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第二十一話・やっと軌道に乗るという感覚

ウエイティングもこんなに長くなると、試練なのだろうね。普段気の短い夫が良くここまで我慢できたと思う。が、本人曰く、それまで軍で働いてきた年月を絶対に無駄にしたくなかった。政府関係の仕事で20年勤め上げ恩給を必ずゲットしてやる!と言う、執念みたいなものがあったから我慢できたそうだ。笑 なるほど。

まさか自分がアメリカの首都ワシントンDCで暮らすとは、思ってもみなかった。夫の為、自分の為にコネクション作りをしたら良かったのかもしれないが、そういうのに全く興味がなく、ダウンタウンに行って博物館めぐりが趣味だった。笑 そういった意味でワシントンDCはとても楽しいところだった。

私の住んでいたエリアからバスと電車であっという間にワシントンDC。その便利さは日本と変わらなかった。夏も日本より爽やかな夏で、私はとても快適だった。バスに乗ってポトマック川の川岸に出れるので、たまにがお水が見たくなったら、バスに乗って一番端っこまで行けばいい。そして向こう側は、ワシントンDC。桜の名所なのだが、寿司なら日本で食え と言うの同じかどうかは知らないが、桜は日本にもあるじゃん?とDCでお花見したことが一度もなかった。笑

やっぱり変わってないな私と、今になって思う。組織的な人付き合いがそんなに好きではない。他の奥様方はランチョンやらホームパーティーやらでコネクションを広げて少しでも夫のサポートになるように、"So called" 内助の功 に力を振り絞るのだろうけど、私はそういうのに本当に興味がなかった。

自分の時間が一番大切だし、なんせ車は一台しかないし。その車もマニュアルで運転できない。笑 どこにも行かず、電車とバスでダウンタウンまでよく出かけていた。そうそう、近くに小さなショッピングモールもあったんだった。歩いて行ける距離でそこにも良く行ったかな。アメリカってショッピングモールが大人の遊園地みたいだったわよね。笑 ほぼほぼ、それしか楽しみがない人たちばかりな気がしてた。

生活に安定の兆しが出てきたので、子供が欲しいとは思っていたけど、なかなかすぐには出来ず、流産をしたときに、夫の血液と私の血液が不適合してるからじゃないか?と言われ、娘を妊娠した時に頻繁に超音波検査をした。

後にドイツの病院で息子を産むときに確かになるのだが、ヴァージニアのその専門医の言う人は、間違っていたのだった。血液型の不適合の問題などなく、そういう高い検査をしたかっただけだったのだろうと事になった。

私達も米国血液銀行協会のブラッドマニュアルという本で調べたら、その専門医が不適合が起こるだろうと言ってるファクターは、へその緒の壁を通過しないという事が書いてあった。要するに、ちょっとアレな医者だったのだ。健康保険で支払われる金額の割合は出産関連の為大きかった。私が英語を理解しないと思ったんだろうね。最後に本音を吐きやがった。w

「ああ、あんたか?何しに来たの?」とその専門医が言うから、

「アポが入ってたから来ましたけど???」と私。

「保険会社が検査代払うのに、どうしてそんなことが気になるの?」
だって。ww 

・・・知らんがな。夫に聞け!って思ったけど。(これくらいは言えるけど、黙ってる方がいいと思った。正解だったわ)

でも、ほんと胡散臭い専門医だったわ。もともと軍医だか何だか知らないけど、*V女優のような声の受付のアジアン女と出来ていたと思う。笑 話し方や触り方が普通じゃなかった。本妻はフィリピン人。あるあるよね~。きっしょ!産婦人科医のリファーラルが無かったら絶対に行かなかったわ。気持ち悪すぎる。w アジア女が好きな白人ってヤバいのが多いんだよ。(要注意)

まあ、夫は嘘っぱちを言う輩を許せない性格で、その専門医と戦ったのだが、私が英語をまともに話せないことが幸いして、主治医の産婦人科医には嫌われることなく無事に娘を出産できた。笑

それから、娘が生後2か月でまた引っ越しとなった。引っ越しの最中、引っ越し屋の目も気にせず、授乳したり、余った母乳を絞ったりして大変だった。

次はドイツはフランクフルト。とても大きな領事館だという事と、ハウジングや施設が充実しててとても住みやすい環境だと聞いていた。夫はドイツ系、私は日本人と、ドイツはさぞ暮らしやすそうなところだろうと想像していた。

続く


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