憎みきれない親について

ほんとうは昨日少し実家に顔を出す予定だった。

けど、家から出られなかった。
今日に延期した。
午前中につくはずが、一人暮らしの家を出たのは午後3時。

親に会うのがいやだった。
辛辣な話をしなくてはいけなかったからだ。
身支度の面倒さを、それのせいにしているって自覚も、ある。どこまでもグズい。

途中のコンビニで、コーヒーとGABAチョコレートを買う。
カフェインとGABAにすこしでも気持ちをあげてもらおう、という作戦。

コーヒーとチョコを摂取しながら歩くと、道端にはいつもよりうんこがたくさん落ちていることに目が行く。
メンタルがうんこで私自身の目線が落ちているだけか、と気づいたのは駅に着いてからだった。

乗り換えの駅で菓子折りを買う。
実家の最寄りで本を買う。

できる限りの、最短で最長の回り道。

着いて15分ほどでどんよりした話題になる。
辛辣な意見を言う私。
片耳にはあえて、無線イヤホンを差したままで話す。そうでもしなければ、私の言葉はもっと辛辣になっていただろう。

私の悩みを検索してみると、毒親というワードがでてくる。(トップにいのちの電話もでてくる)
だけど、そのワードに付随する、毒親育ちの皆様のエピソードの壮絶さを思うと、わたしの親をそう呼ぶことはできない。
むしろ、それなりに可愛がられて育ったと思う。

かといって心の底から親を敬えるわけでもない。
大人になるごとに、紆余曲折あるごとに、親の欠点ばかりに目を向けてしまう。

『喧嘩するのは期待したから、期待したのは甘えてたから、甘えたのは信頼してたからだけど、怒ったのは寂しかったからで、寂しさの根源は「君は私になれないし私も君になれない」って絶望、そして、あ、これが愛だった、と気づく。その繰り返しで。』

F /「20代で得た知見」KADOKAWA
101 寂しさの根源 より引用

甘えも、寂しさも、自覚している。
私の親への感情は、遅れてきた反抗期かとも思う。
おそらく色んな無理をしてくれて、大学まで行かせてもらった。
こんな年まで健康でいることができた。
食いっぱぐれなかった。母のご飯は美味しい。
色々あったが、愛されていたと思う。
本来ならば、お父さんお母さんありがとう、を、言うべきなのだ。


その一方で、私は親みたいにはなりたくない、だけど親に似ているところが沢山あって大人になるたびにどんどん似てきて嫌だなあって考えからずっと逃げられない。

完全な甘えだ。親に勝手に期待して、期待しすぎて、勝手に絶望した結果が、これだ。
この絶望が愛なのかどうかは今はわからない。
自分に両親への愛があったのか、わからない。


わたしがもっとやさしさをもっていたなら。
わたしがもっと出来た大人になれていたなら。
親からもらった愛を、素直に受け取り自分のものにできていたのなら。

困っている親のことを快く助けたり、
問題を一緒に解決しようと寄り添ったり、
足りないお金を今後も惜しげなく渡したり、
出来たのかなあ。

こんなことを誰かに話すと、
「あなたは十分頑張ってきた。もう親からは逃げてもいいんだよ。あなただけの人生、自由に生きていいんだよ。」

とかなんとか言われそうだけど

そういうことじゃないんだ、なんかそういうんじゃないんだよな、、
折り合いのつけかたを教えてほしい。
期待しない方法。
アドラーでも読み直せばいいんか。
被害者ヅラはしたくない。これは、私の未熟さゆえの悩みだ。自分自身の未熟さは私がいちばんよくわかっている。


とかいいながらここで被害者ヅラしてるけど。
どっちもどっち。
実際は私も親も似たもの同士で未熟なだけだ。

色々理由をつけて泊まらずに帰路につく。
急を要する訪問であったかと言われたら、必ずしもそうではないだろう。
けど、行ってよかった。そう思う。

自分が抱え込んでいたモヤつきを、それとなく、今日は伝えられた。
こういうことは、新年に持ち込むべきではない。
行っていなかったら、鬱々とした気持ちを抱え込みワンルームで寝込んだまま年を越していたに違いない。

この複雑な感情は、何かしらの形で精算させなければ、色んなことが前に進まないと自覚している。
この感情との付き合い方が掴めれば、景色が変わったり前向きになれそうな気がする。

模索していきましょう。

2020/12/30

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