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自分軸で生きてると思ってたけど、実は他人軸だった。
私は、自分のことを自分軸人間だと思っていた。つまり、行動や判断の基準・理由が他人起因ではなく自分起因だと思っていた、ということである。
例えば、自分の判断でこれは相手に言った方がいいなと思ったら、多少嫌な気持ちにさせてしまう可能性があっても言葉にするし、
ちょっとくらい周りに変だと思われても自分のやりたいことをやりたい。
先輩がまだ仕事をしていても、自分に手伝えることがないのなら気を遣ってその場に残るより、帰った方が合理的だし幸せだと考える。
ただ、最近ふと思った。
わたしは実は他人軸で行動しているんじゃないか。
それは彼氏の家でお風呂に入っていた時のことだった。お風呂にぶら下げてある、掃除用のスポンジが目についた。あ、このもふもふのスポンジで掃除するのなんか楽しそう。
でも自分の家だとなんか掃除してても楽しくないんだよな、ただのタスクなんだよな。このもふもふで掃除するから楽しいっていうよりは、自分の家より彼氏の家を掃除する方が楽しいってだけなんだよな、
元彼と同棲していた時もそうだった。
今日は帰って来るまでにご飯作ってあげよう、
なかなか掃除しない排水溝とか掃除しといたら褒めてくれるかな、と、
義務感というより積極的にやりたいという気持ちで家事ができる。
何をするにも、自分のためにすると思うとタスクになってしまう。自分がなにか食べたくて買ったり作ったりする時も、自分のための準備の時間は楽しくはなくて、楽しいのは実際に食べる時だけだ。
私は意外と、褒めてもらえる、喜んでもらえる、など、人にどう思ってもらえるかがモチベーションになるし行動基準になるらしい。
人に評価されるのが好きだったり、目に見えて自分の株が上がる瞬間が好き、というのもある。
そう考えた後、じゃあ良くも悪くも空気を読まずにいつも言いたいことを人に言えたり、行動できたりしてしまうのは何でだろうとも考えた。
これは私が自分のことを自分軸だと思ってきた所以の部分である。
恥ずかしげも無く言葉にするのであれば、
人にかっこいいと思ってもらえるから、
ふわふわとした議論や形骸化されている習慣に一石を投じる存在になりたいから、人とはちょっと違う異色の存在になりたいから、というのが解だと思う。
ただ、結局これも同じことだ。
「人に喜ばれる」意見を言うと言うことより、「みんなと違う」意見を言う方が魅力的に思ってもらえると判断した時に反対意見を出したくなる。
最近、「何か意見を言った時あなたはいつも
『でも、』って否定から入るよね」と言われた。
、、、私、すごく嫌なやつじゃんと思った。
みんなと違う意見出したがりマンなのはまあいいとして、人の意見も認めつつそれができるようになったらいい。
私の人生のモットーは「可愛く生きる」なのだが、言い換えれば、人に魅力的だと思われることが私の生きるモチベーションなんだな。
これを、人に嫌われない、不快な思いをさせないことと両立するのは今の私にはなかなか難しい。
日々精進。
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