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夢の島から川崎まで


もうすぐ八月。ヒロシマ・ナガサキの季節が、日本の戦争を考える大切な季節のうちのひとつが、やってくる。

そんななか、夢の島の第五福竜丸のところから、川崎の平和公園まで、ヒロシマ・ナガサキの願いを実現させるために、鶴を折る仲間たちと自転車で行った。
本当はヒロシマ・ナガサキまで行きたいけど、みんな社会人。一日だけになってしまった。
私を入れて四人。みんな自転車を用意していたが、私は夢の島でレンタサイクルを借りた。借りれたら行くと連絡してあった。

行く前に、第五福竜丸を初めて見た。水爆に遭った船。木造で意外と小さい印象。ほんの少しの死の灰が展示してあった。ビンに入ったそれはガラスの粉にみえた。でも、触った人たちは大変な目に遭ったのだ。

時間が無く再訪を誓い、みんなが準備している第五福竜丸のエンジンが展示してある外にもどる。

私のレンタサイクルのカゴに行先のプレートを付けてもらい、私もヒロシマの人の名前を書いたにわかづくりのゼッケンを付ける。ヒロシマで折り鶴や手紙のやり取りしている方の名前だ。その方へ向かって走る。

第五福竜丸を見ている間に雨が降った。涼しい。暑かったら熱中症になりやすい私はまいってしまっていただろう。

第五福竜丸に黙祷を捧げ、見送る数人を後に、四人で走り出す。

普段、新宿中を自転車で走り回っているが、東京のど真ん中を走るのは初めてで、完全なお上りさんだ。ビルを見上げながら走る。 

広島選出の国会議員でもある総理大臣のいる首相官邸前に寄り道をした。
警官に怪しまれる。

話は変わるが、最近失くしたものが多くて、家族同然の他人(ひと)だったり、自分の健康、仕事だったり。そんな中で何ができるだろうか?走れば分かるかもしれない。くたくたになりたかった。そんな考えもあったのは事実だ。
ヒロシマ・ナガサキについて、自分の考えを整理したかった。

だんだん、東京の真ん中を離れ、都内とはいえ、小さな駅のある街をゆっくり走っていく。

私は恥ずかしながら、電動アシストギヤ付き自転車だったが、仲間のうちに何にもないママチャリの人がいて、坂道のたびに止まってしまう。その労力が本来の形だろうなと思いながら、いっしょに坂を歩く。

とうとう、東京の端まで来た。仲間がレンタサイクルを返せるスポットに気づいてくれた。都内から出てしまうとレンタサイクルは返せない。川崎に着いたら、そこまで戻ることにした。幸い駅から近い。

コンビニで休憩を挟みながら、予定を大幅にオーバーしてやっと神奈川との県境、多摩川の橋を渡る。 

気持ちいい。
こんなに自分のため、ヒロシマ・ナガサキのために体力使って、もうすぐ目的地。平和、核について、なんだか自分のことにできた気がする。
それまでは、広島の観光客だった。
ヒロシマ・ナガサキとともにいたい。そう痛感した。
だから、ペダルを漕いでいる。

もうすぐ、目的地川崎市中原平和公園。
ここには、ヒロシマの「夾竹桃」ナガサキの「アジサイ」が贈られ植樹されている。そこがゴールだ。

その直前に川崎市平和館を見かける。私の放送大学での研究テーマが、「博物館の戦争展示」ぜひ日を改めて行ってみたいと、通り過ぎる。

さて、中原平和公園に着く。時間を大幅にオーバーしたので、待ってた仲間は少数。けれど、電動アシストだったけどやり切った。


夾竹桃とアジサイ写真がなく、お借りしたもので、実際はもっと花は咲いていた。

この前で黙祷を捧げる。今日はここまでだったが、この道はヒロシマ・ナガサキに続いている。

そして、八月六日はヒロシマの空の下、その日を迎える。
今年はナガサキへは、叶わない。
きっと、いつか行く。

もうすぐ、八月がやってくる。



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