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母である私と私個人の人生

私には、息子が2人いて、長男は小学校の中学年で次男は低学年。

2人とも0歳から保育園に預けていて、延長保育の最終までいるような、いわば「延長保育の主」的な存在を経て成長している。当時の私は正社員のフルタイムで時短勤務も使っていなかった為、お迎えリミットの7時ギリギリに滑り込むような生活。帰ってご飯の支度して、子供に食べさせて、お風呂入れて、寝かして、家事して、明日の保育園の用意をする。翌朝も7時半には保育園へ送っていく。途中で三年次保育がある幼稚園に転園しても、その生活は変わらなかった。

あの頃の私は、「子供達が安全で安心して預けられる先があれば、私がいなくても大した問題ではない」と本気で思っていた。…というか最近まで思っていた。息子たちは登園を嫌がった事はないし、当園時にわがままを言ったこともない。「楽しいんだな」と思っていた。
有難い事に実際楽しかったと思う。

そして私は、次男が年中さんの時に身体を壊し正社員での仕事を辞める。
非常勤勤務になった私は、次男が幼稚園から帰ってくるときには自宅にいるようになった。
そうするとある日長男が言った。

「いいな。べーちゃん(弟)は。帰ってきたらかーか(私)がいて。」
「ぼくが幼稚園の時は、真っ暗になってから迎えにきてた。なんなら友達のお母さんが連れて帰ってくれた事も多かった」

「え?家にいてほしかったの?」

「うん。ずっといてほしかった。」
「でも、お仕事だしそんなこと言ったら、かーか困るでしょ。」

「お母さんいないときは、ばーば(祖母)いてくれたよね?」

「ばーばは、お母さんじゃない。」

この会話は、長男が小2の時にした。
この後、長男にコンコンと「お母さんである必要性」を説かれたのを覚えている。私はそこまで気づかなかった。彼は、私に居てほしかった。
大人しく、いつもニコニコしている長男に甘えていた。
ガン!と頭を殴られた気がした。
彼の乳児期~幼年期は取り戻せないわけで、ただただ申し訳なかった。

「母である私」「私個人の人生」
この両立は、私の場合とても難しい。
私の満足する人生とは仕事ありきで、それを優先させると片方が歪む。
では、お母さんだから人生を豊かにする事を諦めるなんておかしい。

では、それからの私の仕事はどうなっているかというと。
身体を壊した事を皮切りに、週2回勤務、幼稚園が終わるまでの超絶時短で働いていた。1年過ぎたら「もう1日働けない?」と言われた。
この時、相方と話し合った。仕事は増やすけど、1番のプライオリティは「子供」であるという事を約束して了承を得た。
2年過ぎたら「会社立ち上げて。やってほしい仕事沢山あるから」と言われた。

「子供優先」「こどもゆうせん」「コドモユウセン」何度も頭で唱えた。
思考が逸れないように。

2年経って気づいたら週5勤務に戻っていた…。

でも違う事が1つある。子供達が学校に行ってから働き、帰ってくる頃には帰宅している。


私が尊敬する上司が、フリーになる時に言った。
「女性は、子供の成長によって働ける範囲が変わってくる。今はまだ焦ってはダメだよ。大きくなって手が離れたら思いっきり仕事できるよ。それまでは我慢」

「そうか~そんなに付き合い長くないけど、見透かされてる~(笑)」

そうやって私はフリーランス生活を開始し、中学受験勉強で塾通いしている長男と、何足もワラジを履いて二人三脚で走り出すことになった。

出来る範囲で毎日を満足して過ごし、輝かせる。
お母さんだって出来る!

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