

とても、重要な行為だったのだと思う。

しかし、その行為の真の意味を私は今まで分からずにいた。

過去は過去だ。事実として変えられるものではない。

だというのに、過去を光らせるとは一体何を意味するのだろうか?と、私は疑問に思っていた。

そして今日、少年クロニクルのライブDVDを見返し「オタクで良かった…」と呟いた時、唐突にその意味を理解した。

元々2次元オタクだった私は、自分がオタクである事を恥じており、オタクにならなければ良かった、とよく考えていた。

しかし、佐野玲於さんに出会った事により、その考えは変わっていった。

私がオタクでなかったら、佐野玲於さんに出会う事は無かっただろうし、ここまで佐野玲於さんを、一人の人間を愛する事は無かっただろう。

だから私は今、自分がオタクで良かったと思っている。

これこそ、過去を光らせるという事なのではないだろうか。

自分にとって大きなコンプレックスが、幸福に感じる。

苦い思い出を昇華する事ができる。未来の自分の行動によって。

そんなメッセージを伝えていたのだと、今更ながらに気づくことができた。

この様な素敵な経験が出来たのも、私がオタクで、佐野玲於さんに出会ったお陰である。

そんな「過去」に感謝しながら、これからも作品のメッセージを追求し続けていきたい。