可愛いで病む
著者、最近SNSで病むことが多くなった。
SNSに罪はないのよ。調べたい事がすぐ調べられるし、私だってお出かけをする際にInstagramをフル活用しているし推しの情報も得ているから。
だけれど情報量があまりにも多すぎるから得たくない情報まで得てしまう。可愛い子のキラキラした写真があまりにも多すぎる。とても眩しい。
もうね、みんな可愛いの。顔は小さいのにおめめはぱっちり大きいわ、脚は細くて長いだけじゃなくてお腹が薄くて細いわ、少しお高めのものを身につけているわですごいのよ(語彙力)
元々韓国アイドルが好きだったので可愛い綺麗な人を拝むのは趣味だった。でも最近自分自身に目を向けると「なんでこんなに鼻が低いのだろう」とか「もっとお目目が大きくてぱっちりしていればよかったのに」、「もっと足が細かったら」「顔の余白がなかったらいいのに」など…コンプレックスがどんどん出てくる。自己肯定感が低い故に自分自身を卑屈に感じてしまう。
私は特別可愛いわけでも可愛くないわけでもない。普通レベル。平凡。強いていうなら表情が豊かで愛嬌が現れやすい顔、ってところかしら。笑笑
ここだけの話、髪の毛がうまく行ったり肌の調子がいい時は「私可愛いかもしれない…!」と思うけどそれは鏡の前での話…。外に出ればあの自信が何処かに行って全然可愛くないと思ってしまう。
周りの人は優しい方が多いので「セイちゃん可愛いよ」と言ってくれる。男性からの可愛いは空気より軽い言葉だけれど信頼している友達からそう言われるとお世辞でも嬉しい。自己肯定感が高まる。
でもそれは一時的なものみたい。だってある言葉がチラつくの。
「お前は可愛くない」「〇〇みたいにもっとキャピキャピしろ」
これは地元の飲み会の時に言われた言葉。これらが頭の中で黒い塊みたいになって居座っている。
はたまた、こういう言葉も。「ナルシスト」
これは小学生の頃に手鏡を持っていたら言われた言葉。
たとえ褒めてもらえてもやっぱり、「私って可愛くないのかも」と悲しくなってしまう。
たくさんの可愛いよりも、たった一言の可愛くないの方が重みがある。
あるYouTuberさんが自分を可愛い可愛くないで判断するのをやめたと言っていて自分も可愛い可愛くない地獄から抜け出そうと思った。
私は私らしいし、私らしくいよう
そう思った。鼻が低いのも目が小さいのも私らしい。体型に関しては自分の努力次第で変われるから努力してみよう。
私は可愛いとか可愛くないとか一言で片付けられるようなものじゃない。そういうふうな考えを持ったらなんか楽になった。
これからkawaiiを求めてメイクやファッションを勉強したり、髪型を変えてみたりするかもしれないけどそれは自分に自信を持つため。他の人よりも可愛くなろうと思うとまた囚われてしまう。
これからもっと自分自身に自信を持って胸を張って生きていけるようになりたい。なんか考え方が変わったおかげか自分の大人度が高まった気がした。
考えたことを文章にするのなかなか難しいねぇ。
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