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まんがガタガタ道 1

高校卒業してアシスタント、そして漫画家デビューから連載に至るまで色々ありました。

もうそれも30年以上前の事なので、今の漫画家志望の方々との環境は多少違うでしょうが、それでも漫画家を志す気持ちというのは変わりないはずです。当時の気持ちを思い返しながら、怒りや呆れをなるべく出さないように(?)書いていきたいと思います。

鉛筆でノートに漫画を描き始めたのは小学2年からでしたが、実際にペンを使ってケント紙に描いたのは高校2年からでした。

かなり画力に関してはスタートが遅いと思います。ただ後々漫画家にとって一番大事な経験値を中学、高校で得る事が出来ました。サッカー部での経験。失恋の経験。アルバイトの経験。ヤンキー男子校での様々な経験。

、、、もうね、、嫌!!!(T . T)。ヤンキーとオタクとホモとオカマしかいない!!!

私は当然オタクの部類でしたがw友達同士でキャンプして、深夜3時くらいにテントの中でオカマちゃんのすすり泣きが聞こえ、振り返ったらゴリラのようなホモにやられていた。助けを求めるような目を見ないふりして、私はそーっとテントから抜け出し、海辺の岩場でタバコ吸いながら、、帰りてぇ、、、と日の出を待った思い出が。(未成年がタバコ吸ってるトコはスルーしてw)

なぜ助けなかった?い、いや、あれは助けるべきだったのか?いやいや、そもそもなぜ俺も寝てるテントでやらかす!!!ああああ、思い出したら延々とこのまま書きなぐりそうなので自重。

高校卒業後はとりあえず美術系の大学でも行こうかな、という軽い気持ちだったが、親が金がないから働け!と。

上等だごらぁ!とばかりに、ここで絶対デビューすると決めていた集英社の某青年誌でアシスタント募集してるトコを見つけ、画力もないのに何故か採用されてしまう。

当然即戦力にはならないので雑用係。コーヒー淹れ、買い出し、掃除、布団の上げ下ろし、洗い物、そしてネーム番というものをさせられました。

ネーム番というのは先生がネームをやっている時に、他のアシスタントたちは休みだというのに、コーヒーを淹れるだけの役目。週刊連載でしたので、スタッフが6人もいるのに休みは1日だけだったような。仕事終わって実家に帰って寝て起きたら仕事、、という事も多々ありました。

ぶっちゃけネーム番というのは他の仕事がない。その間暇だろうから線の練習でもやっておけと、丸ペンで原稿用紙の上から下まで平行に描く練習。

漫画の練習って、実はこれだけでいいんじゃね、と思い知らされる事になる。平行に描いているつもりでも実は曲がっていた線。強弱をつけ、立体感を出せるようになり、質感の入れ方は先輩たちの頭の中を盗んだ。初めて背景を描かせてもらったアパートの絵は、自分の作品では考えられないほどの丁寧さと画力になっていたのを覚えています。

私は漫画の練習という言葉が好きではない。デッサンの練習、表情の練習、パースの練習、諸々、、、全て原稿描けばいいんじゃね、原稿に全ての練習要素が詰まっていると。

どんなに下手を自覚してても、漫画を描くのが楽しいから描くというのが基本。画力なんて後から付いてくる。まずはどう読者に読みやすく、分かりやすく、楽しませるという基本が出来てなければ、画力なんて無意味。唯一私が練習と呼んでるのは、この横線。中国のセミナーでも真っ先にやらせるが、その時に必ずこう言います。

つまらねぇぞw

、、と。実際に線をひたすら描くだけですからつまらない。若い人が求めるのがデッサンの画力、可愛い子を描きたいとw。

でも私はこの線の練習が段々と楽しくなっていきました。何故かというとどんどん線が綺麗になるから。もちろん1枚、2枚じゃその感覚は分からないはず。これを10枚、20枚と続けていったら、きっと楽しい、という感覚を分かってくr、、、い、いや、何か麻痺してる変人になっていったのかもしれないが。

だいぶ話が横道に逸れたけど、おかげで高校時代から比べると画力に関しては、かなり伸びたと自負しています。

さあ、賞狙いの作品を、、と思っても、アシスタントで漫画の背景を描いて、自宅に戻って自分の作品を描くというのは、それこそ至難の技。正直休みの時くらい寝ていたい。ツーリング行きたい。草野球したい。女の子とデート、、って相手がいねぇ!!と諸々の煩悩が襲いかかってきて、なかなか原稿に手がつかない。

しかしそこは優しい職場。原稿の為に一ヶ月休みをくれると!!、、、但し有給なんてもんはない。この一ヶ月間で31ページの原稿を仕上げるというのは、アシスタントするよりも過酷な時間でした。高校時代の作品なんて31ページに3ヶ月以上かかっていたし。

しかし約束の1ヶ月間で無事に原稿は完成。この時から締め切り間際の魔術師と、、誰も呼んでくれんが。

投稿先は高校時代から決めていた青年誌!!、、、のはずが、先生の一言。そこには応募するな、と(^◇^;)。実は前回、先輩アシスタントが応募して先生が審査員。やたらと推しまくったら大御所の審査員の先生から、これは誰のアシスタントかな、と声が上がったらしく、やたら恥ずかしい目に遭ったとか。もうあんな思いはしたくないから、おまえは他のトコに応募しろ、と。

、、、、、あのねぇ、、、。手塚賞いいぞ!テレビくるぞ!ステージで手塚先生と握手できるぞ!と散々言いくるめられて手塚賞に応募。これが佳作に引っかかるという快挙!

それまで手塚賞パーティは、アシスタントとして連れて行ってもらい、華やかなステージに立つ自分をイメージすらしたことなかったが、、、立ってしまった。照明が眩しく会場の人たちがまるで見えない。思い切り場違いな場所に立ってしまった感が激しい。嬉しいという感情よりも、、、え?、、、という感じだったかな。

そこで私は愚行を犯す。手塚賞を受賞したのに、私は赤塚不二夫先生にサインを求めてしまう(^◇^;)。い、いや、もちろんアニメのジャングル大帝、悟空の大冒険、ふしぎなメルモ、諸々大好きでした! でも漫画を読み始めたのは赤塚先生のおそ松くんがキッカケだったりする。ああああ、せっかく目前に手塚先生がいるというのに、挨拶も出来ないまま、、、。

パーティ終了後は受賞者全員を別会場へ連れて行き、二次会の焼肉だったらしい。もちろん私も行きたかったが、先生から祝ってやる!と言われ私だけ別の店へ。そして麻雀やろうぜーーという流れになり、一緒にいた週刊ジャンプで連載していた大御所先生の職場へ。その先生からのお言葉。

賞を取っただけでは漫画家ではない。漫画家は漫画だけで飯を食っている人。連載してコミックスが売れて安定した収入が出来るようになったら漫画家と名乗りなさい、と。

ははーーーーっという感じでした。

自称漫画家は大勢います。事故や事件起こしてニュースや新聞に自称漫画家と載ると、誰だ誰だ??と勘繰りまくりますが、思い切り恥ずかしい呼称に気がつく。まだこの時の私は賞を取って雑誌に掲載されても漫画アシスタントという呼称のまま、まだここから3年の苦悩の日々が続きました。


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