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「今日のホノルル行き往復、大人1枚」。

人は失敗したり落ち込んだりした時に優しくされると、その経験をもとに、人にも優しくできると思う。
あの時の焦りと絶望感に今、名前をつけるなら

「人に優しくするための、
苦く貴重な経験」

をしたんだよ、と当時の自分に伝えたい。

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10年ほど前。
その当時、私は毎年、12月に行われる「ホノルルマラソン」に参加していた。
…とはいえ走るわけではなく、全区間を歩いていた。歩くと8時間ほど。

その頃はまだ、東京マラソンなど日本国内での大規模市民マラソンは数えるほど。制限時間や定員のないホノルルマラソンは市民ランナーの間で大人気だった。むしろマラソン自体よりも、数に限りがある往復の飛行機やホテルを手配する方が難しく、プラチナチケット。航空券やツアーは発売開始と同時に予約が殺到し、取れるだけでも非常にありがたいという状況だった。

フルマラソンは42.195キロ。東京駅からなら横浜・戸塚を少し過ぎたあたり、大阪駅からは、ちょうど京都駅あたりまで。
冬といっても日中の気温は28度ほどになるホノルルで、その距離を8時間歩ける程度にはトレーニングや準備をして、毎年、大会に臨んでいた。

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東京・新橋に行きつけのイタリアンレストランがある。毎年12月の土曜日--だいたいはホノルルマラソンの直前に--その店で「オープンxx周年記念パーティ」が開かれる。
20席ぐらいの決して広くはないお店に、その日は数百人の常連さんたちが、入れ代わり立ち代わり遊びに来る。飲み放題、食べ放題、入退出自由の気ままなパーティ。お店のスタッフともこの日は酒を酌み交わす。
毎年この周年パーティでしか会えない顔見知りもいて、私の中ではこれも12月の恒例行事の1つ。

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その年は「周年パーティからその足でホノルルに行って、翌日にホノルルマラソン」というスケジュールだった。
例年のごとくパーティでは昼下がりから大いに飲み、食べ、フルマラソン参加前日とは思えないほど盛り上がった。
すっかりいい気分になった妻と私は、夕方、新橋駅の改札で「じゃ次はホノルルでー!」と手を振って別れた。同じ飛行機が取れなかったので、妻は成田から、私は羽田から。羽田発は出発が遅かったこともあって、一旦私は自宅に戻った。

今年は去年よりタイムを縮められるかな、練習もしたしな。
羽田発のフライトは22:50発。2時間前に空港に着くなら、自宅は20時頃に出たらいいかな。それまでテレビを見ていよう。

…テレビを見ていた、はずだった。
気がついた時には、ソファーに横になっていた。

…寝てた?
今何時? 22時? 出発1時間前?
ってか絶対間に合わない!

「うわぁぁぁぁ!」

慌ててスーツケースを閉め、羽田に向かう駅へと走った。

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電車の中で、跳ねる心臓を一生懸命押さえながら考えた。
・行けるのか? 諦めるのか? 今年はそこそこ練習したのに?
・翌日の出発はあり得ない。ホノルルマラソン当日に着くことになるから、大会に間に合わない。行くなら今日しかない。
・もう飛行中の妻に、どうやって連絡をとる? 
・そもそも、この時間からのホノルル行きはまだあるのか? 同じ航空会社のフライトはない。成田発は? 全部出発済み。では他の航空会社は?
・この時期のホノルル行きはプラチナチケット。その1枚を無駄にした…! 悔やんでも悔やみきれない。でも今はとにかく、空港に向かおう。

お酒のせいか頭が回らない。
まだスマートフォンがない時代、12月の夜の東京の電車で、ガラケーを握りしめて必死に検索し、こっそり電話もし、ひとり汗だくの私。

電車が羽田に近づいた頃、行けるとしたらあれしかない、と決意した。それで乗れなかったら、今年は諦めよう。

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羽田空港。
乗るはずだった航空会社ではない、別の航空会社のカウンターへ直行し、酔いを抑えつけながら意を決して言った。

「すみません、今日のホノルル行き往復、
大人1人で」。

係の女性が「…は?」という戸惑いの視線を私に投げかける。
「いや、あの、あっちのホノルル行きに乗り遅れまして…」
あぁ、と納得されたのか、とにかくカタカタとPCを打ち始めてくれた。

少しすると、カウンターの後ろからチーフ格の女性が

「今回は、マイレージ特典での
ご旅行でしたか?」

と聞いてきた。
…違う航空会社なのにそんなことまでわかるんですか!
「実は空港の施設なのである程度はわかるんです、失礼かとは思ったのですが、もし変更できる航空券だったらお値段を抑えめにできるかと思いまして」。
お気遣いありがとうございます。でもご覧の通りマイレージ特典なので…。

ほどなくして、チケットが用意された。
プラチナシーズンなのに、乗れることにまず感謝。当初予定より2時間遅れで着けそうだ。
お金のことは…今は考えないことにしようか。とにかく行けることが最優先。

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続いて、乗るはずだった航空会社のカウンターへ向かい、乗り遅れてしまったお詫びをする。こんなプラチナシーズンに申し訳ありません。

嫌味の一つも覚悟していたものの、係の女性いわく
「羽田発の深夜便は、乗り遅れる方、結構いらっしゃるんですよ。次回は余裕をもって空港へお越しくださいね。」
…はいそうします、申し訳ありません。ありがとうございます。
「今回はどうされるんですか?」
…いや、実はあちらの会社でチケットを買えまして。

「ご出発になれるんですね!
よかったです。」

…恥ずかしさと驚きとで、ありがとうございます、とごにょごにょ言うのがやっとのまま、カウンターを離れた。

羽田を立つ前に烏龍茶を何杯飲んだだろうか。全く喉の渇きが収まらない。
搭乗時刻になり、シートベルトを締めた瞬間、ようやくホッとした。これで、やっと、行ける!

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しばらくして、羽田で言われたことを思い返した。
・チケットの値段を少しでも抑えられないか考えてくれた、係の人。そこまで調べなくてもいいのに、一歩踏み込んで。
・自社の予約に穴を空け、その上他社に乗る客に「行けるんですね!よかった」と言える、もう1社の係の人。お客さまに寄り添って。

私の乗り遅れは100%自己責任だけれど、予定通りにいかないことや、空港に遅れて着いてしまうことは、何十人・何百人に1人はあるのだろう。
焦っている人、しょんぼりしている人に、彼女たちは日々当たり前に一歩踏み込んで、寄り添っている。

そういうことが自分にはできているか?
そういう人になりたくはないか?
せめて近づけないか?
東へ向かう夜の機内で、まんじりともせず、そんなことを考えていた。

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以来、自分のモノサシでは考えられないような出来事が起きても、どうにかできないか、何かしら方法はないか、と考えることが増えた。
自社で解決できない時には、競合他社をお勧めしてみたり。

関わり過ぎだとか、口を出し過ぎだとか言われた時には、自分の胸の中だけで、あの日、羽田で寄り添ってもらった気持ちを思い出す。


「人に優しくするための、苦く貴重な経験」
二度としたくはないけれど、今となっては大切な経験。


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あとで聞いた話。
ホノルルに先に着いた妻は、私からの遅れて着きます、というメールを見て「あぁ、やっぱり…」と思ったらしい。
出発前にメールのやり取りをしていたのに、途中でぷっつり途絶えたから。でもまさか寝てるとは思っていなかった、と。
「電話すればよかった」
…いや、多分、電話もらっても起きられなかったと思う。

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