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相手を思いやる、ということ

僕は、基本的に良い人だ。
これは、良い人と言われる偉人たちの足跡を辿る様に、
幼少期より過ごしてきた、一つの結果だ。

周りで出会う人たちからも、
基本的には良い人だと言われることの方が多い。
それは、そういう風に思ってもらえる様な行動様式を取ることによって、
その土台を形成することができてることが大きい。

とはいえ、これはある程度、大人と言われる年齢になってきて、
やっとのことで追いついてきた、僕の思う「あるべき形」であり、
そういう意味では、なんてことはない、ただの戦略だったということもできる。

僕の様な人を、所謂「腹黒い人」というのか。

常日頃、相手のことを、特に自分にとって大切な関係に当たる人に対して、
できる限り思いやりを持って接することを心がけている訳だが、
このところ、感情を揺さぶられることが多くなったことで、後ろからぶん殴られたかの様に、衝撃を持って気づかされたことがある。

僕が大切に思っている人に、悲しい出来事があった時、
大切に思えば思うほどに、相手の気持ちを感じ取ることで、
「悲しみを共有することこそが思いやりである」と、
その心の扉に手をかけようとしてしまうのだが、
それはあなたの事を好きでいる自分に酔っているだけなのかもしれない。

事実、悲しい出来事の話を、後から知ることとなったときに、
恋に酔ったばかな男は、「なんでその時に話してくれなかったのか」と、
自分の想いを君に、当てつけてしまっていた。

それに対する君は、
「そんな話をするよりも、せっかくの時間だからこそ、楽しい話がしたかった」
と、自分の悲しみを分けることより、お互いにとっての幸せを重ねる事を選択してくれていたのだね。

今になって思うと、
その時に過ごした時間は、えも言われぬ幸せに溢れ、
尽きぬ話を交わしながら、そのまま夢の世界へと落ちていった君の寝顔は、
幸せを纏ったまま、柔らかく微笑んでいたのだった。

その事を、その時の圧倒的な幸福感を、
ばかな男の恋心は、君への思いやりを理由にして、
今の今まで、忘れてしまっていた。

幸せそうな君の寝顔こそが、全ての答えだったのだね。


庚子・秋分の朝を思い返して
神部屋宗介

私の為に注いでくださった想いは、より良い創作活動への源泉とさせていただきます。こうご期待!!