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髪を伸ばす。
私は自分の髪が嫌いだ。
毛質は硬くて太くて強い。だからドライヤーやアイロンで癖をつけてもすぐに取れてしまう。
それでいて量も人の2倍くらいあると思う。
美容師を志している友達に
「○○は多毛通り越して爆毛やね、半分剃っても普通の人より多いくらい。」と言われるほどだ。
嫌いゆえなのか、私のいままでの人生を懐古する時、いつも思い出にこの髪がまとわりついている。
小学校の頃はそんなコンプレックスなど感じることもなく髪を伸ばし続けていた。
むしろ髪が長いことがひとつのアイデンティティになり、小学校6年生の頃には頭のてっぺんから90cmくらいの長さになっていた。
長く伸びた髪を、誇らしく、自慢に思っていた。
中学に上がった時、一度髪を肩の辺りまでバッサリ切った。その時に、「もしかしたら自分は他の子より毛が多いのかもしれない。」「なんだかまとまらなくてやだな。」と、初めて自分の髪に対してマイナスの気持ちを抱いたと思う。
そこからは無限に広がる髪をなるべく束ねておけるように、肩より上の長さに切ることなく高校3年まで過ごした。
この髪は、私にとっては嫌なものだったけれど、友達からは重宝されていた気がする。
学校の休み時間や部活の時、友達が私の髪を使って編み込みや当時流行ったフィッシュボーンの練習をしてよく遊んでいた。
髪を触られたり、アレンジしてもらうことは嫌じゃなく、むしろ心地よい感じがしたので、私も楽しい時間だった。
高校3年の文化祭、当時演劇部だった私は少年の役を演じることになった。
その頃には胸の辺りまで伸びていた髪を、私は襟足のあたりまで切った。その時は「役に没頭して髪を切る自分」に、少し溺れている部分もあってか、抵抗は全く無かった。
その後に、学校だよりの文化祭を振り返った先生たちのコメントが書かれた小さなコーナーに「長く伸ばした髪を、バッサリと切った生徒がいた」と明らかに私だなと感じる文章が乗っていて、なんだか心が少しこそばゆかったのを覚えている。
そこからはなんとなく、自分は髪が短い方が似合う気がして、髪を伸ばそうとは思わなかった。
伸ばしてもまず洗うのが大変だし、洗ったら乾かさないといけないし、乾かすのに20分かかることもざらだし、量が多くて暑いうえに更にドライヤーの熱で汗をかくのも嫌だったから、理にかなっていたと思う。
高校を卒業してから何年かは、クリームやワックスで毛を押えながらショートヘアを維持していた。
伸ばしても、胸の辺りまで伸ばすことはなかった。
そんな私が、なぜ、髪を伸ばそうと思ったか。
それは、職場での会話からはじまった。
私はこどもと関わる職場で働いている。
そこでよく話をしていた女の子がきっかけだった。
その子は、髪が細くてサラサラしていて、平筆ですーっと描いたように綺麗に伸びたロングヘアをしていた。
こどもの髪は傷み知らずで、正直羨ましいなと思う。この髪をアレンジしてさらに自分の子供を可愛くできるなんて、お母さんたちもさぞかし楽しくて嬉しいだろう。
その子が突然、綺麗に腰の近くまで伸ばしていた髪を、バッサリとボブヘアになるまで切ってきた。
「えー!スッキリしたね、似合ってるよー!」と話しかけた時、彼女は
「実はヘアドネーションしてきてん。」
と教えてくれた。
ヘアドネーションとは、髪の寄付を募り、病気や事故で自分の髪を失ってしまったこども達のためにウィッグを作成して無償で提供する、といった運動である。
そういう活動があることはなんとなく聞いたことがあったけれども、実際に寄付をしている人に、その時初めて出会った。
「そんな活動を知っているんだ、
そして実際に寄付をしたんだ。すごい!」
という彼女への尊敬の念と、
「自分のこの困った髪も、
もしかしたら誰かの役に立てるのかもしれない」
という気持ちが沸き起こったのを覚えている。
その日のうちにヘアドネーションについて調べ、私は長らく伸ばしていなかった髪を、本格的に伸ばすことに決めた。
寄付をするには最低31cm以上髪を伸ばす必要がある。ロングヘアのウィッグを作るなら50cmは必要になるそうだ。
当時私は肩に髪がちょうど当たるくらいの長さだった(と思う)ので、この長さになるまで何年かかるか調べただけでも白目を剥きそうになった。
(人間の髪は1ヶ月で1cm程しか伸びないらしい)
それでも、伸ばそう。
私は不幸にも他人の倍くらい毛量が多いけれど、
その分誰かの幸せにあるかもしれないと思うと、
悪い気はしなかった。
むしろ、私は人生の中で「誰かの役に立つ」ことで幸せを感じられる性格だし、そうすることで自分のことが好きになれる気がした。
そう、これは自分のためでもあるのだ。
たったこれだけの小さなきっかけだったが、私の自分の髪に対する、呪いにも似たマイナスの感情はこの時に消えた気がする。
まだまだ自分の髪を好きにはなれそうにはない。
髪が伸びるにつれシャンプーの消費量は多くなる一方だし、髪が抜けてすぐに排水溝が真っ黒になって詰まってしまうし、乾かすのに時間はかかるし、ドライヤーで傷んでしまわないように綺麗に維持するのも大変だし、アレンジをするにも量が多すぎて可愛くならないし、外を歩く時人の目を気にしてしまうし、美容室に行くとなんだか自分が恥ずかしく感じてしまうし、こどもには「先生のかみのけ、ウマのしっぽみたいだね」と言われるし。
けれど、こんな髪でも、誰かの役に立てるのかもしれないと思うと、なんだか、ほんの少しだけ愛おしく感じる。
誰かのために。自分のために。
私はもうすこし、髪を伸ばす。
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