自分が選んだものばかり。

自分で選んでいないものなどあるのだろうか?
どんな状況だろうときっと、自分が選んだ結果が今の自分だ。
そんなこと言ったってあの場面ではあぁするしかなかったとか、他に選択肢がなかったとか色々あるだろうけれど、でも結果的に選んだのは自分自身だ。あとは、その道を選んで良かったかどうか、良くするかどうかだろう。

僕はずっと道を選ばないことを選んでいる気がする。
前にも書いたように、実家の喫茶店を継ぐのか継がないのかの決断をずっと先延ばしにするということを選んでいる。その結果が今の僕だ。
選ばないことを、引き伸ばすことを選んだ。現状維持を選んでいるのだ。

何かの本でもう記憶も曖昧だが、一人暮らしをすることで、自分の周りには自分で選んだ物で溢れていいる。自分の好きなものに囲まれている。今までは親が選んだものや誰かが選んだものがあったけれど、今の自分の周りには自分で選んだものばかりに囲まれているというのだ。
その文章を読んで、周囲を見回してみると、確かにそうだんなと妙に納得して、凄く心に響いたことを覚えている。
だったら、何の本だったか覚えていろよという話だけど(稲垣えみ子さんの『魂の退社』だったような…)

だから、そんな些細と思えるようなことでも、自分で選んでいるのだ。そう思うと、人生は選択の連続だ。
人生の大きな選択ばかりでなく、服を選ぶのも、お風呂に入る時間も、帰り道も好きにすればいい。
そう考えてみると、私は選ぶというのが苦手なのかもしれない。決断に伴う責任から逃れたくなるのだろうな。

服一つとっても誰かに選んでもらいたい。だってそうすれば、誰かが選んでくれたものを自分が選んだという間接的な責任逃れが出来るから。
あぁそうなんだろうな。人生の大きな選択でさえ、誰かから言われたから仕方なくという状況が欲しいんだな。
誰かが言っているから、誰かを助けるため、そういう状況だから仕方ない。
そんな風に、選ぶことを誰かのせいにしたい。
そうすれば出来なくたってしょうがない。何かの言い訳に使える。

選ばないことを選び続け、選ぶためには誰かのおすすめや誰かという理由が必要で。選ぶ基準は自分じゃなくて誰かで。

確かにあった、自分で選んだ好きなもの。それに囲まれているはずなのに。今ではもう分からない。
一体、いつから言えなくなったのだろう。
一体、いつになったら言えるのだろう。
誰かなんて関係なくて、状況なんて関係なくて、どうしてもそれしかだめで、その道が良くて、その人が良くて、何が何でも手にしたい。
自信をもって、自分が選びましたと。
自分が選んでよかったですと。

いつかこのハッシュタグを使って、言葉にしよう。

#自分で選んでよかったこと

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