見出し画像

【哀れみはいらない】全米障害者運動の軌跡 part1

どうも、おっさーです!
よくアメリカや北欧の障害者福祉は日本のそれと比べてかなり進んでいると言われますが、重度の障害児を育てる親であるぼくとしては、実際にどんなところが進んでいるのか興味があり、今回この本を手にしました。

哀れみはいらない:ジョセフ・P・シャピロ著

こちらは、ADA法(アメリカにおける障害者の差別を禁止し、他者と同じようにアメリカでの生活を営むことができる機会を保障する公民権法)の制定を中心とした、全米障害者運動の軌跡を辿った本となります。

アメリカにおいても、過去には障害者を取り巻く環境は劣悪で、かわいそうな哀れむべき存在とされていました。
でも、「我々に必要なのは哀れみではない、人権だ!」と障害当事者やその家族たちが立ち上がり、今日の公民権を獲得、社会との WIN WIN の関係をつくっていった物語には、胸が熱くなるものがありました。

障害は他人を勇気づけるために乗り越えるものではない

「障害者」ティモシー・クックはとても優秀な弁護士でした。
38歳の若さで障害者の権利を確立するいくつもの有名な訴訟に勝ち、公共バスに車いす用リフトを設置する義務をもたらしたのも彼の業績でした。
そんな彼の葬儀の際、友人たちは心からこんな弔辞を送りました。

「彼は決して障害者には見えませんでした」
「今まで会ったなかでも彼が一番障害者らしくありませんでした」

ティモシーへのこの弔辞は、友人としては最高の誉め言葉だったことでしょう。
でも、葬儀が営まれたこの礼拝堂では、この「褒め言葉」にうなだれた人が少なくありませんでした。

「あなたはまったく黒人らしさを感じさせない素晴らしい方ですね」
と黒人に言い、
「あなたは女性っぽくふるまわない素敵な方ですね」
と女性に言ったら、
無神経で差別的な人だと思われるでしょう。
でも、障害者に対しては、こんな言葉が褒め言葉として普通に使われているのです。

クックの友人たちもけっして障害者を差別したかったわけではなく、彼に対する誠実な気持ちとしてこのような表現が出たのでしょう。
でもこの一件は、障害者とその周囲の人たちの理解の大きなズレを浮き彫りにしています。

アメリカにおいても障害者に対する偏見、彼らに対する期待の低さ、そして、まったく時代遅れな福祉制度といったものは存在していました。
そのような中、

『障害は他人を勇気づけるために乗り越えるべきものではない』
『障害そのものは哀れむべきものでも悲劇でもない、それよりも、障害者に対して社会が作り出した神話や恐れの気持ち、固定観念こそが障害者の生活を困難にしてきた』

障害者やその家族たちはこのように訴え、アメリカの障害者権利運動は広まっていったのです。

障害者人口の増大

医学の発展は多くの人の命を救っています、しかしそれは延命治療も発達させ、逆に障害者人口は爆発的に増え続けることになりました。

この著書によると、第一次世界大戦時に戦場で下半身マヒになった負傷者のうち400人はとりあえず一命をとりとめたが、その内90%は自国にたどり着く前に死亡していた、ところが第二次世界大戦時には、同じような肢体マヒ者は2000人が生き延び、しかもその85%は1960年代まで生きていたとのことです。

抗生物質系の医薬品や新たな医療システムの開発も人口増加に寄与しました。
1970年代の中頃には、脳損傷を受けた人々の90%が死亡していましたが、今日では逆に90%の人々が生きています。

障害児として産まれてくる人の数も増えています。
その昔、未熟児として産まれてきたあかちゃんが生きていくことは不可能だと思われてきましたが、医療の発展により今日ではそれが可能となりました。
500グラムから700グラムの体重で産まれてきた未熟児の50%は生き、しかし、その過半数は何らかの形で神経上の障害をもっています。

アメリカが長寿国になったのも障害者人口を増大させる要因となっています。
この本が書かれた1999年ごろ、障害をもつアメリカ人の3分の1が65歳以上の高齢者であり、アメリカ全人口の13%にあたる3200万人が65歳以上の高齢者でした。
今ではその割合はもっと増えていることでしょう。
けれども、多くの高齢者は障害者権利運動との関わりを避けて通ってきました。
その理由について、この本ではこう述べています。

障害者の一生なんてみじめでこれっぽっちの価値もない。こういう世の偏見とともに生活し高齢者になったからだ。障害者という烙印が自分たちに押されてしまうことを恐れているのだ。

引用:p11

障害者も高齢者も最大限の自立を実現したいという気持ちは同じはず、だとすれば、本来両者は強力な同盟関係にあるはずです。
障害者問題を考えることは高齢者問題を考えること。
高齢者問題を考えることは障害者問題を考えること。

超少子高齢化社会の中にある日本においても同じように、障害者問題に取り組むことは非常に重要なことではないでしょうか。
なぜなら障害をもつということは、一部の特殊な人たちのみがなりうるものではなくて、すべての人がいつ何時その仲間入りをするかわからない。
そして、歳を重ねていけば、最後は誰もが何かしらの障害をもって生きる
ことになるからです。

ADA(障害をもつアメリカ人法)

ADA(障害をもつアメリカ人法)は1990年に成立しました。
1964年に成立した公民権法(黒人や女性、他の少数民族・人種に公民権を保障する法律)を障害者にも保証したものです。

このシリーズでは、この著書を基に、ADA法を成立させ障害者が公民権を獲得するに至るまでのストーリー、アメリカにおける全米障害者運動の軌跡をご紹介していきたいと思います。

次回 PartⅡは「ポスターチャイルド」についてのお話となります。
重い障害をもつかわいそうな子どもが必死にがんばっている、そんな姿に同情した健常者が哀れみの心をもって寄付をする。
その象徴となるのがポスターチャイルドです。
しかし、そんな世界から、慈善や哀れみを拒否するかたちで障害者権利運動は広まっていきます。

哀れみはいらない:ジョセフ・P・シャピロ著


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?