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貯金箱

我が家には子どものものを除いて2つの貯金箱がある。
豚と郵便ポストを形どった、割と大型のものだ。

受け取ったお釣りで財布がぱんぱんになってしまうことがよくあった。
まだ現金がメインで買い物をしていた頃だ。
そうした時には帰宅後、なにも考えずに財布に入っている小銭を全て貯金箱へ入れてしまう。
こうして財布のスリムな状態を維持し、且つ小銭貯金をしていた。
しかし徐々にクレジットカード払いに移行していったのと、
さらにコロナ禍でのキャッシュレス払いの追い風とを受けて、
現金の出番はほぼなくなってしまった。
そして少し前の郵便局の小銭入金が有料化されたニュースを見たことがきっかけで、
小銭をこのまま貯め続けることに疑問を持つこととなった。

しかしここは震災大国の日本。
もし震災による大停電が発生したらキャッシュレス決済は不可能となる。
すると強いのはやはり現金だ。
そこで私は100均へ行って小銭ケースを家族分買い、そこに小銭を入れて保管しておくことにした。
貯金箱のままではいざという時にすぐに使えないのと、どれくらい現金があるのか管理もできない。
それから出先でなにかあった際に、ICカードでは改札を通れない場合や、公衆電話から自宅に電話できるようにと、
小さなジッパー付きビニル袋に100円玉と10円玉を数枚ずつ入れて、カバンに忍ばせることにした。
それでも余った小銭は小分けにしてATMから銀行に入金することにする。

貯金箱の中身をテレビを見ながら数えたらなかなかの金額が貯まっていた。
これで旅行の足しにしようと思っていたんだよなと思いがよぎり
やはり楽しいことにぱーっと使ってしまおうかとも考えたが、ここは堅実に備えに徹することにした。

貯金箱はどちらも年代物で、私が中学生のころにはあったものだ。
豚は亡き父が私にお土産に買ってきたもの、郵便ポストは同じく亡き父が使っていたものだ。
字面だけ見ると確かに思い出の品であり、視界に入れば「かつて」を思い出させてくれる。
その「かつて」は「思い出」というきれいなものだけではなくて、
「過去」という思い出したくないものも芋づるを手繰り寄せるかのように甦らせる。
表情とか、声とか、雰囲気とかそういった嫌なものばかりを。
しばし悩んだのだが、空っぽになった貯金箱は両方とも処分することにした。
どちらの貯金箱を見ても心が動かないのだ。

物を大切にすることと、物に執着することはちがう。
私は気に入ったものに囲まれて、豊かに生活を送りたいと願っている。
その目的に叶わないのであれば、『ありがとう』と手放すことも必要な通り道だと思う。

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