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(公財)国際宗教研究所 宗教情報リサーチセンター  20周年記念誌・国内 →デジタル版公開ページ http://www.rirc.or.jp/20th/20th.html

日本における統一教会の活動と その問題点

―活字メディアで報道された批判を中心に―                                     藤田庄市

はじめに

 本稿では 2000 年以降、日本の活字メディアで報道された記事から世界基督 教統一神霊協会の動向を分析する。同協会は「統一教会」の略称で広く知られ てきたが、2015 年 8 月に「世界平和統一家庭連合」(略称、家庭連合)への改 称が文化庁より認証された。従って統一教会は旧称ということになるが、扱う 内容が旧称の時期であり、また社会的には現在もその名が広く知られているの で、本稿では 「統一教会」という名称 を用いることにする。  資料は主として、公益財団法人国際宗教研究所・宗教情報リサーチセンター(略 称ラーク、RIRC)の記事情報データベースを用いた。同データベースで 2000 年以降を「統一教会」で検索した件数は以下の通りである。単一の教団名での 検索数としては多い方に属する。
2000 年        215 件            2010 年  80 件   
2001 年        134 件        2011 年  75 件      
2002 年          99 件          2012 年  41 件       
2003 年        109 件            2013 年 127 件      
2004 年          71 件       2014 年   76 件  
2005 年          44 件           2015 年   52 件 (60 件)  < 24 件> 2006 年        121 件       2016 年   43 件 (52 件)  < 35 件> 2007 年        174 件           2017 年   76 件   (81 件)  < 52 件>2008 年        112 件     2018 年   67 件   (75 件)  < 52 件>  

注)2015 年~ 2018 年の( )内は「統一教会 家庭連合」での検索数。<>内は「家 庭連合」での検索数。(2019 年 1 月 18 日検索)

マザームーンこと韓鶴子氏

 アジア太平洋戦争敗北の後、新宗教は日本社会に強大な勢力を築いた。その 中に、海外からキリスト教系の新宗教も布教に上陸した。ものみの塔聖書冊子 協会(エホバの証人)と統一教会は、大教団には成長しなかったものの、一定 の信者を獲得し教団として日本に定着したといえよう 1)。一方で、エホバの証 人は輸血拒否などにより、統一教会は霊感商法などにより、両教団とも社会と 葛藤を惹起し、その問題は現在も基本的にはなくなってはいない。
 統一教会は 1960 年代からマスメディア、および近年に至ってはインターネッ ト情報が加わり、社会的にさまざまな面から取り沙汰され、現在もそれが続い ている。取り沙汰される内容は多様であり、時期による違いも見受けられるが、 大きく分ければ主のものは次の①~③にまとめられる。ほかにも、日韓トンネル、 桜田淳子をめぐる動きなど興味深い問題がいくつかあるが、本稿では扱わない。

①布教・教化とそこから生じる家族との軋轢・葛藤などの諸問題。有名な合同 結婚式はその一つである 2)。

②刑事事件をも生み出した「霊感商法」

③反共を出発点とした一部政治家への深いコミットメント

④教祖文鮮明の死と教団分裂  以上の事象は④を除き 1960 年代~ 70 年代に活発な原型が見られ、1980 年 代から 1990 年代にはその展開があった。

2000 年以降に表出する報道の傾向も、 基本的にはその延長上にある。そのため 2000 年以前の統一教会の動きを簡潔 に示した上で、21 世紀における状況を分析する。
 なお引用する記事は該当の新聞雑誌名を文中( )内に記すが、ニュース記 事の場合、ほかのメディアも報道していることが通例であることを最初に断っ ておきたい。


1. 1960 年代から 2000 年までの統一教会 3)


 韓国で 1954 年に文鮮明(1920 ~ 2012)によって設立されたキリスト教系 新宗教の統一教会は、1958 年に日本に密航した崔翔翼(西川勝)が伝道を開 始し、1964 年に旧宗教法人法の下で法人格の認証を受けた。その数年前、立 正佼成会の庭野日敬会長(当時)の秘書をしていた久保木修己はじめ小宮山嘉  一ら佼成会の青年信者多数が統一教会に走った。久保木は 2001 年まで日本統 一教会の会長を務め、小宮山は初代原理研究会会長に就いた。
 統一教会が最初に社会的に知られたのは<親泣かせ「原理運動」 学生間に広 がる学業放棄>というセンセーショナルな新聞記事であった(朝日新聞 1967 年 7 月 7 日)。同記事によると「原理運動」と呼ばれる宗教が全国の大学や高 校に広がり、そのため家庭を破壊されたという父母からの訴えが学校や警察に 相次いだ。親たちの訴えによると、入信した若い男女は性格が変わってしまい、 「理想社会をつくるため」といって家出同然となり、学校に通わず街頭募金など の活動に没頭。1967 年 5 月には東大安田講堂に約 2,000 人を集め、関東原理 研大会を開くに至った。一方では親に活動資金をせびる状況があり、父母が被 害者組織を結成する事態が生じた。この記事を皮切りに各紙誌が統一教会のさ まざまな所業について多くの報道を行い、その姿が次第に明らかにされていった。
 さきの記事には入信によって「洗脳」され「性格が変わる」という表現があり、 入信者の様態が異様な驚きをもって家族や周囲に受け止められたことがうかが われる。彼らの親からは入信後の精神疾患、自殺、行方不明の訴えがなされた。 具体的に 1971 年に入信した 20 代女性 A 子の手記<原理運動の一年余 身も こころもズタズタに>(東京新聞 1975 年 2 月 7 日~ 8 日)に従い、当時の様 相を示そう。  A 子は街頭で必死に伝道する学生に接したのをきっかけに入信し、修練会に 参加した。朝 6 時から夜 10 時まで、教義である「統一原理」の講義が行なわ れ、最後は、「神側(資本主義陣営)とサタン側(共産主義陣営)の間で第三次 世界大戦が必ず起こり、神側すなわち資本主義陣営につけば勝利は絶対とする 「勝共講義」で終わった。A 子はなにより統一教会メンバーの「善人」ぶりと 「あたたかさ」に感動して、ホームの共同生活に入った。家具も給料も「万物復帰」の教えから教会へ差し出した。その後、2 週間の特別修練会に参加。朝 6 時から夜 12 時までびっしりの講義や、資金獲得のための花売りなどが課せられ、 最後は 24 時間祈祷だった。質問はいっさい許されなかった。信者の間に衝撃 が走ったのは原罪の由来を説く「堕落論」の時だった。統一教会の教えはこうだ。サタンは人類の母エヴァ(イブ)を誘惑し不倫な性交を行った。エバが天国の木の実を食べた話は、じつはこのことを示している。人類は、この性交によっ て血のなかにサタンの血が流れ、原罪を背負うことになってしまった。ゆえに「エヴァ=女性は堕落の始まりであり、それによって同時に発生した諸悪の根源を持っ ている」。
 女(人間)の狡さ、嫉妬心などのいやらしさが次々と突きつけられ、逃げ場 はなくなったようである。「一人が悲鳴を上げる。バッタリとのめり、タタミに 顔をすりつけて神にゆるしをこう。へなへなと、あるものは放心した。髪をか きむしり、叫び声を上げる多くの受講者たち。それは鬼気せまる “集団” その ものだった」。が、救われる道はあると、そこに一本のワラが投げられる。「再臨のキリスト(文鮮明教祖)によって血は清められ、同じように清められた男 性との結婚によって原罪は取り除かれる」。  以上のようなことは 20 世紀における統一教会関係の報道や研究書において は、しばしば紹介されていたことであるが、今日では触れられることが少なく なった。有名な合同結婚(祝福)は、信者の信仰生活の最大の秘蹟であり、こ こで示されたような教義に基づいている。ところが 1980 年代に入ると統一教会は伝道方法を大きく転換する。街頭で 黒板を出し、陶酔さながら伝道する顕示的姿勢から、一転、最初は正体を隠し ての布教・教化法に変化させた。つまり統一教会であることを隠し、街頭でア ンケート調査や手相を見るなどとしながら、あるいは個別訪問をしながら、若 者のみならず一般市民、とりわけ主婦らを、教養講座や自己啓発を偽装したビデオセンターへ勧誘していった。そこでは計画的かつ詳細なカリキュラムが組みこまれていた。統一教会とわからぬ段階で教義を教え込み、棄教が出来ない ような精神状態になった時点で、文鮮明が救世主であると明かすという方法に よって、信者となったと考えられるのである。
 合同結婚式は 1970 年代からマスメディアで報じられてきたが、決定的に社会に知られたのは 1992 年、女優の桜田淳子らが参加した時だった。テレビのワイドショー番組を中心に、スポーツ・芸能紙、週刊誌を舞台に報道が沸騰し た。なお翌年の 1993 年、桜田淳子とともに焦点の一人だった新体操選手の山 崎浩子が脱会する際に口にした「マインド・コントロール」は、このとき、信 仰呪縛をあらわす言葉として社会に流通する契機となった。そのもとはスティー ブン・ハッサン著(浅見定雄訳)『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版 1993 年)だった。また、1992 年の合同結婚式騒ぎは、同時に、元信者らがメディアに出て教 団の実態を暴露したため、統一教会の霊感商法も広く知られるところとなった。 もともと統一教会は 1960 年代からすでに資金獲得方法として先の手記にあっ た花売りや「北方領土返還」募金や福祉募金、廃品回収などを行っていたばか りでなく、多くの会社を設立し、韓国の統一教会系企業から朝鮮人参茶などを 輸入販売するなど、企業活動を広く行っていた。それらの会社では信者を社員 として極端な低賃金で働かせているとの報道もなされた。しかし 1980 年代の布教戦略の転換にともない資金獲得方法も転換した。家系図診断や姓名判断を用いながら、祟りや因縁を説いて、輸入の高麗大理石の 壺や、数珠などを法外の値段で与え、さらには献金をさせるような例が出てきた。 そのために統一教会系の企業群が動員されたりした。霊感商法は各地で行なわ れたため、消費者センターへの苦情が多く寄せられ、報道も繰り返された。そ の状況下、1987 年に「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(以下、全国弁連)が 結成され、被害を訴える人々の対応に取り組んだ。「霊感商法」との名称は同連 絡会が事象の内容から命名したものである。しかし被害は絶えることなく、そ の活動は行政への働きかけをともなって全国弁連の活動は現在も継続している。  なお 1980 年代後半には、脱会した信者が統一教会の伝道・教化は信教の自 由を奪う人権侵害であり違法であると裁判にうったえた民事裁判(「青春を返せ」 訴訟、違法伝道訴訟)や、霊感商法の被害者が起こした数多くの民事裁判がある。 後述するが、裁判所が霊感商法被害者の主張を認めるようになるのは 1900 年代末、脱会信者の主張については 2000 年に入ってからだった。これも後述す るが、消費者契約法改正により条文に「霊感」が入れられ、霊感商法的手口の 契約が取り消し理由に法的に保障されたのは 2018 年である。このように統一教会はその活動について当初から多くの社会的批判を浴びる ことが多かった。しかしながら、当時は「カルト」という言葉や概念はなく、多くの報道は、統一教会が特異な宗教であるということを、それぞれの事件に 即して批判していた。この「親泣かせ」や「金集め」という側面と同時に注視 されたのは、統一教会の政治活動であった。その背景にあったのは「東西冷戦」という当時の時代状況である。それを十分に利用して統一教会は「反共」どこ ろか、韓国統一教会直輸入の「勝共連合」すなわち共産主義に勝つというネー ミングをもって日本の政界、右翼界に近づいた。表向きは別組織であるが、実 際は異名同体であることは現在も変わらない。  1968 年 1 月に韓国で国際勝共連合が発足すると、3 か月後には日本でも同 連合が設立された。その前年、文鮮明が来日し、笹川良一ら日本の右翼と「第 一回アジア反共連盟結成準備会」を開いていた。右翼界の大物だった笹川は統 一教会の青年を気に入り、同協会の顧問になっていた(後、離反)。連盟結成 の目論見は一部の右翼が反発したため失敗したが、笹川は岸信介元首相を統一 教会=勝共連合と結びつける。そして統一教会は右翼や宗教界を巻き込んで活 発な動きを始めた。1970 年はその典型的な年となった。5 月には落成したば かりの立正佼成会普門館で「WACL 躍進国民大会」を開催した。「WACL」とは ワールド・アンチ・コミュニズム・リーダー、つまり世界反共連盟の略称である。 大会には当時の佐藤栄作首相はじめ自民党幹部ら政界の大物が花輪を寄せ、岸 はアピールを寄せた。ついで 9 月 15 日~ 17 日は京都で「WACL 第 4 回総会」が開かれ、議長に は 久保木修巳・統一教会会長が選ばれた。その 3 日後の 20 日には日本武道館 で「WACL 世界大会」が神社本庁など 23 の推進団体、自衛隊友の会などの賛同団体のもと、大会総裁は笹川良一、大会推進委員長は岸信介をもって開催さ れた。1974 年の統一教会主催の「希望の日晩餐会」には福田赳夫蔵相(当時、 のち首相)ら閣僚、自民党幹部ら親韓国派議員 40 人ちかくが会場の帝国ホテ ルへ足を運んだ。統一教会の自民党と政界への浸透は選挙応援、議員秘書への 送り込みなどを通じて深まっていった。その後、統一教会に対する野党による 国会での追及や社会的批判、マスメディアの報道があり、閣僚や自民党幹部の 統一教会との関係は見えづらくなってゆく。なお、政界との結びつきを図った 同時期に、統一教会は「世界平和教授アカデミー」という大学教授を “利用・ 懐柔” する組織も作っていたことを忘れてはならない。付け加えれば、統一教 会はアメリカでも政界浸透問題でスキャンダルを起こし、1976 年にフレーザー委員会で追及をうけた。50 年後の今、安部晋三首相が統一教会の大会にメッセージを送るのは、祖父の岸信介以来の仲であることを知れば、同教会と自民党は長い期間にわたる深 い関係が構築されていることが分かる。つまり、統一教会はたんなる宗教団体というより、宗教に企業、政治活動が 融合した国際的新宗教団体なのである。そうした活動の原型は教団発足後、10 年も経たないうちに出来上がっていたことを確認しておきたい。

2. 正体を隠しての布教 ・ 教化と信教の自由

   正体を隠しての統一教会の勧誘と霊感商法(次節)とが融合したような布教・ 教化は、21 世紀になっても大枠としては継続している。他方で、その布教・教 化が宗教選択の自由を侵し、信教の自由を侵す人権侵害であるとして、元信者 たちが 1987 年から全国 9 地裁で次々と民事訴訟を起こしている。それを原告 側は「青春を返せ訴訟」あるいは「違法伝道訴訟」と名づけた 4)(表 1 参照)。 国家と宗教をめぐる信教の自由ではなく、特定教団の伝道方法が国民の信教 の自由の侵害であり、違法であるという裁判は、日本の宗教史においては初め てのことであった。 この統一教会の布教・教化を正面から問う裁判の判決は当初いわばジグザグ の形を辿った(表 1 参照)。地裁レベルでみると、名古屋地裁(1998 年)、岡 山地裁(1998 年)、神戸地裁(2001 年)までは元信者側の敗訴が続き、静岡 地裁(1997 年)、東京地裁第一次(1999 年)は和解だった。
 局面が変わったのは 2000 年 9 月の広島高裁岡山支部(片岡安夫裁判長)に おける元信者男性側逆転勝訴である。男性は「マインドコントロールによって 違法な勧誘方法で入会させられ、精神的苦痛を受けた」などとして統一教会を 訴えたものの、岡山地裁の判決は「男性は自発的に宗教的な意思選択をしており、 勧誘や教化行為が社会的相当性を逸脱しているとはいえない」と敗訴した。し かし、高裁判決は勧誘から脱会までの事実認定を一審と同じくしながら、次の ように判断した。「正体を偽り勧誘するなど宗教選択の自由を奪い」「虚偽を欺 罔で困惑させ入信させた」、「不安をあおり困惑させるなどして自由意志を制約、 不当に高額な献金をさせた」。そして「一連の行為の目的などは社会的に相当と 認められる範囲を逸脱。教義の実践の名のもとに他人の利益を侵害しており違 法だ」。

裁判資料などをもとに筆者作成。

 争点の一つだったマインドコントロールについては「不法行為が成立するか どうかの認定判断をするのに(マインドコントロールを)定義付けする必要は ない」と明言を避けた。この点について元信者側の河田英正弁護士は。「『自由 ① 静岡地裁 1997 年 8 月 和解 ② 名古屋地裁 1998 年 3 月 敗訴 名古屋高裁 2000 年 7 月 和解 ③ 東京地裁(第一次) 1999 年 3 月 和解 ④ 岡山地裁 1998 年 6 月 敗訴 広島高裁岡山支部 2000 年 9 月 逆転勝訴 最高裁 2001 年 2 月 勝訴確定 ⑤ 神戸地裁 2001 年 4 月 敗訴 大阪高裁 2003 年 5 月 逆転勝訴 最高裁 2003 年 10 月 勝訴確定 ⑥ 札幌地裁(第一次) 2001 年 6 月 勝訴 札幌高裁 2003 年 3 月 勝訴 最高裁 2003 年 10 月 勝訴確定 ⑦ 静岡地裁浜松支部 2001 年 7 月 和解 ⑧ 東京地裁(第二次) 2002 年 8 月 勝訴 東京高裁 2003 年 8 月 勝訴 最高裁 2004 年 3 月 勝訴確定 ⑨ 新潟地裁(第一次) 2002 年 10 月 勝訴 東京高裁 2004 年 5 月 勝訴 最高裁 2004 年 11 月 勝訴確定 ⑩ 札幌地裁(第二次) 2012 年 3 月 勝訴 札幌高裁 2013 年 10 月 勝訴確定 表 1 「青春を返せ」訴訟(違法伝道訴訟) 原告(元信者)側の結果一覧 新潟地裁は表示していない第二次、第三次とも最高裁まで勝訴 裁判資料などをもとに筆者作成。 132 意志を制約した』などの判決内容から、マインドコントロール的行為の存在と その違法性は認められた」との見解を示した。(山陽新聞 2000 年 9 月 5 日)。 他方、統一教会側は「法令解釈・適用が著しく偏見に満ちている」と批判し上 告したが。2001 年 2 月に元信者側の勝訴が最高裁で確定した。
 翌 2001 年 6 月 29 日、元信者側の主張を認める決定的ともいえる長大な判 決が、札幌地裁(佐藤陽一裁判長)で下された。原告も元信者女性 20 名とい う数だった。判決はまず、「統一教会の入信や献金の勧誘は、信者となった人の 財産収奪や無償労働の提供、被害者の再生産という不当な目的のもとに行われ た」と認定し、そのうえで「統一教会であること隠したうえ、人の弱みにつけ 込むなど社会的相当性を逸脱した違法な行為」とした。つまり、「統一教会を秘 匿するなどした勧誘は、憲法が規定する信教の自由を侵害するおそれのある違 法な行為」として、憲法の保障する信教の自由を侵害する「おそれ」があると 断じた。
 元信者側弁護士の郷路征記弁護士は「統一教会の不当な勧誘目的を認定した のは初めて。信教の自由を侵害する恐れがあることも指摘しており、高く評価 できる」と位置づけた。統一教会は「偏見に基づいた不当な判決」と控訴した(北 海道新聞 2001 年 6 月 29 日夕刊)。さらに 2003 年、札幌高裁(山崎健二裁判 長)は「勧誘された者は、外部との接触を困難にされ、正常な判断ができない 状況で教義に傾倒した」と信仰呪縛を認め、一審判決をより明確化した(北海 道新聞 2003 年 3 月 15 日)。また同判決は「献金や献身などにその都度『同意』 していたとしても、『それは自由意志を妨げられた結果にすぎない』と言い切っ たのだった。
  2002 年 8 月の東京地裁判決(小泉博嗣裁判長)は札幌地裁判決と重なり合 うと同時に、初めて、合同結婚は婚姻の自由を侵害していると認定した。判決 は「合同結婚式は統一教会の教義上、原罪から解放され、救済が実現する唯一 の方法とされている」と指摘し、結婚を断った場合は救いの道が永久に閉ざさ れると教えていると認定した。教祖の文鮮明が「統一教会が祝福を与えようと するのに、それを嫌がって受けなければ霊界に行って問題になる」などと教え ていることを列挙し、「婚姻の自由を侵害する違法があった」と結論づけた。ゆえに、「離婚」ではなく「婚姻無効」ということになる。 札幌地裁判決も東京地裁判決も高裁判決を経て、2003 年、2004 年にそれぞれ最高裁で判決が確定した。2002 年 10 月、同じく新潟地裁も元信者側が勝訴 し、高裁判決を経て 2004 年に最高裁で判決が確定した。統一教会の正体を隠 しての布教方法は以上のように、裁判で最初は問題なしとされたが、元信者側 の膨大な証拠に立脚した論理構成はやがて勝訴を確かなものにした。しかし、元信者側の信教の自由と統一教会の布教・教化に関する問題提起は これに止まらなかった。上記の裁判では、布教・教化のうち正体を隠しての勧 誘については違法性が前面に出ていた。これに対し 2004 年、元信者ら 63 人 は新たに統一教会による布教・教化全体、つまり勧誘から正体を明かしての入信、 それからの教化という活動全体の違法性を主張して、新たに札幌地裁に訴えを 起こした。判決は 2012 年 3 月 29 日に下りた。橋詰均裁判長は「一連の伝道 活動は宗教性や入信後の実践内容を秘匿して行われ、自由意志をゆがめて信仰 への隷属に導いた不正なもの」と認定し、「違法な布教活動が組織的に行われて いた」と約 2 億 7800 万円の支払いを命じた。請求額は約 6 億 6,500 万円だった。 統一教会は「判決の認定内容は事実に反しており、あまりにもずさんで遺憾だ」 とコメントした(北海道新聞 2012 年 3 月 30 日)。
  郷路征記弁護士は、この判決が示した「宗教団体の布教活動が違法行為とな る場合として」次の4つの基準が示されたと読み解く 5)。①教えの宗教性を隠 すこと、②入信してから特異な宗教的実践を求めるのに伝道時にそれを知らせ ないこと、③信仰の維持を強制するため、家族や友人、知人との接触を断ち切 ること、④金銭拠出の不足を信仰の怠りとし、そのことが救済の否定につなが るとの教化活動が行きすぎる場合。すなわち、統一教会の布教・教化はこの 4 つを満たしているのである。そして郷路征記弁護士は、この基準が統一教会以 外のいわゆる「カルト集団」の布教活動が違法であると裁判所に判断してもら える可能性が開けたという。  最初の提訴から 25 年を経て、元信者側はこうした司法判断を得ることとなっ た。それは信教の自由を新たに問い直すことになったが、統一教会側は、元信 者たちの訴訟は、かれらへの強制改宗によるものであると主張した。
  ところで上記4つの基準にある②の「特異な宗教実践」とは、統一教会の場合、 合同結婚がそれにあたる。合同結婚は教祖文鮮明が信者男女をマッチングして 134 相手を決めるため、お互いがそれまで見ず知らず同士である。人種も国籍も関 係ないから国際結婚も多い。わけても「韓日祝福」という男性が韓国人で女性 が日本人のカップルには特別な教義的裏付けがある。その教義とは、植民地支 配した日本は韓国に対して「蕩減」(贖罪)の義務があり、「エヴァ国家」として 貢がねばならないとされる。この教えは、信仰の篤い日本人女性信者には使命 感が与えられる。後述する霊感商法で吸い上げられた莫大な金もこの教えによっ て現在も韓国に送金され続ける。
 この「韓日祝福」は一つの特徴的な現象をもたらした。2005 年に「在韓日本人、 10 年で倍増 半数統一教会関係者か」(産経新聞 2005 年 9 月 9 日)という記 事が出た。記事によると、在韓日本人の数が大きく増えたのは 1990 年代に入っ てからであり、その背景には「統一教会の集団結婚で韓国に来た日本女性とそ の子供の急増」がある。日本大使館の話では、子供をふくめて 1 万 1,000 人ほ どが、統一教会関係者と推定しているという。この問題を調査した中西尋子に よれば、約 7,000 人の日本人女性信者が「韓日祝福」で渡韓しており、大部分 は農村地帯か地方小都市に居住している 6)。そして日本に帰国した女性たちか ら韓国での実情がもれてくるようになった(以下、フライデー 2006 年 2 月 24 日)。
 まず、相手の男性は、「高学歴の日本人女性と結婚できることから、にわか信者になって結婚に至る韓国人男性がほとんど」であり、「妻は子をつくる道具。 カネをもってくる手段としか考えられていない」などであった。韓国で調査し た紀藤正樹弁護士はこう語る。
 「統一教会は合同結婚式に参加する男性の人数を増やすため、かつて広告など で募集したことがあります。農村部に住む結婚できない男性からの申込みが多い。当然彼らは熱心な信者ではない。教会に週に一度通うかどうか。女性はマインドコントロールされているわけですから、信心が篤い。男性は単に結婚したいだけなので、うまくいくわけがない」。
 この問題は一般紙はじめマスメディアで取り上げられることはほとんどな かったが、2010 年に研究書(櫻井義秀・中西尋子、2010、『統一教会』北海 道大学出版会)の発刊をとらえて、週刊ポストが「韓国農民にあてがわれた統 一教会・合同結婚式 日本人妻の『SEX 地獄』―-<衝撃リポート>北海道大 135 学教授らの徹底調査ではじめてわかった戦慄の真実」(2010 年 6 月 4 日)とい う見出しのもとで報じられた。これに対し、統一教会は名誉棄損で東京地裁に 訴訟をおこしたが、相手は発行元の小学館だけで、研究者は訴えられなかった。 2013 年 2 月 20 日の判決は統一教会の勝訴だった。だが判決を検討すると、記事については「SEX 地獄」の部分のみ行き過ぎがあったというだけであり、研究成果をふまえて「(統一教会の)活動自体の是非を問うことと認められ」「専 ら公益を図る目的」と記事の公益性を認めていた(宗教問題 5 号 2013 年 8 月 25 日)。
 2018 年は日本人が 1968 年に合同結婚に初参加してから 40 年が経過するこ とになる。合同結婚に参加した信者の子どもの中には、二世信者として統一教 会の活動を担っている人たちがいる。しかし中には深刻な悩みを抱える二世信 者も出てくる。その問題は元信者であった人たちの書籍などが刊行されること で広く知られるようになった 7)。その実情を知らせた最初期のものが、大沼安 正『「人を好きになってはいけない」と言われて』(講談社、2002 年)である。 著者は当時 19 歳。統一教会信者は恋愛厳禁ゆえの書名だった。彼の苦闘の生 い立ちがつづられている。大沼を紹介した記事「統一教会『神の子』からの脱出」 (女性セブン 2002 年 4 月 25 日)には、ジャーナリストの有田芳生(現、参議 院議員)が、「何が問題かというと、彼らには生まれたときから、信仰の自由、 結婚の自由が奪われている」とコメントしている。有田は統一教会問題やオウ ム真理教事件でテレビにしばしば出演するようになっていた。  大学では二世信者がダミーサークルを足場に伝道を行うようになり、大学当 局も学生生活支援の一環として「カルト対策」をとる必要に迫られる状況が出 てきた。2006 年に新聞に大々的に報じられた「摂理」(キリスト教福音宣教会) 問題を直接の背景として 2009 年には「全国カルト対策大学ネットワーク」が 結成された。
 2012 年に佐賀大学では統一教会の女子二世信者の活動家に対して脱会を勧 めた教員が、「配慮を欠いた不適切な表現を繰り返した」として訴訟沙汰になっ た。2014 年に結論として「信仰の自由を侵害された」と女子学生が勝訴した。 しかし、佐賀地裁(波多江真史裁判長)は一方で「(教員との)会話を無断で録 音していた女子学生の目的が、大学によるカルト対策への攻撃材料にするためだったと認定し、『精神的苦痛はさほど大きいものとは言えない』とした」(佐 賀新聞 2014 年 4 月 26 日)と認定した。また佐賀大学当局は判決によって「カルト団体による正体を隠した動機から学生を守る活動の正当性は認められたと 考えている」との談話を出した(西日本新聞 2014 年 4 月 26 日)。2015 年 4 月 21 日に福岡高裁は双方の控訴を棄却した。なお、大学当局と教員の弁護人 は別々であり、それぞれの主張を行った。
 2000 年以降の活字メディアにより、統一教会の布教・教化にかかわる事象をみてきた。日本への伝道開始以来、とりわけ 1980 年代からの正体を隠して の布教・教化活動全体が、信教の自由を侵害する違法なものであることが、最 高裁の複数の判決で確定した。その判決プロセスは 2000 年~ 2010 年代まで 要した。しかし、統一教会はこのことに対し反省は示しておらず、表面的な布 教・教化活動の変容は見られるものの、被害の相談窓口に寄せられる情報からは、 骨格部分は維持して活動をつづけているとみなすべきであろう。 

3. 「霊感商法」 社会的批判から刑事事件として摘発

 統一教会が霊感商法を行うようになったのは 1980 年ごろである。一般の人々 を「霊場」とよぶ施設に正体を隠して誘い、霊能者役の信者が因縁セールストー クで威迫し、壺などを売りつけるのが始まりだった。そこには統一教会系企業 群が一体になっていた。そうして、正体を知らせぬまま、さらに教義を教え込み、 棄教できない精神状態(信仰)に至ったときに統一教会であると明かし、信者 とした。そしてほぼ全財産を献金させ、青年ならば、そのうえで献身させると いうことが行なわれた。こうしてたちまちのうちに組織的かつ緻密な伝道シス テムが作り上げられた。やがて各地の消費者相談窓口には苦情が多数寄せられ るようになった。1986 年に「朝日ジャーナル」が批判キャンペーンを行なった。 社会的批判が高まり、翌 1987 年に「全国霊感商法被害対策弁護団」(以下、全 国弁連)が結成された。衆議院物価問題特別委員会では警察庁の生活経済課長 が呼ばれ、霊感商法について「最も悪質」な商法と答弁した。当時の日本弁護 士連合会(日弁連)の調査によると、消費者センターと弁護士会への相談は合 わせて 1 万 457 件、金額は 317 億 7,400 万円であった。各地で返金要求の民 事訴訟がおこされたが、刑事事件として摘発されたものはなかった。1988 年 137 に日弁連は「霊感商法にかかわる販売業者群の背後に統一教会の存在が推認さ れる」との意見書を出し、社会的反響を呼んだ 8)。  通例の消費者事件であれば、メディアをはじめ社会的批判が高まり、行政や 国会で問題にされ、裁判沙汰ともなればだいたいは終息するものである。だが、 統一教会はそうした対応をせず、方法に変化はあるとしても現在まで霊感商法 を継続している。裁判やメディアの取材では、統一教会系企業や信者がやった ことを認めても、統一教会自体の責任は回避している。以下は、宗教情報リサー チセンターの記事データベースで、2000 年以降に「霊感商法」がヒットした 件数である。現在に至るも、霊感商法が活字メディアに報じられていることを 示している。また本節末に、1987 年~ 2017 年の全国弁連が集計した被害相 談一覧を転載した。一覧によると現在まで被害相談は起伏はありながらも、か なりの数で継続推移している。  

2000 年           148 件 2010 年       69 件
2001 年            91 件  2011 年       339 件 
2002 年            76 件    2012 年       173 件
2003 年            82 件    2013 年       103 件
2004 年            52 件    2014 年         49 件 2005 年            60 件    2015 年         65 件
2006 年            103 件  2016 年         45 件
2007 年            319 件  2017 年         50 件   
2008 年            267 件  2018 年         77 件    
2009 年            221 件   
注)2011 年が 339 件と突出しているのは「新世界」の霊感商法事件が起きたため、 それが含まれている(2019 年 18 日検索)。

 ごく初期の被害回復の動きは示談や裁判の和解が多く、裁判が継続し統一教 会の使用者責任を認めた判決が初めて出たのは 1996 年だった。それらのうち 1997 年の奈良地裁判決は、統一教会の「組織化された献金勧誘システム」自 体を違法としたが、この認定は異例だった。多くの判決で統一教会の責任が続 けて認定されるのは 2000 年以降である。
 本稿ではまず、2000 年以降の霊感商法裁判から、極端にみえる事例を 3 つ紹介する。なぜなら、それは例外的な事例とは思われず、霊感商法被害の典型 と考えられるからである。
 1 つは驚くほど多額の金銭であることが分かった事例である。それは元男性信者が約 32 億円の損害賠償を東京地裁に求めたものである。この男性は不幸 なことが起こるのは、「先祖の因縁がついている(からだ)と脅され、不動産を 売却して献金するよう強要された」。それ以外にも約 10 年間に壺や高額な物品を購入させられたという。裁判としては和解し 19 億円が男性に賠償された。(毎 日新聞 2002 年 10 月 18 日)。
 2 つ目は期間の長さである。被害期間が 20 年という長期にわたる事案が福岡 地裁に提訴された例がある。原告は夫をなくした女性である。夫が死んだのは 先祖の悪因縁が原因だとされ、印鑑を購入したのをきっかけに、「恐怖におのの く生活を強いられて」、夫からの相続財産や生命保険を献金させられた。その額 は、証拠が残っているだけで 1 億 5,000 万円。全体では 2 億円以上だったとい う。女性が騙されたと気づいたのは、彼女自身が癌と診断されたとき、統一教 会信者に相談したところ、「献金は自分が感謝してささげたもの。取り戻すことはしません」との文書に署名させられそうになったからだった(読売新聞 西部 本社版 2007 年 1 月 16 日夕刊)。地裁判決(2010 年 3 月 11 日)を経て、福 岡高裁が統一教会は使用者責任と献金の勧誘行為等を違法だとして、1 億 1,000 万円の支払いを命じた(2011 年 1 月 21 日)。
 3 つ目は同じ福岡高裁で、元女性信者が 5 億円の損害賠償を求めた事件があっ た。福岡地裁では約 8,150 万円の支払い命令だったのが、福岡高裁(木村元昭 裁判長)では約 3 億 9,140 万円に増額した判決がなされた。増額した 3 億円は 聖本(説教集)10 冊分である。一冊 3,000 万円。判決は「信者らは聖本で痛 みが治るような演出をした上で、先祖の因縁が原因などと不安をあおって勧誘 した。社会的相当性を逸脱して不法」と霊能者役の信者の強引な金銭要求の状 況を認定した。統一教会は「信者の信仰に基づく献金という主張が認められず 誠に遺憾」とコメントした(産経新聞 九州山口版 2012 年 3 月 17 日)  こうした多くの民事裁判によって霊感商法の実態が明らかにされてきて も、統一教会の霊感商法が刑事事件として摘発されることはなかった。しかし、 2007 年~ 2010 年にかけて全国 13 か所で統一教会信者による刑事事件摘発が行なわれ、家宅捜査や逮捕が行われた。

  家宅捜査には統一教会の宗教施設が含まれていた。内訳は特商法違反(威迫・困惑)事件が 11 件、薬事法違反 1 件 と同法容疑 1 件の計 13 件である(表 2 参照)。このうち起訴されて刑事裁判の 結果有罪となったのは、東京都渋谷区の印鑑販売会社「新世」の 2 人のみである。 「新世」事件の報道は、2009 年 2 月の家宅捜査、6 月の逮捕、11 月の裁判ま での間、断続的に多数報道された。これにより霊感商法の全体像が社会に見え る形で浮かんできた。「新世」関連の記事を中心にそれを示そう。
 霊感商法の目的について東京地裁の判決(2009 年 11 月 10 日)は、「統一 教会の信者を増やすことをも目的として違法な手段を伴う印鑑販売を行ってい たものであって、本件各犯行は相当な組織性が認められ、継続的犯行の一環で あり、この点からしても犯情は極めて悪い」と認定した。検察の冒頭陳述では、「洗脳を繰り返して統一教会側に全財産を献金させることが目的だった」(朝日新聞 2009 年 9 月 10 日)と主張した。判決は、「目的遂行のために信仰と販売が混 然一体となったマニュアルや講義によって信者を訓練し、信者は霊感商法が信仰にかなったものと信じて強固な意思で実践していた」と認めた。そして印鑑などを購入した客を入信させるためにフォーラム(ビデオセンター)へ誘う一 連の流れを「生産ライン」と呼んでいた(読売新聞 2009 年 6 月 13 日)ことも明らかになった。読売新聞の記事の見出しは「霊感商法事件 統一教会隠しを指示 印鑑販売→入信 手順書押収」とある。「新世」は統一教会の「南東京 教区」の印鑑販売部門であり、信者の間では「特別伝道機動隊」と呼ばれていた。
 「新世」社長は伝道部長であったという。手順書(マニュアル)は 10 数種以上 あり、購入者に家族には内密にせよと念を押すことや、統一教会との関係を察 知されないように指示する文言があった。マニュアルは詳細な宗教的威迫に満 ちたものとみなせる。
  判決では 2 人とも有罪。社長は懲役2年執行猶予 4 年、罰金 300 万円の刑だっ た。じつは、この刑事裁判で立件対象となった被害者は 5 人だけである。しかし、 捜査対象期間となった 2007 年 10 月~ 2009 年 2 月の間に印鑑購入者は 331 人、 被害とみられる契約総額は約 2 億 3,000 万円に上っていた(東京新聞 2009 年 9 月 11 日)。つまり、刑事裁判で裁かれたのは、限られた時期の被害者 5 人へ の犯行のみだったのである。 
  被害額総体がどれほどのものであったかを推測するために、さきほど極端に さえ思える 3 つの民事裁判の例を出したのである。たとえば東京都町田市の店 舗「ポラリス」で、被害を受けた女性の警察沙汰になった金額は 40 万円だった。 しかし入信後、「悪霊を止めるため。先祖の解怨ができる」との壺の購入代や献 金の総額は 800 万円を超えていた 9)。このような場合や民事裁判でのおびただ しい事例からしても、「新世」を入口にして統一教会が収奪したとみられる被害 総額は、2 億 3,000 万円どころでないことは容易に推認できよう。
  統一教会は、しかし、一貫して事件とは無関係とのコメントを出し続けてい る。「新世」社長が起訴された時は、「当法人は宗教法人であり、いかなる営利 事業も行っていない。新世とは関係がない」とした(毎日新聞 2009 年 7 月 2 日)。 とはいえ、一連の刑事事件化は統一教会に影響を及ぼした。徳野英治会長(当時) は次の説明をして辞任した。「信者の関与が指摘され、当法人の施設に警察の家 宅捜査が入る事態を招いたことは誠に遺憾。世間を騒がせたことに道義的責任 を痛感した」(毎日新聞 2009 年 7 月 14 日)。だが組織としての責任は認めて いない。
  警察が動く一方で、宗教法人の所轄官庁である文化庁と、それを所管する文部科学省の態度はどうだったか。前節の「青春を返せ」訴訟の初判決や霊感商 法被害事件の諸判決から、統一教会の組織的責任が認定されるなかで文化庁への批判が生じた。それに関連して 2008 年に以下の出来事があった。 「夫の病死は先祖の因縁」などと脅かされた女性が、慰謝料を含めた損害賠償 を求めた裁判を東京地裁に起こそうとした。この時、女性の代理人だった紀藤 正樹弁護士は「本件被害は文化庁の怠慢によっても生じたと考えています」と、 統一教会とともに文科省もあわせて被告とする「訴状(予定)」を送ると通告 をした。すると統一教会側は、文科省の名を出す前の交渉では 1 億 3,000 万円 までしか出さないと平行線をたどっていたが、その通告後は最終的に被害額に 1,000 万上乗せした 2 億 3,000 万円を支払うと態度を豹変させた。最終的には 提訴には至らなかった。
  実は全国弁連は文化庁に対し、最高裁判決などをふまえて宗教法人法に則り厳しく対処すべきと求めていた。だが文化庁は「(統一教会は)民事で敗訴した 例は多々あっても、使用者責任を認めるにとどまる。刑事事件になっておらず、 報告や調査を求める要件に当てはまるとは考えていない」とした。これに対して全国弁連メンバーの大神周一弁護士は、「税金面除などの特典を与え調査権限すら行使しないようでは監督官庁の存在意義が問われる」と批判した。(朝日新 聞 2008 年 4 月 27 日「統一教会、なぜ高額示談 監督官庁の調査怖くて?」
  翌年、「新世」などの刑事事件がおきたが、文化庁は法的権限を行使はしなかっ た。この年、鳥取地裁米子支部において統一教会に対して霊感商法の損害賠償 請求が起こされ、そこでは「監督責任を果たさなかった」として、国(文化庁) も被告席に座らせられることとなった。この裁判は 2014 年 7 月に和解となっ た。その際、国は賠償の支払い義務はないが、「今後とも宗教法人法の趣旨目 的にのっとり、適切に職務を行っていくことを確認する」と異例の表明をした。 原告側の勝俣彰仁弁護士によると、審理のなかで「国による統一教会との面談 は 9 回にとどまり、議事録や報告書も作成していなかった」、「問題点が明らか にもかかわらず、国がほぼ何もしてこなかった」という。当初の和解案では「(国 の)従前の宗務行政の適法性、妥当性に対する疑問の余地がないわけではない」 との言及があったが、最終的には削除された(日本海新聞 2017 年 9 月 21 日)。 その後、統一教会とともに国の責任を問う提訴が東京地裁になされたが、2017 年 2 月 6 日の判決、同年 12 月 26 日の高裁判決では国の責任は不問いに付された 10)。  幾多の裁判を起こされ、刑事事件で有罪となった霊感商法と融合した布教は 現在も行なわれている。そのことはすでに本節冒頭の記事データベースのヒッ ト数一覧に示した通りだ。また、全国弁連作成による 1987 年~ 2017 年まで の毎年の被害相談件数一覧(表 3 参照)によると、相談件数の総計 3 万 4,136 件、 被害金額総計 1,191 億 6,204 万 9,769 円である。注意しなければならないのは、 これは相談の集計である。消費者被害の相談のパーセンテージは、被害全体の 一桁台であるという。まして裁判に至るのはそのまたごく一部であることをみ ると統一教会の霊感商法被害は文字通り天文学的数字に上る。  その実態が垣間見えるような資料が流出したことがあった。1999 年から約 9 年間の月ごとに韓国への送金額が記された資料によると、ある年の 4 月は 194 億円余、年間最多の 2004 年は 669 億円だった。この 9 年間だけで約 4,900 億円に達する。年平均約 570 億円である(週刊文春 2011 年 9 月 8 日。「統一教会から「4900 億円送金リスト」を独占入手!少女時代がイベント登場、 冬季五輪会場も買収・・・」)。

 また別の教団内部資料によると、2011 年に日 本統一教会本部に約 600 億円集められ、そのうち半額の 300 億円が韓国の教 祖一族に送られていたという(週刊ダイヤモンド 2018 年 10 月 13 日「正体を 隠してしぶとく活発化 年間で数百億円が “韓国” へ」)。  なお 2018 年 6 月 8 日に国会において消費者契約法の一部改正がなされ、「霊 感」の語が条文に盛り込まれた。その 4 条 3 項 6 号に「霊感その他の合理的に 実証することが困難な能力による知見」が追加され、困惑させられた消費者が 取り消しの意志を示せば契約は無効とすることができるようになった。  批判者がつけたネーミングとはいえ「霊感」の語が、すなわち、一宗教団体 の布教・教化メソッドから生じた事態の言葉が、40 年近い社会的葛藤と司法に よる違法・犯罪認定のはてに、国民を保護する法律の条文に明記されたのであ る 11)。ただニュースの報道は、業界紙を別とすれば、なかった。

4. 政界への特異な浸透  

統一教会は 1968 年~ 1970 年代に国際勝共連合として街頭で目立った動き を見せ、政界へ積極的に浸透しようとし、一定の成果をあげた。しかし、1980 年代に入ると布教・教化法の転換があり、勝共連合の可視化もなくなる。しか し活動がアンダーグラウンドになっただけで停止したわけではなかった。80 年 代で特筆しておくに値することがある。統一教会は秘密の儀式として毎年、幹 部が各国の元首に扮し、文鮮明に「屈服」の証として拝礼を行っており、日本 では、久保木会長が昭和天皇の役を行なった。このことを、世界日報の元編集 局長と営業局長が『文藝春秋』1984 年 7 月号に「これが『統一教会』の秘部 だ―世界日報事件で『追放』された側の告発」のなかで書き、霊感商法のマニュ アルや資金の流れなどとともに、その儀式を暴露する記事を書いた。手記の発 売直前に元編集局長は襲撃され瀕死の重傷を負った。しかし犯人は捕まらず公 訴時効となった。右翼は激怒し、以来、表面的には統一教会は彼らから相手に されなくなった。現在も日本会議に勝共連合が加われないのは当然といえよう。 しかし、後述するが、現在、統一教会が安倍晋三首相と密接な関係があること をみても、右派政治家との結びつきは続いてきたことがわかる。
 1990 年代には冷戦が終結した。文鮮明は金日成首相と会談し、北朝鮮へ企 業進出を図り、それは持続する(アエラ 2003 年 10 月 27 日)。1992 年、桜 田淳子らの合同結婚式の報道騒ぎの前の 3 月、統一教会と政治家との結びつき が表面化したことがあった。文鮮明はアメリカでの脱税の罪による下獄のため に日本へ入国できずにいた。それを当時の自民党副総裁だった金丸信が法務省 に働きかけ、入国させたのだった。1990 年代に入っても、メディアと社会は 統一教会=霊感商法を忘れていなかった。そのためか、教団は正体を隠すため のダミー団体をつくり、自治体や学校、行政機関を利用する試みを繰り返した。 それは一定の成功をおさめながら、現在に至っている。  2000 年代に入っても、「霊感商法=統一教会」という社会的批判は一定程度 定着しているので、政治家は統一教会との結びつきを霊感商法を引き合いに批 判される状況にある。とはいえ、安倍政権の登場と政治の右傾化、2015 年の 文化庁による「家庭連合」への改名認証など、統一教会の政治活動は活発になっ ている。その様子を順を追ってみる。
  21 世紀になっても、保岡興治法務大臣(当時)の秘書が、合同結婚式に参加した人物であるという点である。その秘書は公式な場では、本名ではなく通称 を使っていた(フライデー 2000 年 9 月 8 日)。保岡大臣は調査すると会見で考えを示した。統一教会が国会に秘書を送り込んでいることが明らかになった 一例だったが、新聞報道はベタ記事と呼ばれる下面に一段程度の小さなものだっ た(毎日新聞 2000 年 8 月 25 日)。続いて同年 12 月、法務大臣に就任した高 村正彦が衆議院議員に当選する前に弁護士として統一教会の訴訟代理人を務め ていたこと、議員になってから大蔵政務次官時代に霊感商法の中心企業である 「ハッピーワールド」から乗用車の提供をうけていたことが明るみに出た(西日本新聞 2000 年 12 月 6 日)。これも記事の扱いは小さかった。保岡も高村も、 統一教会と国会議員との結びつきを示していた。
 女性スキャンダルが報じられたのは、2002 年の山崎拓自民党幹事長(当時) である。「夜這い不倫」の相手女性が統一教会のホームで共同生活する信者だっ た。記事は、統一教会が北朝鮮と親しいことと関係づけ、山崎の行為は「女性 を介して国家の利益が左右される危険性がある」と指摘した(週刊文春 2002 年 4 月 4 日)。山崎は名誉棄損で出版社を訴えたが敗訴し(朝日新聞 2003 年9 月 8 日)、控訴したものの同年 12 月に訴えを取り下げた。2003 年には小野 清子国家公安委員長が、統一教会の別動隊といわれる「世界女性連合」の機関 紙に登場し、それを自分のホームページでも公開していた(「東京スポーツ」 2003 年 12 月 18 日)。さきの保岡、高村は法務大臣、小野は国家公安委員長 であり、タイミングとして布教・教化の違法性が司法の場ではっきりしてきた 時期であることは注意していいだろう。  2004 年 3 月に国際勝共連合と世界平和連合が共催して「救国救世全国総決 起大会」を開催した。両連合の会長は統一教会の小山田秀生会長(当時)である。 同大会は、中曽根康弘元首相が講演し、鳩山由紀夫民主党前代表(当時)はじめ 17 名の国会議員が来賓として壇上に呼び上げられた。自民 8 人、民主党 9 人。鳩山はあいさつの中で小山田にエールを送った((アエラ 2004 年 5 月 3 日)。 民主党の多さは、現在も野党にも親統一教会の系統の議員がいる可能性がある ということを推察させる。  2006 年 5 月に当時、内閣官房長官だった安倍晋三(現首相)と保岡元法相 ら 7 人の国会議員が「天宙平和連合」なる団体の福岡での大会に祝電を贈った。 同連合は文鮮明と妻の韓鶴子が 2005 年に創設したというから統一教会そのも のといえるダミー団体だった(朝日新聞 2006 年 6 月 20 日)。この大会では、 合同結婚式も行なわれ、韓国と日本の男女 2,500 組が参加した。記事では安倍 事務所は「誤解を招きかねない対応であるので担当者にはよく注意した」とある。 しかし、いくつかの週刊誌は統一教会と安倍晋三の関わりの深さを、彼の祖父 岸信介からの血脈に焦点をあてて記事にした。  週刊朝日 2006 年 6 月 30 日号は「次期首相にふさわしいのか!あの統一教 会系合同結婚式に祝電 安倍晋三とのただならぬ関係」として、統一教会の日 本での拡大に、岸が笹川良一や児玉誉士夫ら右翼の大物ともども協力したこと、 父親の安倍晋太郎は勝共推進議員連盟に名を連ねていたことなどを報じた。統 一教会と自民党議員の深い関係を語る議員秘書の次のような話がある。「『勝共 推進議員』といって、もともと自民党は選挙で統一教会の支援を受けている議 員が少なくないんです。運動員を出してもらったり、中には秘書を派遣されて いる議員もいる。もちろん全国に散らばる信者の票も目当てです」。
 先の「天宙平和連合」の大会は全国 12 か所で開かれていて、そのうち広島の大会にも安倍は祝電を贈っていた。同年 9 月に安倍は首相に就任した。統一 教会の機関紙「中和新聞」国際勝共連合の機関紙「世界思想」は「この国の 指導者にふさわしい」と期待感を滲ませている。先述したように 2006 年には 霊感商法や布教・教化が違憲であるという最高裁の判決がすでにいくつも確定 していた。全国弁連は「天宙平和連合」大会に安倍が祝電を贈ったことに対して批判の申し入れ書を送ったが無視された。同弁連の渡辺博弁護士はこう批判 した。
 「首相たる者が、統一教会のような反社会的集団に肩入れするとはどういうこ とか。国家には国民の安全を守る義務がある。にもかかわらず、反対にそれを 損なう側に協力しようとはとんでもない」(週刊朝日 2006 年 10 月 20 日)。 安倍第二次政権は 2012 年 12 月に成立した。ただし、この頃になると安倍ら 右派政治家と統一教会の親密さの報道は、週刊誌やスポーツ芸能紙をふくめて、 ごく一部を除き、鳴りを潜めたことは指摘しておく必要がある。
  安倍と「お友達」たちの統一教会との親密さが公然の秘密のように語られた のが、2015 年の「世界平和統一家庭連合」(家庭連合)への名称変更の時で あった。統一教会は同年 9 月 1 日に名称を変更したことを発表した(朝日新聞 2015 年 9 月 2 日)。
 名称変更を伝える朝日新聞の記事は 200 字強の比較的短いものであるが、そこには渡辺弁護士の「教団は正体を隠して霊感商法をしてきた。名称を変えたことで、その正体に気づかない人たちに再び被害が広がりはしないか心配だ」 との談話も入っていた。なぜこの時期に改名が文化庁から認証されたのか。統 一教会は 1997 年から韓国をはじめ各国で名称変更をしてきたのだが、この日本ではそれが叶わずにいた。その理由は明らかではないが、全国弁連は一貫し て名称変更反対の申し入れを文化庁に行ってきたという事実はある。ここに安 倍政権の影を推認する見方が浮上した。文化庁は文部科学省の外局である。名称変更時の文部科学大臣は、安倍の盟友、下村博文だった。その下村は大臣就 任期間約 2 年半の間に、統一教会系の世界日報社の月刊誌「ビューポイント」に、 3 回のインタビュー記事で登場していた。もともとのつながりのみでなく、それが認証時期と一致することから、下村の直接の影響力が推認されたのである。 なお、改名を祝う「出帆記念大会」が 9 月 12 日に千葉県の幕張メッセで 1 万人の信者を集めて開催された際、国会議員の祝電は 60 通以上あったが、読み 上げられたのは鳩山邦夫、亀井静香両氏の名前のみであった。
  2015 年は安保法制が改定された年である。翌 2016 年は参議院選挙が行な われた。その政治状況の中で統一教会の動きが展開された。2013 年の参議院 選挙では、比例区で自民党の北村経夫が統一教会の組織的支援で当選し、2016 年の参議院選挙では宮島喜文が当選した。両者とも統一教会の約 8 万票の底 上げのおかげで当選したといわれた。安保法制の改定時期のこと、国際勝共連 合に支援された大学生集団「UNITE」が出現し、「安倍政権を支えよう!」と 街頭で叫んだ。この集団は統一教会二世信者が結成したものだった(週刊朝日 2016 年 7 月 8 日、週刊金曜日 2016 年 7 月 22 日)。安倍政権が続くなか、統 一教会関連でメディアに名の出てくる国会議員をあげると、稲田朋美元防衛庁 長官、山谷えり子元国家公安委員長、荻生田光一自民党幹事長代行、元自衛官 の佐藤正久外務副大臣、中川雅治参議院議員らがいる。
  2016 年にはアメリカのトランプ大統領が選出された年でもあった。その当選直後、大統領就任式の前に安倍は諸外国に先んじてトランプと電話会談を行 い、さらにニューヨークに出かけて会談を実現した。だが当時、首相官邸はトランプとのパイプがなかった。トランプとつないだのは統一教会とかねてから 親しかった側近議員だったという。統一教会がトランプとホットラインを持っ ているというのを知っていた、というのが公安筋の情報だった(新潮 45 2017 年 2 月号)。アメリカの統一教会は 70 年代から議会でロビー活動を行い、ワシ ントンタイムズは右派政治家を支援してきた。こうした経緯があることが、そ うした情報のでてくる所以である。
   なお近年はインターネットの情報が大きく比重を増してきているが、統一教 会に関しては活字メディアよりもインターネットのほうがジャーナリズム情報も多い。そのインターネット新聞「やや日刊カルト新聞」10 月 13 日は、12 月の総選挙を前にして、統一教会と関係する 31 人の国会議員(うち 2 名は後 継者)を、具体的な根拠を挙げながら列挙した。12 月 18 日の同新聞は総選挙 の結果についての続報を伝えた。
  2018 年は国際勝共連合 50 周年の年であり、10 月 25 日に東京のザ・キャ ピトルホテル東急で創立 50 周年を祝う会が開かれた。国会議員専用受付では20 数人の議員または秘書が参加手続きをしていたという。閣僚、自民党三役 の姿はなかった。取材するメディアはほとんどおらず、主催者も取材に非協力的だったようだ。50 年前の岸信介元首相と笹川良一という大物右翼の協力、他 団体も巻き込んだ WACL の大会などと比べれば、その 50 周年を祝う会は出席 人物も数も小規模である。それは、50 年にわたる社会的批判と司法の判断、批 判勢力の活動などによる結末といえる。しかし、統一教会は政界への影響力を 一貫して持続してきた。それも第二次安倍政権になってからは名称変更に見 たようにかなり活発である。2016 年に統一教会系組織が主導した世界平和国 会議員連合日本創設式には 100 人の国会議員と秘書が出席していたのである (フォーラム 21 2018 年 12 月号)。依然として注目すべき影響力がある、と考 えられる。

5. 教祖文鮮明の死

  教祖文鮮明は 2012 年 9 月 3 日に死去した。92 歳だった。彼が 1975 年に 創刊を提唱した日刊紙世界日報は、1 面に「世界平和に貢献」との見出しでそ の死を報じた。3 面の解説記事では、彼が行った国際貢献を挙げているが、そ れは次のように 4 つにまとめることができる。

①国際勝共連合(1991 年)、世界平和連合(1991 年)、世界平和家庭連合(1996 年)などを創設

②言論分野では、世界言論人会議を 1978 年から毎年開催。同会議において 1990 年には旧ソ連のゴルバチョフ大統領と会談。1982 年に米紙ワシント ンタイムズを発刊

③ 1992 年の世界文化体育大典で「再臨主であることを公けに宣言

④ 2009 年に自叙伝『平和を愛する世界人として』を刊行し、20 言語に翻訳 された。

 またワシントン発の記事は「米メディア、功績を称える」とあった(世界日 報 2012 年 9 月 4 日)。これらに示されていることは、いわば教団による文鮮 明の対外的自画像といってよいだろう。  では日本のメディアはどう報じたか。朝日新聞は 8 段の大型記事を掲載した。 その見出しは以下の通り。

「統一教会、トラブル今も 霊感商法、被害相談 1,129 億円 説教集は1冊 3千万円 合同結婚式、破局も 遺産相続巡り教団内で紛争」(朝日新聞 2012 年 9 月 4 日)。

 他紙は朝日新聞ほど大きく報じなかったが、記事は霊感商法と合同結婚式が 社会問題化したことが共通していた。この 2 つが日本社会がもっとも記憶にと どめている統一教会の活動といえよう。ただ読売新聞 9 月 4 日は「メディアに も影響力 北朝鮮に積極的投資も」の記事を載せた。宗教専門紙の「中外日報」 9 月 13 日は、全国弁連全国集会での渡辺博弁護士の次の報告を伝えた。「(15 日に韓国の)教団施設で営む葬儀で日本の信者 3 万 2,000 人が動員され、1 人 あたり弔慰金 12 万円を持参するよう指示が出ている」。実行されれば 40 億円 である。また、「日本は四男派の一枚岩。四男は三男との係争を抱え(裁判金調 達のため)日本に対する献金要請で新たな被害が出る恐れ」があると指摘した。  週刊誌、スポーツ芸能紙は報じても大きくはなかった。「アエラ」2012 年 9 月 17 日の 1 ページ記事は「教祖の死すなわち献金」と見出しにあるが、内容 は最初に着物姿の在韓日本人女性信者が、韓国各地において慰安婦問題を謝罪 すべく「土下座」のような「奇妙なパフォーマンス」を繰り広げていることを 伝えている。また 2006 年に完成した清平チョンピョンの巨大な施設群と教団ビジネスにつ いてふれているが、文鮮明の死に関しての言及は少ない。この施設群のうち修 行施設は、日本から信者を連れて行き霊感商法を実行する場として関係者には 有名である。  教団後継者については教祖死去の前から利権争いからの分裂が伝えられてき た。実際、教祖死後に教団は分裂。状況の流動後、結局、教祖の妻、韓鶴子ハンハクチャが「新 教祖」として不動産を握り主流派となり、三男の顕進ヒョンジン派、四男国進クッチン・七男亨進ヒョンジン 派の 3 つに分裂した。日本の統一教会の大勢は韓鶴子に従った。しかし、これ に対し四男・七男派は韓鶴子が教義を変え「自分がメシア」だと言いだしたこ となどをとらえて主流派を非難。日本の四男・七男派は本部に押しかけて騒ぎ になったことがあった(週刊新潮 2017 年 3 月 16 日)。なお七男はサンクチュアリ教会を立ち上げた。ネットでは、アメリカの同協会の儀式で四男の銃器製 造販売会社が作った銃を、信者たちが手にしている写真が出まわっている。

ショーン・ムーン牧師(左)、彼が経営するサンクチュアリ・チャーチの信者たち(右)。Bryan Anselm/Getty Images (L), Don Emmert/Getty Images (R).

むすび

  ここで述べた統一教会に関する報道記事から何が見えてくるであろうか。以 下に列挙したい。
 第1に、活字メディアの統一教会に関する報道の多さである。これは日本における布教の初期から増減を繰り返しながら 50 年にわたり持続している。宗教団体の記事としてはもっとも多い部類に属し、内容は社会との葛藤を扱っていることが特徴である。女性週刊誌やスポーツ芸能紙の桜田淳子報道にしても、底流には社会との軋轢がながれている。教団と社会との緊張は、依然として一 定程度続いていると言える。
 第 2 に、活動の内実が宗教を核および外皮とした、多くの企業を擁するコン グリマリットであり、かつ政界、政治家、学校を含む行政機関への浸透を図っ てきたことである。自己利益の追求が重大関心であり、かつ、布教において正体を隠したりする。数多くのダミー団体をつくり、あたかも統一教会とは関係ない団体であるかのように装ったりする。ダミーとして、法人格を有した天地正教という仏教教団をつくり、活用した時代もあった。
 第 3 に、教祖のカリスマを中心に、独特の聖書解釈による教義と儀礼が構築 されている。「地上天国」創造と人類救済の使命感を持ち、自己犠牲を厭わない ことを理想とする。宗教的実践として合同結婚も霊感商法も敢行する。筆者の 視点からすると、そうした精神構造、信仰構造の根底には、「スピリチュアル・ アビュース」(霊性虐待、信仰虐待)が横たわっていることになる。信者たちが、 自分たちの行為は社会的には強い批判がなされていると知ったとしても、内省 や疑いに至ることは難しい 12) 。
 第 4 に、司法の場においては、社会との軋轢を生んだ教団の活動全体に対し て強い疑義がたびたび示されている。それは、2 節で紹介した「青春を返せ訴訟」 (違法伝道訴訟)における一連の布教・教化についての違法性の認定からも分か る。裁判所は当初は旧来の「信仰の自由」論から教団の布教・教化を是認したが、 元信者側の膨大な具体的事実に基づく立証により、最終的には最高裁がその違法違憲性を指摘する複数の判決を出した。
  第 5 に、霊感商法については、民事では最高裁によるいくつもの違法認定があり、刑事事件とて摘発されたものは犯罪であるとされた。しかし、布教・教 化にしても、霊感商法にしても、教団は根本的に改めることはしていない。この点は遵法精神の欠如と指摘することができる。
 第 6 に、本論が紹介してきた事実と教団の行動パターンを直視し、公共の福祉を守るという観点に立てば、憲法と法律にのっとった国による宗教法人への 対応が求められる。文化庁は具体的に対策をとっていないが、文化庁のみがそ の責を負うとは言えない。  第 7 に、国の対応に関しては、政界、具体的には政治家と教団の親密な関係 の影響を指摘せねばならない。統一教会の政治家への働きかけ方は、組織票のとりまとめのような一般的な宗教団体による政党や政治家へ支援とは少しレベ ルが異なる。秘書養成教育をしたうえでの国会への秘書の送り込み、ボランティ アつまり経費のかからない運動員の提供、それと組織的投票など、かなり深い 関わりである。政治家利用と遵法精神の欠如との関係を指摘せざるを得ない。
 第 8 に、二世信者の存在がある。彼らはすでに成人し活動の前線に立ちつつ ある。キャンパスでの布教、「UNITE」の出現などでそれはわかる。統一教会の活動は継承されている。一方、親や社会との葛藤を起こす二世が存在し、彼ら はその人生において、信者として育ったがゆえの苦難を背負うことがある。こ の二世問題は表面化しにくく、さまざまな問題があることが推測される。
  第 9 に、統一教会の影響を受けた「カルト」集団や教団の存在の問題がある。2000 年初頭に、男児のミイラ化した遺体と乳児の遺体が見つかった宮崎 市の「加江田塾」事件が報じられた。その主宰者と中心メンバーの女性は、元 統一教会の信者だった。合同結婚式や共同生活を行い、霊感商法のようなこともしていたという。統一教会を脱会していても、身につけた教団の方法を踏襲 していたと考えられる(毎日新聞 西部本社版 2000 年 1 月 21 日、読売新聞  西部本社版 2000 年1月 22 日、週刊文春 2000 年 2 月 3 日)。また、教祖の 鄭明析チョンミョンソクの女子大生への暴行が常態化していた「摂理」(キリスト教福音宣教会)は、1980 年代半ばに韓国から日本に伝道された宗教である。鄭明析チョンミョンソクは元統一 教会信者で、教義は同教会と類似し合同結婚式も行った。2002 年には「週刊ポスト」(2002 年 11 月1日、8 日、15 日の3週連続)が上記の内容を報じたが、 大問題となったのは 2006 年 7 月から朝日新聞(大阪本社が中心)をはじめ とする新聞雑誌が批判告発してからだった。事件が統一教会と関係ないとしても、集団の来歴からして「加江田塾」も「摂理」も統一教会の大きな影響のも とに生まれたと言える。宗教レトリックで精神を呪縛し、脅迫する霊感商法の手法は、客観的には、多くの開運商法の源流になった可能性がある。
n 統一教会は 21 世紀においては「カルト問題」の脈絡において語られることが多い。宗教と社会の軋轢あつれき、葛藤は、以前からあったとはいえ、より多様に複 雑になっている可能性がある。1980 年代後半に出現し、1990 年代から大きな 社会問題を引き起こした諸宗教、オウム真理教をはじめとして、エホバの証人幸福の科学霊視商法の本覚寺・明覚寺法の華三法行ワールドメイトをは じめ、集団の規模は小さいものならばラエリアン、愛の家族、ライフスペース、 ホームオブハート、神世界などを視野に入れると、統一教会の活動もまた従来 の宗教史研究とは異なった視点から見ていく必要性を感じさせる。ニューエイ ジ、スピリチュアル、パワースポットなどの現象もまた、その比較の視野に入っ てくると考えられる。  「形骸化が著しい伝統仏教の現状にみられるように、日本人はいまや宗教と 正対する意思も言葉も持っていない。この精神世界への無関心は、理性や理念 への無関心と表裏一体であり」とは、作家の高村薫がオウム事件の死刑囚の初 めの 7 人が処刑された直後に書いた文章である 13)。「カルト問題」を現代社会 の深刻な問題として考えていく上では、信仰や「精神世界」を声高に叫んでも、 じつは「精神世界への無関心」の裏返しではなかったのではないかという見方 をとってもいいだろう。「理性や理念」が薄弱であるからこそ、「カルト問題」 は繰り返されるのではないかという問いかけである。そして、高村がいうよう に理性や理念への無関心は、精神世界(まだ宗教はその中心に位置すると思う) への無関心なのである。
  AI が人間のあらゆる面にかかわり、脳科学の知見が俗流化して行き渡る時代 が目前に来ている。そうした時代に、統一教会が日本社会で展開してきたことを、 具体的な事例に沿って明らかにしていくことは、現代日本における理性、理念、 理想、霊性のあり方を深く考察することにもつながっていくと考える。

1)統一教会は公称信者 60 万人、206 教会(世界日報 2015 年 9 月 4 日、文鮮明死去の 記事中の表記。近年、『宗教年鑑』に信者数の記載なし)、エホバの証人の信者数は『宗 教年鑑』によれば 1995 年以降、20 万人台をキープしている。

2) 教団は「祝福」と称するが、社会的には「合同結婚式」の名で認知されているので、 本稿では「合同結婚式」とする。

3) この節は主に以下を参照した。 櫻井義秀・中西尋子『統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版 2010)、 山口広『検証・統一教会・霊感商法の実態』(緑風出版 1993)、青木慧『パソコン追跡 勝共連合』( 汐文社 1985)、茶本繁正編『増補合本 原理運動の研究資料編Ⅰ・Ⅱ』(晩 馨社 1987)、茶本繁正『原理運動の実態 ファシズムへの道』(三一書房 1987)、茶本 繁正『原理運動の研究』 ( 晩馨社 1977)。

4) 藤田庄市『宗教事件の内側 精神を呪縛される人々』(岩波書店 2008)154 頁~ 164 頁、藤田庄市『カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビュースの論理』(春秋 社 2017)、pp.185-192。

5) 郷路正記「青春を返せ訴訟二五年―-統一教会との闘い」桜井義秀・大畑昇『大学の カルト対策』(北海道大学出版会 2012)。 6) 櫻井義秀・中西尋子『統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版 2010)。

7) 藤田庄市『カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビュースの論理」』(春秋社 2017)、pp.199-202。 8) 山口広『検証・統一教会=家庭連合 霊感商法・世界統一家庭連合の実態』(緑風出版 2017)。

9) 藤田庄市『カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビュースの論理」』(春秋社 2017)、pp.178-192。

10) 藤田庄市『カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビュースの論理」』(春秋社 2017)、pp.193-198。江川剛「統一協会の所轄庁としての国の責任」(『宗教法』第 37 号、 宗教法学会、2018)。

11) 法律用語となった「霊感」商法。「霊感商法」を規制する消費者契約法改正案が成立。 https://blogos.com/article/303285/ 

12) 藤田庄市「スピリチュアル・アビュース―― カルトの根底に潜むもの」(「一冊の本」 2018 年 2 月号 朝日新聞出版)、藤田庄市『カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・ アビュースの論理」』(春秋社 2017)、pp.3-30。 13) 高村薫「精神世界 無関心な私たち オウム事件 言葉にする努力を放棄」(朝日新 聞 2018 年 7 月 10 日)。  

http://www.rirc.or.jp/20th/Rirc20th_inbound8_Fujita.pdf

上のPDFを自分のために複製しました。

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