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高齢者に対しての「親切」は必ずしも正義ではない

私たちは、小学校……いや、もっとその前から口を酸っぱくして教えられていることがある。それは「親切にしなさい」ということだ。

これを読んでいる方の誰もが、親切にしなさいと言われたことがあるだろう。そして、親切の対象となりやすいのが高齢者である。「お年寄りには優しくしなさい」…何度言われたことだろうか。

もちろん、この教えは間違ってないと思う。私たち若者に比べて、高齢者にはできることが限られてくる。

公共施設のバリアフリー化も、お年寄りに配慮したという意味合いが強いだろう。極端な話をすれば、年金制度だって働けないお年寄りにお金を与えるための制度だろう。つまり、高齢者に対する国の優しさなわけだ。

ただ、以下のコラムを見てほしい。
参考:「手厚い介護」や「親切心」が、利用者の能力を奪っているかも?(介護求人ナビ)
このコラムでは、その「親切心」が高齢者の未来を奪っているかもしれないと述べているのである。私自身も高齢者に対して過度に親切にしすぎるのは、どうかと思う部分がある。

そこで、高齢者に対して親切にしすぎる弊害とその解決法について考えていこうと思う。

■高齢者に対して親切にしすぎる弊害

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高齢者に対して優しすぎることの弊害について、いくつか確認していこう。

・「親切=わがままを許す」になっている

以下のコラムを読んでほしい。
参考:名誉教授の独り言(191) 高齢者を甘やかすな(千葉大学大学院 医学研究院 整形外科学)
千葉大学の名誉教授が、高齢者との一コマに対して感想を述べている。読んだ時、私も全く同じ感想を抱いた。

高齢者の中には、公共の施設でわがままを言う方がいる。もちろん、若者にも同じような人間はいるのだが、それに対する周囲の対応が異なると思うのだ。どこか「高齢者は仕方ない」と思っている節を感じるのである。
しかし、やってはいけないことは、高齢者だろうが若者だろうがやってはいけない。

実際に高齢者のわがままに対して、厳しく説教や注意をしたことのある人はどれくらいいるのだろう。仕方ないと割り切っている人の方が多いのではないだろうか。
そのような対応を世間がとることで、より高齢者は厄介者扱いされるのである。つまり、世間の対応のせいで、高齢者はより生きづらくなっていくのだ。

・身体能力の低下

高齢者と同じ家庭に住んでいる方は、経験があるだろう。運転能力がない高齢者を、短い距離だが車で送迎したり、タクシーを呼んだりといったケースだ。

親切心でこのような行動をとるのは必ずしも悪ではない。しかし、運動する機会が失われるというのは、高齢者の身体能力の低下を意味する。

過度に親切にすることで、高齢者の健康な今後を奪っていることにもなるのだ。

■どうすれば解決できるか

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この問題についての解決方法は、高齢者の周りにいる人たちで考えていく必要がある。

高齢者側は、受けた親切を断ることはできないだろう。かといって、一切、親切心を持たないのも違う。

バランスを考えなくてはいけないのだ。

・高齢者だろうが「客」は「客」である

まず言いたいのは、高齢者のわがままに困っているお店や公共施設の人たちについて。これは断言できるが、わがままに対しては強くものを言うべきである。

もちろん、高齢者の中には理解してくれない方もいるだろう。しかし、その場合は悪いがお引き取り願おう。場合によっては、警察を呼んでもいいかもしれない。

正しい対応を行うことで、高齢者は自らが間違っていることを認識するのだ。まともな人であれば、今後同じような過ちは起こさなくなるだろう。

悪いことは悪いと認識させなくてはいけないのである。

・できることはやらせる

高齢者だからといって、何もできないわけではない。むしろ、私たちと同じようにできることも多いだろう。

足腰が不自由でない限りは、自分で買い物に行かせたらいい。ちゃんと歩く機会を作ってあげることも親切である。

甘やかすことは親切ではない。そう肝に命じておこう。

■まとめ

高齢者にどのような対応をすればいいのかは、多くの方にとっての課題だろう。もちろん、親切にすることは悪いことではない。ただ、極端な話をすれば、電車で席を譲るという行為だって、高齢者の筋力の衰えを促進していると考えられる。

何が親切で、何がお節介で、何が甘やかしなのか、常に考えて高齢者と接しなくてはいけない。

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