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ミニマリストからマキシマリスト


実は数年前までミニマリズムにハマっていた。きっかけは当時の恋人で彼のパリのアパートには殆ど物がなかった。

一度一緒に数えたら100個も無かった。
服も食器も家具も全部で。いつでもどこにでも行ける身軽さに惹かれて私もミニマリズムに興味を持ち始めた。ずっと東京で一人暮らしをしたいと思っていたのでこの際に実家の私の部屋を整理することにした。
整理を始めると出るわ出るわ小学生の頃からのガラクタ達。50個近いご当地カトちゃんやシール帳、スクラップブックなんかが出てきて古着のTシャツは40枚近くあった。押入れ一杯のもの達に怯んでどこから手をつければいいか分からなくなり当時の恋人に連絡をした。そこで彼が送ってくれたのが  21-Days Journey into Minimalismだった。

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https://www.theminimalists.com/21days/

これは21日かけて行うミニマリズムのプロセスで箱に自分の持ち物全てを入れるところから始まる。1日ずつ必要なものを箱から出していき本当に自分に必要なものを知りながらメンタルの断捨離もしていくというものだった。
結果を言うとこの通りにきっちりは出来なかったのだけど持ち物が1/3まで減った。
そしてその直後、東京のシェアハウスに引っ越すことになった。物を減らしたことで体も心も身軽になりずっと夢だった東京暮らしを叶えた。

シェアハウスの部屋はたったの3畳だった。今思えばなんであんなところで生活出来ていたのかと驚くけれど当時は若さと念願の東京暮らしで浮かれていたので気にしていなかった
最低限の洋服と食器はグラスがひとつにワイングラスも一つ。深めで広いお皿が1枚だけ。使う度にすぐ洗って珪藻土のマットの上に置いた。食事は作らず全て外食。コスメもポーチに入るほどしか持っていなかった。
当時は毎日働いてその後出かけて家は寝るだけだったのでなんとかなっていた。東京タワーの近く駅から3分の立地の良さがお気に入りだった。
小さな部屋でも気分を上げるためににドライフラワーを飾ったり常にバラを一本生けていた。近所の花屋のバラは大きくて2週間は余裕で持った。シェアメイトとも仲良くなり近所で呑んだりたまにご飯を一緒に作ったりして、夏は屋上でタバコを吸いながら色々話した。 

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そんな感じで過ごしていたある日夫に出会った。Tinderで出会い彼と彼の友人とご飯を食べた。正直最初のデートでは私は何も感じていなくて恋人と別れた直後で気楽にデートをしたいだけだったのだけどその後彼から何度も誘ってもらい1週間の日本旅行の間に数回デートを重ねた。ポジティブの塊みたいな彼といると気楽だったし私も旅行客気分で東京の街を歩けるのが楽しくて段々彼を好きになっていた。
1週間はあっけなくて彼はノルウェーへ戻り私も東京で今まで通り過ごした。それでも毎日彼から長文のメッセージが送られてきて私は返したり返さなかったりふらふらと過ごしていた。
その年のクリスマスに彼が東京へ遊びにきた。今度は私のためだった。当時は知らなかったのだけどノルウェーでクリスマスを蹴って旅行するって相当なことらしく、移住してから初めてのクリスマスでそれを知った。2人でBnBを借りて2週間過ごした。私の仕事がある日は朝ご飯を作ってくれて自転車の後ろに乗せて駅まで送ってくれた。コンビニでサラミがどれか分からなかったのか食パンの上にスモークタンと目玉焼きが乗っていた。夜は私が探した居酒屋やレストランでご飯を食べてほろ酔い気分で帰宅してからベッドで一緒に本を読んだ。殆ど知らないはずなのに居心地が良くてもう何年もそうやって一緒に過ごしてきたような気がした。あれ?好きかもなぁと思ったけど当時はパリに住みたくてノルウェーのことは何も知らなかったしまさか結婚なんて1ミリも考えていなかった。そうして2週間のプチ同棲生活は終わった。


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その冬私はパリへ行った。毎年行っている大好きな街。でも今度は初めて1人で過ごすパリだった。やりたいことや観たいものは沢山あったのだけど街を歩く度元恋人の姿が過ぎってその度に小さな痛みが走った。期待していた通りには過ごせなかった。

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あんなにバラ色だったパリはどんよりと曇って刺すような寒さが身に染みた。イヤホンから流れるシャンソンはロマンティックと言うより辛気臭くてカフェで飲むコーヒーはいつもより苦くて生温く間違って買った煙草の煙が不味かった。借りたBnBは階段下の小さなロフトでシャワーがすぐに水になって震えながら泡を流した。窓から見えるアパートの中庭は美しかったけれど一階なのでうかつに肌着でフラフラも出来ずモヤモヤしたまま過ごしていた。
その時ノルウェーの彼から連絡が来た。チケットを買うからオスロに遊びに来ないかと言うメールだった。モヤモヤしていた私には有難い機会に勿論行くと返事をした。
パリからオスロの飛行機はとても長く感じた。憧れて大好きだったはずの街にせっかく来たのに私は雪国へ向かっていた。
オスロは真っ白だった。さっきまでの寒さが暖かく感じる程オスロの空気は乾いて凍っていた。
迎えに来た彼の車で一週間の予定を聞かされた。ぽんと決まったので何も用意していないと思ったのに彼は7日間分全ての予定を立てていた。
当時まだ彼は学生だったので2人でずっと一緒にいた。冬のオスロは人が全くいなくて静かでガランとしていた。夫がバイトの日には知り合いのガイドに頼んでツアーを組んでくれていた。しかも1人は日本人ガイドさん。今思えば私がオスロでの生活を想像し易いようにわざわざ日本人を探してくれていたのかなと思う。毎朝彼の食べきれないくらいのノルウェージャン朝ごはんで起きて、寒い寒いと言いながらバルコニーで飲むコーヒーはとても美味しかった。今度は彼のアパートだったのでより2人の生活が現実味を帯びてオスロ良いところかもなぁと思い始めていた。

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最終日は夫の家族とディナーをした。正直いきなり家族を紹介されてかなり狼狽たのだけど、みんなびっくりする程暖かくて迂闊にもこの人達と家族になりたいと思ってしまった。
またもあっという間の一週間でパリへ帰る飛行機では自分の感情が見つからなかった。2週間の間に全てが変わってしまった気がした。今までの自分も夢も生活も全てが雪みたいに溶けてなくなって知らないうちに新しい何かになっていた。
日本に帰る頃には気持ちは固まっていて新しい何かは私の形に戻っていた。
そこからはバッタバタで8月のプロポーズから10月の移住までどうやって運んだのかあまり覚えていない。それくらいバタバタで忙しかった。
ミニマリズムのおかげで荷造りはスムーズに終わり、スーツケース2個にお米をリュックに詰め込んでオスロへ引っ越した。
スーツケース2個だったのが信じられないくらい今のアパートは物に溢れている。夫と旅行で買ってきたものや2人で蚤の市で見つけたもの。義理の曽祖母の家具もある。ミニマリストにはもうならないと思う。残したい思い出や集めたいガラクタが沢山出来てそれを飾る場所が出来たから。



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