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ウケるということ〜原体験編〜

以前書いた2本の文章に、「スキ」をしていただいた方、ありがとうございます。自分のことを書いた駄文に、ちゃんと反応があることがこんなに嬉しいとは、と感動しております。

さて、このnoteは仮名でやっております。実名を出して、自分自身のこと、自分の好きなもののこと、日々の中で思うことを書くのが恥ずかしいという感覚があるからです。でも、文章を書いて自分の考えを言葉にしたい、そして誰かにわかってもらいたいという願望は確かにあるのです。

思えば僕は、この感覚にずっと苛まれてきました。自分が面白いと思うことを表現したい、けどそれをすることは死ぬほど恥ずかしい。

僕はお笑いが大好きで、お笑いに救われてきました。詳しくは書きませんが、大学に入ってからはお笑いの世界に片足の爪先だけをちょこんと浸けてみたりしています。お笑いが好きでよく観る、のに留まらず、自分でお笑い(の真似事)をやる、に至るのです。人見知りで引っ込み思案のはずの僕が。それはなぜか。

自分が考えたこと、自分が言ったことで誰かが笑うとき、僕はとてつもない快感に襲われます。いつのまにか「ウケ」を取るということが、僕の人生のテーマの一つになっていったと思います。なんでそうなってしまったのか、僕にとってウケるとは何か。せっかくnoteという場を作ったので、これについて文章を何本かに分けて書いてみます(行き当たりばったり書いてみるだけですが)。

自分のやったことで人が笑う、という成功体験のうち、最も印象的だったうちの一つが、生徒会長選挙の応援演説をしたときのことです。

高校の時、そんなに冴えない友達が急に生徒会長選挙に出ると言い出しました。生徒会長選など、結局人気投票になるのだから、一軍でなければ受かるはずがありません。三軍の僕らには無謀な挑戦でしたが、立会演説会で彼を面白い人だと思ってもらうことで、その直後の投票で一軍と健闘できるかもしれない。そう思い僕は、彼を面白い人間だとアピールする応援演説をやりました。

結果は、一軍に惨敗でした。それはいいのです。

予想外なことに「お前が立候補すればよかったのに」とたくさんの人に言われてしまったのです。

僕の応援演説は、本人演説を食ってしまっていました。僕は彼のチャーミングな人柄を紹介するエピソードを披露しました。そして狙い通り、体育館に集まった1000人の聴衆を沸かせました。「ウケ」たのです。その後、立候補者本人である僕の友達は、真面目に政策を発表しました。おもしろポイントも入れて、よく練ったつもりでしたが、インパクトには欠けるものでした。僕は彼をおもしろい人だと思ってもらいたかったのに、印象としては僕がおもしろい人になってしまったのです。

僕は彼に対して、本当に申し訳ないと思いました。自分が目立ちたかったわけではないのですから、不本意な事態です。ただそれと同時に、こういうのが得意なんだ、という自信も得ました。お堅い空気のなかで、クスッと来るようなエッセンスを入れ込む。

今でも、例えば地域のイベントに漫才で呼ばれることがあります。お笑いを観にきたつもりのない高齢者たちの前に出ていくというのは、なかなかウケることが難しい状況です。それでも、舞台袖から会場を見るとき、あのぼーっと座っているおじさんをなんとか破顔させたい、と考えると僕は燃えます。そして、その場で考えたツカミを言って、ややウケしたり、しなかったりするのです。

そんなこんなで、大勢の笑い声を聴く、という経験を多少ながらしてしまうと、ウケるということが病みつきになってしまうのです(若林さんのエッセイにもこんなこと書いてあったな)。

ウケるということについては、また書きます。ただ笑いを取る、というだけのことではなかったりするので。

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