2024.9.30




映画館の余韻みたいな
9月だった

厳しく激しかった映画の後の
ぼーっとした余韻

最初
意識はまだめまぐるしい

ふあ…っと点く館内照明が
お別れを告げるシグナルだとは
あまり気づかない

でも2時間黒子に徹していた座席の質感が
じわりと戻って来て

前の席の客の頭とか
甘い匂いのポップコーンのすがたが
徐々に闇から浮かび上がってくると

無意識のほうは
離水の準備を始めている

「おおっ」って
声にならないくらい短く
一瞬だけ戸惑うと

記憶の結合はもうゆらいで
情報の取捨選択と都合よい再構築を
自然に始めている

それは静かにおこなわれる
深追いはしない

やがて
「ここ」はもう終わりで
「立って進む」のだという

その2つの
バカみたいに単純な
小荷物みたいな意思だけ手に持って
だらんとした頭を振っててこてこ歩いてさ

そうして

あの
映画館の廊下という

まだ定かな現実でもない
夢でもない

ゲートを出るまで
まだ何の始まりも訪れない
「あいだ」の場所を歩くと

身体と
意識と
無意識が
統合しきれないまま歩いてるのを感じる



この9月もそう

非現実的なまでに厳しかった「夏」
劇的に激しかった「夏」

それはほとんどただのパニックムービーで
かつ古参ファンが落胆するようなクソ新作

明確なお別れのシグナルもなく
ふあ…っと終わったのが9月20日

それから秋らしい秋の実感にも
まだ辿り着かない

体感の涼しさ
意識にちらつく酷暑のトラウマ
無意識の時間感覚

ぜんぶぜんぶ
統合しきれないまま歩いてるのを感じる



深追いすれば秋の雲
どこまで歩いても
何かの余韻でしかなさそうな
小荷物程度の非日常







#詩 #のようなものとか