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といれのおばけ

これはとあるオフィスの便所での、なんてことのない話。

僕が社会の窓を全開にし、仁王立ちしていると、後ろから声がした。
ちょっと待った。社会の窓ってなんで「社会」なんだ。窓っていう表現は百歩譲って理解るけど、社会ってどういう比喩だ。①人間の共同生活の総称②人々が生活する現実の世の中③ある共通項によって括られ他から区別される人々の集まり。どれもピンと来ない。「社会」要素がわからない。「社会の窓」が社会の窓にあたる社会って狂った社会じゃないか。

いまひとつ聞き取れなかったが、独り言か、もしくは複数人で便所に行くいわゆる連れション勢が話しているのだろう。いい歳こいて便所くらい一人で行けよ。そう言えば、連れションも社会の窓も耳にしなくなって久しい。もちろん口にもしなくなった。そんな思いを巡らしながら、用を足していると、今度は声がはっきり左耳に届いた。
「あ、真ん中を使う人なんだ。」

僕は左耳を疑った。どういうことだ。この橋渡るべからずなんて書かれた張り紙もなければ、橋も見当たらないし、そもそも僕が一休さんには似ても似つかない。2年ほど前なら坊主だったけど、あの時も袈裟は着ていない。3ボール0ストライクで真ん中に真っすぐを要求したこともなければ、なんならキャッチャー経験なんて一度もないし、そもそもここはグラウンドではない。トイレである。

そうそう、便所で思い出したけど、友達と遊んだり飲んだりしていて尿意便意をもよおした際に、なんて言うのが正解なのかってすげえ考えたことがあって。オーソドックスなのは「トイレ行ってくる」なんだろうけど。でもそれだとなんかな、とか思って、1年ちょっとくらい前からかな、「お手洗い」って使うようになって。なんか上品な気がするし、育ちよさそうに映るかなとか勝手に思っているけれども、それって実際どうなのか。気取った奴に思われるのだけはほんとにごめん。それと「お花摘んでくる」は狙いすぎてつまんないし、でもなぜか「ちょっと厠」とか言われると絶対ツボっちゃう。厠っていう漢字とその音の響きがザ漢、正しくはジ漢、って感じがするのに、そこでパンツを下ろして人様には見せられない情けない格好になるギャップがいいんだろうね。厠。かわや。

脱線した。なんなら脱線して、隣の線路に無事収まった。
兎にも角にも疑問符が頭いっぱいに浮かんだ。そしてすぐに解した。だって僕が3つある小便器の真ん中で用を足していたから。試合後のインタビューに答えるスポーツ選手さながら「そうですねー」と答えて振り返ると、そこには知らない人がいた。限りなくシュレックに近い。なんならシュレック。初見の人だけど。肌色のシュレック。歳は50くらいかな。
「僕もね、真ん中派なんだ。」

会って10秒も経っていないおっさんに突然のカミングアウトをされる気持ちを誰かわかってくれるだろうか。ちなみに僕もまだわかっていない。そしてすぐさま僕の左隣に止まってチャックを下ろし始めた。いや真ん中使うんじゃなかったんかい。きちんと振ってすぐさま落とす、今思えば素晴らしいボケだ。ツッコんであげるべきだったが、その時はそんな余裕もない。知らないおっさんが気を遣って話しかけてくれたんだから、その好意を無下にはできなかった。「なんか真ん中いいですよね」とやんわり会話を続けようと試みるも、おっさんは小便器に夢中で、返答がない。癪に障ったか、つまらなかったか、禁忌に触れたか。

怖くなった僕は必死に言葉を繋げた。「トイレでもそうですけど、電車でも端っこじゃなくて端の1つ隣の席に座るんですよね。みんな端っこ大好きだし、その隣はよく空いてるし。だから恐らくそこはキレイです。あと、そこに座ってると高確率で女性が隣に座ってくるんですよ。別に女性の隣で嬉しいとか興奮するとかいい香りがするとかじゃなくて。肩幅とかお腹でもって僕の座席に食い込んでこないんですよね。だから気持ち広く座れる気がして。あとは、ちょっと人とは違ってるとか、変わってるとかって思われたいのもちょっとありますね。端の一つ隣に好き好んで座る人っていなくないですか。そういう風に形から非凡さを出そうとしちゃってますね、はい。」

ここまで話し終えて気づく、やってしまった。会って20秒もしていないおっさんに突然のカミングアウト返しをしてしまった。人にされて嫌なことは人にしないでおこう、小学校で習ったのに。いや、ここまで来たら引き返せない。もういっそのことやられたらやりかえす。倍返しだあぁぁぁぁぁぁ。「友達とドライブ行くときも、助手席座りますね。ハンドル握って車走らせるのは楽しいですけど疲れるんで。助手席だと視界がいいし、地図とかカーナビとか見ながらドライバーにああだこうだ言って、運転してる気分にはなれますね。事故ったら死ぬ確率高そうですけど。あ、でももちろんフェスとかジェットコースターは最前線が好きですよ。そこはベタなんですよね。平凡です。最後列に陣取って絶叫してる人たちを見ながら万歳して急降下してGを感じてとか、ギターとベースとキーボードとドラムの音がちょうどいい具合に調和して耳に入ってきてほしいとか、そういう風には思わないですね。もうベタ中のベタですよ。そんなことよりその一瞬を楽しまないと。」

ちょっと話し過ぎた。恐るおそる左を見ると、シュレックはまだ放尿に夢中みたい。いや、実はドン引キされたのかもしれない。僕は恥ずかしくなって逃げるように洗面台に向かった。心を静めるようにゆっくり丁寧に手を洗っていると、シュレックに追いつかれた。もちろん僕は真ん中、シュレックは僕の右に陣取った。左の次に右に行けば真ん中という算段なのだろう。安易である。手を濯いでいると「そうなんだね」と聞こえてきたが、口角を無理やり上げて「はい」とだけ答え、お手洗いを逃げるように後にした。少し経ってトイレの入り口を振り返ったが、シュレックが出てくることはなかった。

トイレにはお化けがつきものだ。花子さん、貞子、『シャイニング』のジャック・トランス。僕が見たシュレックもお化けだったのだろう。人間に余計な事まで喋らせようとする、シュレックに似たおじさんみたいなお化け。


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つい、余計なことを話してしまう。そんな経験、誰しもあるんじゃないか。その瞬間は変なスイッチが入っていて、恥ずかしさを凌駕する熱量がある。時間が経つと熱だけ引いて、恥ずかしさは一緒に蒸発してくれないみたい。
ところが、真面目なことを話すとなると、途端に口が麻痺して動かなくなる。話しながら可笑しくなってくるのだ。茶々を入れてくるもう一人の自分がいるような感覚だろうか。普通だったら悪魔の声が聞こえて、次に天使の声が聞こえてくるもんだけど、加勢してくる天使はどうやらいない。

こうなると、余計なことしか話していないことになる。最近になってやっと、「ちょけるのはダサいし、ちゃんとするのはカッコいい」という当たり前のことに気が付く。社会人の人との関わりが増えたからだろう。いい年になってスーツ着ながら変なこと言ったりやったりするのが許される、そして笑えるのはお笑い芸人さんだけ。凡人がいい歳こいてちょけてももう寒い。そんなことを最近になってやっと気が付いた。

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