やさしく、とじよう
建物の隙間から見える空が
あまりにも、きれいだった。
退屈な感情が微かにさわぐ感覚が
何か起きるかもしれないという期待を生む。
自分という誰かが明日には何者かになっている。
そんな、いきなり10段の跳び箱を飛ぼうとするような思考に呆れながらも、それでいいのではないかという他人事のような感想が今日もくるくると頭を駆ける。
植えた種を何度も掘り返しては、また何事もなかったように植えなおす。
その度に皮が剥がれ欠けてゆく。
その光景を痛いとも可哀想だとも思わなくなっているのは一体どいうことだろう。
壊れたのか、壊したのか、そもそもなかったのか
そんな探してもいない答えを空の中に溶かし込むように深呼吸をする。
そうして今日も自分という誰かは育ってゆく。
今日もカーテンをやさしく、とじよう。
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