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ザ・雑談・電話盗聴疑惑

私は、毎朝のルーティーンとして、夫が起きて来るまでユーチューブのお気に入りをチェックしながら、作品作りをしている。

中でも、お気に入りの、元文集記者チャンネル を観ていたら、赤石さん(元文集記者)が、先日、訪れた韓国で電話を盗聴されたかもしれないという話で、思い出した話がある。

クロアチアに赴任になっていた時の話なのだけど、うちにもあった、電話盗聴疑惑。赤石さんの話を聞いていて、ああ、あるあるだよね~!と思った。

まあ、夫が大使館職員だったから、そういう事が全くないかと言うと、まあ、そうなんじゃない?っていう感じで、特に珍しい話でないように思ったし、普通の主婦の話なんか聞いても面白くないだろうし、まあ、いっか。と言う事で軽く流していた。

ある日、私が日本の大使館員の奥様か、地元の日本人の奥さんと電話で話をしていた時に、電話がおかしくなったことがあった。エコーがかかるような感じや、クリッキングノイズが入ったり、途中で音声が聞こえなくなったりと、電話が混線してるよう感じがしたので、後に大使館のメンテナンスの人にチェックしてもらったら、なんともないという事。

夫はIT専門の職員だったのだけど、国務省に入る前の、仕事が見つからなかった時に、電話会社のテック関係の仕事もちょっとしてたので、電話の事にも詳しい。夫曰く、よくは分からないが、人に聞かれてもいい話だけをすればいい事だけ。と言う事だったので、普通過ぎる主婦の会話しかしないので気にならなかった。

あの当時の私には、まだ就学前の年子の子供が2人と、子育てで忙しくって、ベイビーシッターが来てくれる時に、他の大使館の奥様達とインターナショナルウォメンズクラブのミィーティングに参加するくらいしか楽しみはなかった。確かその話を日本大使館の奥様としてた時だったかと思う。なぜなら、日本語で話していたから。

あれ?なんか電話変ですよね?と言うと、いや、こっちは何でもないですけど。という。私が、もしかしたら、盗聴されてるのかもしれない、この国、元共産国だから。って、笑いながら、聞こえますか?などと、日本語で茶化したりし、聞いているのかどうだかわからない、電話の向こうっ側の人に話しかけたりして笑ってた。それも日本語で。だいたい日本語が分かる人しか、分からないじゃんねぇ?とか、いろいろ言いながら、次のミーティーングの話をしてたりした。(盗聴前提で)

その後、近所の人とコーヒーをしてた時の話。彼女から、ちょっと気味悪い話を聞いたのだった。、それは、私の家の大家の話だった。クロアチア人はとても人懐っこいので、私は、自分の家のあるストリートの住民と軽く近所付き合いはしていた。あの家は元コミュニストパーティーだから っていうじゃないか!ええ!そうなの?もしかしたら、マジで電話を盗聴されてるかもしれない!って、あっという間に気味悪くなった。

しばらくしてから、家の中のちょっとしたものが物が良くなくなるので、ちょっと、クリーニングレディーが怪しいのかな?と疑ってた時に、夫の出張のエアチケットの控えが無くなったのだった。その時は、やっぱり大家が怪しい!んじゃないか???と、少々精神的にもやられた時期があったのだった。

私達の借りてた家は、崖っぷちに立ってる家で、谷の斜面に家が建てに3つ立ってる感じの家だった。一番下が、私の家の大家、真ん中が私の家、そして通りに面しているのが、大家さんの姉の家だという事だった。

なので、大家さんのお姉さんが住む家から見下ろせる私の家なのだったが、何故か、いつも様子をうかがってるかのごとく外に出て来て、洗濯物を干したり、外に座ってタバコを吸ったり、編み物したりと、はじめは、いかにも東欧風な生活だなって思って見ていただけだったが、監視してるんじゃないか?と疑い始めたら、気味が悪くなりすぎて、そっち側(大家のお姉さんの家のある側)の一階の雨戸を全部閉めた時期があった。もう、気が狂う一歩手前だったと思う。笑

そして、上のピアノの上に隠しカメラを置いて、調べた時期があったんだわさ。ww このピアノは、大使館のガードマン(女性)の物だったもので、彼女は本来は芸術家でピアノで卒業したらしかった。このピアノはもう古いので新しいのが欲しいからと、うちの主人が高値で買ってあげたものだ。

当時のクロアチアは戦争が終わって5年くらい経っていたかな。とにかくディグリーを持っていても就職先が見つからない経済状況だった。今はどうなんだろうね?だから博物館に行くと、大学を卒業したけど仕事が無くって学芸員をしてる。私は東ヨーロッパの歴史が専門なの とか、家にこのピアノの調音をしに来てくれた人は、大学のプロフェッサーだという事。安い値で、子供にピアノを教えるよって、その値段で?と驚いたのであった。それくらい経済が悪くって大変だった時期だった。

しかし、後からそのチケットの控えが出てきた時は、しまった!と言う気持ちになった。なんと、その紙は本と本の間に挟まってた。その本の束も念入りに調べたつもりだったのだが、そこから紙は出てきた。

とにかく引っ越すまでは気持ち悪くって、絶対に、中国とロシアの赴任はないなって心に決めたのだった。笑

毎回、ロシア赴任とか、中国赴任とか聞くと、きっと肝っ玉の据わった人なんだろうなって感心するのであった。

有名ピアノ制作者のレプリカだと
ピアノに詳しいスイス人の友達が言っていた
このペイントが素敵だったんだけど
音がめちゃくちゃダメで
練習用にも使えないし
メキシコ人に300ドルくらいで売ってしまった

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