好きな本を教えて

小説は、救いだ。
わたしは救われるために本を読む。

その時必要な本は、必要なときに出会うようになっていると思う。意識せずとも瞬間的な救いを求めているから。

本屋に立ち寄るのは好きだけど、本屋で本を買うのは苦手。
救われたいと思っている自分が、そんな自分が今欲している答えが、そこにいる他人にバレてしまう。手に取る時もレジの時も。
誰も気にしちゃいないと分かっていながらも、なぜか無性にドキドキする。


本は私にとって少し特殊な存在なのだ。
「好きな本を教えてください」は特別な問いで、告白に近いものなのかもしれない。
その人を形作る一部になり得る魂の指南書を、知りたい。そしてわたしもそれを好きだと思いたい。
逆もまた然り。わたしの好きな本を好きな人に好きだと言ってもらえたら、あなたが好きだと言われたのと同じくらい嬉しくなると思う。

本をもらった。
「最近読んで面白かった小説」とカバンからおもむろに出されて、「ハードカバー!」と見たまま答えた。嬉しかった。

電子書籍で読んだものを、わたしに渡すためにわざわざ買ってくれたらしい。ラッピングをされているわけでもなく、書店名が書かれたクラフト紙がなんとなく巻かれていて、そんなところさえ良いと思えた。
持ち歩かずに家で読もうと決めた。ぐちゃぐちゃにしたくない。


本当の会話をしているはずでも、信じたい人の信じたい言葉ほど、無意味に疑ってしまう。
わたしの人間味と感性を面白がってくれているか、もっと話したい知りたいと思っていていいのか、同じ熱量でそう思ってくれているのか。不安になる。

お願いしたわけでもなく唐突に渡された本。
自分のことをほとんど話さず全く解明できない不安対象のその人に、少しは近づいてもいいよと言われた気がした。
本屋に向かって店内を歩いて探して手に取って買うまでの間、わたしは確かにその人の中に存在していたんだと思うと、心が溶けそうになる。


読み進めるうちに、なんてものをよこしたんだと思った。わたしたちの性質をかすめるような登場人物たち。
この物語を読ませて何を考えさせたかったんだろう。伝えたかったんだろう。
なぜ渡されたのかは、深夜に考えても分からなかった。

「答え合わせはしないでおこう」。
どうしてそんなことを言うんだろう。理解したいとひたすら思っているのに、“分からない”ばかりが積もる。

そんな状態でも、この本を今のわたしが今読むことにはきっと意味があるんだろう。だからこうして手元にある。果たして答えをくれるのだろうか。救ってくれるのだろうか。



そんなことを考えているうちに、明確にひとつ分かったことがある。
わたしはその人のことがどうしようもなく好きだ。

おおすかちゃんを!あなたの力で!生かしてたもれ!✌︎