ポケモンコンプレックス【ポケモンダイヤモンド日記プロローグ】
「ポケモンってあれでしょ、ダイヤモンドとパールがあるやつ!」
人とポケモンの話になると、私は必ずこう言う。
私は今までポケモンを一回もプレイしたことがない。そもそも、ゲーム自体ほとんどしたことがない。母の教育方針がそうだったからだ。子供の頃、遊び場だったマンションのホールで、友人らがポケモンで遊んでいるのを集合ポストにもたれ掛かりながらじっと見ていた。ダイヤモンドとパールの時代だった。
ポケモンの知識はほどほどにある。靴屋のキッズコーナーで流れていたアニメを見たり、ポケモンパンを買ってもらったり、クリスマスの時期に出る任天堂だかのゲーム紹介冊子を読み込んでいた。ボールは高級具合によってゲットしやすさが違う。病院には卵を抱いたピンクで丸っぽいポケモンがいる。幽霊から依頼を受けたりする。火と水と草と電気と、あとなんか色々タイプがある。イーブイは全部のタイプに進化する。
だけども私が一番初めに得て、なぜかそれからずっと一番大きな位置を占めている情報は「ポケモンにはダイヤモンドとパールがある」ことだ。ポケモンにはダイヤモンドとパールがある。そして大きくなってから誰かがポケモンの話をするとき、それに参加できない寂しさといっちょがみしたい気持ちから、私は絶対にそう言う。そして大体「そうそう」と返され、話は私をおいて進んでいく。私はあの時の集合ポストにもたれ掛かったままでいる。
でもまあ、それだけだったら別にポケモンに触ろうとは思わなかった。生きてるだけでポケモンの情報や新作が出た時のTwitterの盛り上がりにぶち当たり、その度に「ああ、私はポケモンをやっていない側の人間なんだよな」と思い知り、金属の集合ポストの冷たさを腕に感じても、それだけでは触らない。だってマイノリティだからって何も引け目に思うことはないじゃない。癪だわ!だったらずっと触れずに生きていくわ!それに、ポケモンに触れずに育った人は私が思っているよりもきっと多い。でしょ!?これはコンプレックスなんかじゃないわ。癪だわ。
そう思っていたのに去年9月、これが出てしまった。
私はアニメ「血界戦線」一期や「京騒戯画」、ロッテのCMなどを手がけた松本理恵監督のファンだ。彼女は私の母だ。(そしてボンズは実家)。
また、BUMP OF CHIKENに助けてもらったことがある。彼らの歌は私の併走者だ。人生に追い詰められると曲を全部シャッフルしてひたすら聴き、言葉が飛び込んでくるのを待つ。そのくらい頼りにしている。
その二つがタッグを組み、なんかすげえものをまた作り出した。
これが出た時の私観測の世の中の盛り上がりようは、もう凄かった。信じられないくらいの情報や思いがたくさん詰め込まれているらしい。みんなそれぞれが自分の旅をこの作品に写して見ていた。ポケモンに一回でも触れたことのある人は泣かずにはいられない、とまで言われていたような気がする。
だが私もだ。ポケモンを一回もプレイしたことがない私でも、この作品には胸が熱くなった。信頼できる人たちが作ったということもあって、私のポケモンバリアが溶かされていたのかもしれない。何回も見た。まだしたことのない私の旅がそこに見えた。
そして思った。「これ全部理解してえ……!」
今の私にとってこの作品は、すごく良いけれど何が何だかわからない雑多なイメージの濁流だ。多種多様なデザインのポケモン、ジムリーダーたち。あとなんとか団。それらの意味をちゃんと分かって見ることができたなら、どれほど良いだろうか。ポケモンコンプレックスとかどうでもいい。松本監督とBUMPの作品をより理解することができたら……!
ということで、今日ポケモンダイヤモンド&パールのリメイクが発売されたが、私はポケモンのダイヤモンドを始めようと思う。将来的には可能な限り全てのシリーズをやりたい。ダイヤモンドを選んだ理由は、思い立ったときにブックオフで500円で見つけたソフトがそれだったからだ。(その時に大きい3DSも買った)。そしてやはり、悔しいが、私のポケモンコンプレックスを解消するにはダイヤモンドパールから始めるのが一番だ。
いや、悔しいとか口では言ってるけど、ほんとは嬉しい。私は自分がやりたいゲームを自分でできるようになった。
ほんとはプレイする様子を動画にしたかったんだけど、ありがたいことに本業である雑貨屋が忙しくて難しい。そのため不定期でnoteにプレイ日記をつけたい。不定期とは言うが、更新頻度は高めにするつもりだ。なぜなら私はブリリアントダイヤモンドも買っている。ダイヤモンドが終わったら、次はそれだ。
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