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バトン

去年の今頃に書いた下書き。
読み返して何だかしみじみしてしまったので、推敲しないで投稿します。


姪が看護系大学へ進学するという連絡を受けた。
予想外の出来事でかなり驚いた。
しばらく経って、喜びだけではなくジワジワと安堵感が湧いてきた。
この安堵感は何だろう……と考えた結果、未婚のまま生涯を終えるだろう自分が、図らずも次の世代に何かを繋ぐことが出来たような気がした安堵感のように思う。

四半世紀以上続けてきた仕事を不本意な形で辞めてしまって、結果それまでの自分をずっと否定しながらこの数年を生きてきた自分にとって、少なからず救いになった気がしてる。

もっとも姪と直接看護についての話をした事はなく、かなりの確率で姪の母親、私にとっては義理の妹が四十代になってから一念発起で看護学校に入学し、現在看護師として働いてる事が大きな影響を及ぼしているんだと思う。

それでも、繋がったな〜、繋いだんだな〜という安堵感を持つことは否定しないで享受しようと思う。

私は自らの意思で看護師、助産師になった訳ではなくて、やはり看護師をしていた母に半ば強制的に進路を決められた感じだった。
仕事を始めてからは母の選択に感謝していた。
つまらない意地を張って、伝えられないままだったけれども。
でも、その母の繋いできたものも含めて姪が引き継いでくれたような気がして、母の分も嬉しく感じている。

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