おかっぱ黒スーツ、80キロの涙

全てがこじれていく日々


3年勤めた仕事を辞めた。
突然の発熱、こじらせて肺炎。
店側とのやりとりもこじれて、ひどい退職だった。
病院まで歩く速度は、道端のアオムシの方が速かった。

回復したものの、うつ状態がひどくなり、日中は気力がなく起き上がれない。夜は眠れず、不安で毎晩、お腹に白米を詰めた。
サルトルは「欲望」を「欠如」とみなし「欠如は埋められることを求める」と言ったが、私は心の欠如を満たそうと、毎晩冷蔵庫をあさり、胃袋の暗い穴にせっせと食べ物を詰めた。
白米だけでなく、生でも硬くても、とにかくなんでもよかった、欠如が埋まれば。

白米では埋まらない「欠如」


気がつけば体重は80キロ、1年間で約30キロの増量だ。
着る物もなく、お金もなく、みじめだった。
もはや私自身が社会の欠如そのもの、セメントでも流し込んで埋めてくれ。

自分が実に厄介なブラックホールのようになっていると感じた。
欲望、欲望、欲望。
この欲望は、現実や希望に対して「こうではない」という、反論でしかあらわせず、もやもやとするだけの欲望。
少なくともその欠如を埋めるのは、白米ではない。
それは確かだ。

「反論」ではない「欲望」


雇用保険の給付金だよりだったため、ハローワークには定期的に通った。
そこで知ったのが職業訓練だった。

イラストを描いたり、クラフトをするのは好きだった。
今となってはどういう気持ちで応募したのか、もうわからないが、私は、グラフィックデザインを学べる講座に申し込むことにした。
それこそ、私にとって「あの選択」となるターニングポイントである。
「こうではない」というもやもやした欲望が、「これをやりたい」という形を持った欲望に変わった瞬間と、私は感じている。

職業訓練といっても、簡単なテストと面接がある。
後で知ったことだが、職業訓練校は、利用者に就職してもらわないと収益が出ないため、真面目に就活に取り組みそうな者を選別している。
それゆえ、面接はなかなかな圧迫面接となる。
面接官はギラギラとした大きな目で、ナマズのような大きな口で大きな声で話をし、私は呑み込まれてしまった。

いわゆる普通の就職活動を避けてきた私は、いわゆる普通の面接マナーも知らず、ただ恥ずかしい思い、不甲斐ない思いをして面接会場を後にした。

知人に借りた3Lの黒いパンツスーツ、急遽買いに走った白いシャツと黒いバッグ、安い美容室で切った髪はおかっぱ。
何もかもがちぐはぐだ。
なんの絵柄も揃わないスロットマシンだ。
そもそも80キロの自分は自分ではないような感覚で、人生も全てがとっ散らかっていて、何もかもがしっくりしない。
一体何をしているんだろう、なんで生きてるんだとろう、と私は涙をこぼし、しとしと泣いた。

「合格通知」はだから、青天の霹靂も同然だった


訓練期間は6ヶ月。
不安と期待…いや、9割9分の不安と1分の希望を胸に説明会に向かった。うまく訓練についていけるかわからない。
体調だってどうなるかわからない。
それにあそこには圧迫面接ナマズ先生がいる。

欠如を埋めるということ


・行くところができた
・自己表現できる場所ができた
・仲間ができた
・先生ができた
・できることが増えた

グラフィックソフトを習ったのは2ヶ月程度、スキルも経験もすぐ仕事をするには足りないものだった。
しかし、それよりも上記5点を得たことに、意味がある6ヶ月だった。
白米では埋められなかった心の欠如が満たされていく気がした。
ナマズ先生も慣れると愛らしい気になるものだ。

自分で作っていくこと、場所も、経験も人間関係も、作品も。
「創作」こそ、欠如を埋めるものだと感じた。

螺旋のように

私はその後いくつかのアルバイトを経て、グラフィックデザイン職として正社員雇用を得た。
だが、過酷な業務と非人道的社風に耐えられず身体を壊し、2年程でその会社を退職をすることになる。
徐々に埋まってきたかに見えた私の心の穴もまた闇を広げ出した。
この文章を最初から読み返すような欠如の日々がまた始まるのだろうか…。

そんなことはなかった。
どん底の経験。圧迫面接。6ヶ月の勉強。仲間との交流。
実際に仕事をした実績。

全ての「作った」経験は、私の心臓に小さな毛を生やしていた。
大丈夫。なんとかなる。
もちろんグラグラ揺れながらではあるが、私は踏ん張って就職活動を始めた。

そして今、再びグラフィックデザインの仕事をしている。
相変わらず80キロある。痩せない。
お金はない。
不安になることは多い。

けれども、今は訓練校仲間に相談ができる。
先生に教わることもできる。
非人道的な会社を見極めることもできる。
何より、毎日制作した経験が身体に残っている。
同じような状況になりながらも、決して悪くはなっていない。
なりようがない。

それは、「土台」を築いてくれた私のおかげなのだ。
あの日、しとしと泣いたおかっぱ黒スーツ、80キロの私。
あなたの選択で、私は、螺旋階段を上るようにゆっくり上昇している。
それは「幸せ」と言い換えてもいい。
心から感謝している。


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