世界平和を「祈らない」

理想は現実にひれ伏した。
社会を憂い、戦争に心をいため、多文化共生を!世界平和を!人間の進歩を!と真剣に考え、学んでいた学生時代は夢だったのか。

36歳と4ヶ月。
私の意識の大半は、労働と、少ない収入でのやりくりに向いている。
必要な支払いの計算をし、数日分の献立を考えながらおつとめ品コーナーをチェック。
帰ったらトイレ掃除、洗濯もしなければ。

有名私大を出たけれど、うつ病になって、正社員としてのキャリアがうまく積めなかった。
時給1,100円でフルタイムパートとして勤務し、社会保険料を天引きされると月の手取りは15万円にも届かない。
おおよそ毎日、腰が痛い。
本を読むのもおっくうだ。

人はなぜ、今存在しない物事に惹かれるのだろう。
私はもう帰れない過去を想い、いつかまた学問する未来を夢見ている。


今日、久々にnoteを開き、このお題に出会って、ふと、考えた。

実際の世界に還元できる学問はそのように生活と対比されるものだろうか?
まるで甘美な幻想のようではないか。
私は確かに真剣に学んではいた。
でも、それはもしかしたら平和を「祈る」ようなことだったかもしれない。

もしかすると、私は違う道で、理想に近づけているのではないか。
切れ目のない曇り空のような憂鬱に、針でついた穴が開いた気がした。

いまの生活を存分に生きてみよう。
夢想せず、今を直視する。
未来はその先にしか来ないのだから


まもなく36歳と5ヶ月がはじまる。


#未来のためにできること


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