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第六話・私の父の問題Ⅲ

写真だけ見ると、幸せそうに見える私の家。でも、親の生き方で苦労した。本人たちは、どうしようもない事なのかもしれないけど、私たち子どもにはきつかった。母が良く言っていたことがある。父は、感謝したいと思う事をしてくれるのだが、それを台無しにする事もする人 と。言葉通りだなって私も思う。

父が祖母のしていた保険の外交という仕事を始めるにあたって、資格が必要と言う事で、資格を取って、自動車営業じゃ、ガス代がかかるからと言って、東京ー横浜間をバイクを使って営業していた父。働く時は働く。でも実は働けるときは働くだったのかもしれない。

狭い2部屋とキッチンダイニングに風呂トイレという小さいアパートで暮らしていた私達は、本当にギリギリの生活だったけど、何年かして、父の努力が報われて、年収500万くらいまでになったと父から聞いた。数字の正確なところは分からないが、生活に困った感がなくなってきたことを感じてはいた。

けど、どうやってもこうやっても、母の飲酒問題は治らなかった。周期的に酒を飲んでは倒れるという問題は解決しないまま。思い出すに、母も双極性パーソナリティー症なのではなかろうか?と思うのだよね。私は医者でもなく、全くの素人なんで、ここでは分かりやすく、あえて病名を言うけど、そうだとは断言してないのであしからず。チャンスがなくって医者に連れて行けなかったので。

この時だったのだよね、例の成長の家の合宿に行ったのは。しばらくは良くなったけど、結局離婚になったのがそれから数年後。母はたまに家出をするようになっていた。それでも、家に帰って来て、また生活し始めるも、父と喧嘩しては、家に帰りたくないので、近所の公園の遊具の中で寝たりしていた。笑 普通やらないよね、そんな事。でも、大量に飲酒してからそこで一晩明かしたらしく、本人にとってはどうってことなかったんだと思う。今現在、そんなことをしたら、殺されてるよね?今物騒だからね、日本も。

2011年に、弟が亡くなった件で、日本に帰った時に伯父さんの家に行った。昔話をいろいろとした時、母の公園で野宿の話をしたら、横で聞いてた伯母さんが、近所に友達だっているのに、友達に見られたら大変じゃない?あら、乙女心が傷ついちゃうねぇ。(伯母さんはチャキッチャキの江戸っ子)と私に言うから、伯母さん、私そんなもんはじめっから無いよ!あんなうちに育つと乙女心もへったくれもないよ!と笑った。

そんなことで、私が中学3年生の1学期が終わったところで、両親は協議離婚をし、父と母の離婚が成立した。祖母の亡くなった10歳から5年後に離婚になった。私はホッとした。面白いことに、私の大運天剋地冲が終わったのが、ちょうど両親が離婚した時。ヤバいくらいにお手本通りなのだ。笑

母は横浜に残り、父と子供たち3人は、埼玉のとある市に引っ越し。行く前に、母親代わりになってくれる人がいると父から聞いて、誰かが来るというのはなんとなく知っていた。それでも私は、動揺することはなかった。私はこの状況から逃れられるなら、別の問題も受け入れる覚悟が出来ていた。

引っ越しの荷物が出て、私は弟達と新築の埼玉の家に電車で向かった。父は車で埼玉の家に行くと言っていた。駅についてお蕎麦屋さんでお昼を食べた後、その家に行ったと思う。そして、私の部屋に入ると、サーファー独特の香水の匂いがして、別な誰かの荷物が置いてあった。なんと、父の結婚相手の連れ子の荷物だったのだ。

私もバカだったから、その時は気が付かなかったのだが、最近になって気が付いたことがある。父の勘定に私は入ってなかったのだ!父は私だけは母と一緒に暮らすと思っていたのだ。その連れ子の荷物の中に、マイケル・ジャクソンの。Off the wall があって、コッソリ聴いてやった。笑 今でも私の大好きなアルバムだ。マイケルはいいよね。(音楽の趣味は合う?)

そんなこんなで、勘定に入れられてない私がいたために、いろいろとややこしくなり、私は目撃してないのだが、連れ子、当時21歳男が、母さんを返せ!と家にやってきたと聞いた。やれやれ。またひと騒動ありそうだと、私は本当に休む暇がない。

しかしだ、21歳ってそんなに幼いっけ?と今でも思う。私だったら、やった!親がいなくなった!と開放感なのにな。彼もシングルマザーで、母が夜のお仕事と言う事で、いろいろと屈折する部分もあったのだろうと思ってる。のちに弟から聞いた話では、彼が自殺したと聞いている。これも、人から聞いた話だそうで、定かではないのだが。そんなに辛い何かがあったのか?と、可哀想な境遇を思う。

どうして、私の周りはこんなに騒がしいのだろうね?思い出してもため息が出る。その女性は、昔の言葉で言えば、所謂水商売の女性だった。歳は父より上だった。でも50歳近くの熟女で、もともとが、水商売の人だから、埼玉のあの辺では、犬(シェトランドシープドッグ)を連れて買い物してても超目立つんだよね。それが嫌だったかな。(また母の恥ずかしさと違う恥ずかしさがあった)

仕事は父との結婚を機に辞めたのだけど、そのうち、ローンだなんだって、家計が苦しくなって、夜働きに出ていた。毎日派手な格好をして、真っ赤な口紅塗って夕方から仕事に出かける彼女を、お母さんと呼ぶ気がしなかったのは言うまでもなく。友達には、この人の事を一切話さずにいた。当時の私は高校生。多感な年ごろだ。

彼女の口癖は、お金なんて働けばいい事だけ。だった。うん。そうなんだけどね。と中学生ながら思った。ちなみに、とても綺麗な人だった。でも、それも、私の母の美しさとはちょっと違っていた。父は、この人にぞっこんだった様だ。彼女は悪い人ではないけど、時々何を考えてるの分からない様なところがあった。私の勘では、いい人だと思う。けど、息子さんの様子を見ると、やっぱり、どこか自分向きな考えの人だったのかもしれない。

そのうち、いろいろと計画通りに行かなくって、気不味くなった父が、どうにかして、彼女に気に入られようとして、彼女の両親を東北の実家から呼ぶということになって、しばらくすると家の増築が始まった。もちろん、父の事だからまた銀行に借金をしてだろうと思う。もともと狭い庭があったのだが、増築で和室を作ったため、庭が完全になくなった。今でもその家はあるのだが、壁ギリギリまで和室が出ていて異様な感じになっている。あの家、よく売れたよなと、今でもグーグルマップで見て感心する。

結局、その女性と結婚したいが為、身の丈以上にお金を使った父。あっという間にその女性とも離婚になり、しばらくは、当時高校生だった私が家事を手伝って、なんとか生活できていたが、いつだったかよく覚えてないけど、魔が差したのか、はたまた、軽躁だったのか、別の女性を家に引っ張り込んだ。またもやコブツキで、小学生の男の子2人。その時、私はすでに仕事をしていたと思う。

父の言い方がムカッと来た。お前たちが言う事を聞かないから、家の中の事をしてくれる人が来てくれる。という言い訳。バカみたい。笑 こういう正直に言えない所がダメなんだよねと思うんだな。それに女性にも失礼。女、子供を舐め切っているから、最後にああなるのだ。いつも思うけど、生き様は死に様。

そしてまた水商売の女性らしい。父は本当にモテない人なんだなーってその時に思った。それと同時に、女性の選び方が、3回とも、可哀想な境遇の女性 という共通点がある。やっぱり、父は、心に闇を抱えてそうと思ったのもこのころから。この人は最後まで籍を入れず内縁の妻だった。

話が前後してしまうが、私が新入社員だった時に、41歳で亡くなった弟が交通事故に遭った。それは、父が結婚した女性が出た後だった。脳挫傷で生死を彷徨ったのだった。この話も後程する。まだ彼が13歳だったと思う。

家に来た、女性とその連れ子の事や、大事故の後遺症も奇跡的に回復し、当時高校に入ったばかりの弟の事を考えると、弟を置いて自分だけ母のところに行っていいのかな?と思ったけど、私は21歳の時に父の家を出て、横浜の母のところで一緒に暮らし始めた。上の弟は、すでに家を出ていたように思う。あとは前に説明した通り、私の人生がやっと動き始めた。こんな経験から、私は埼玉県が大嫌いになってしまった。笑 二度と住むことはないだろう。

その後の父の様子は、上の弟から聞いたりしたかもしれないが、ぶっちゃけどうでもよかった。私は父のマッドハウスから抜け出せた事で気がうんと楽になったのだから。

ここで、父の問題はいったん終わる。この先も理解しがたいエピソードがアメリカに行くまで、そして、その後も続くんだよね!トホホ。毒親の毒は、生きてるる限り続くんだろうね。笑







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