私と推しのどうでもいい話

どうも、暇です。

…と言えたらどんなに楽しかっただろう。コロナの最中ですが通常営業+アルファで元気に出勤しているサービス業従事者です。時短?休業?リモートワーク?なにそれ美味しいの????


しかしながら、悲しいかなお仕事は忙しくとも推し事は絶賛閑散期。たびたび同期に驚かれているが、推し事があればどんなお仕事にも耐えてこれたので地味に今が一番辛い。…と言いたいのだが、私にとって一番辛かったのは今ではない。1年半前くらいが一番辛かった。

というのも、私が人生最後の推しだと思って応援してきた推し(彼が引退したら同時にヲタクから足を洗おうとか思っていた←)が、突如華やかなステージから引きずり下ろされてしまったからだ。正直、あの頃の記憶はあまりないし、思い出したくもない。悲しすぎて逆に涙が出ないほど悲しかった。しかし、今熱を注いでいるWE IN THE ZONEを真っ直ぐに推そうと思うと、そろそろあの時の気持ちを精算してしまいたいなと思い始めていたりする。精算したいというのは、推しを嫌いになるわけでも卒業するわけでもなく、あの禍々しい過去を書き記すことで心の内から吐き出してしまおうというものだ。推し繋がりのお友達、まだまだ追うから仲良くしてね。

なので今日のノートは、推し事がなくて暇な自分のための懐古話である。




初めて推しを見たのは、2017年7月25日(日付まで覚えてるのキモい←)だった。それまでは、高校生の時から推していたグループを追いかけていた。何ならその1ヶ月くらい前までツアーで日本各地を巡る程度には好きだった。しかし私が約1年アジアを離れたため暫く追えていなかったり、その間にグループの目指すところが大幅に変わってしまったり、まぁ界隈のゴタゴタや事務所の対応などが色々重なって、当時の私は彼らを推すことに疲れ果てていた。もう応援できない、気持ちがついていかないと疲弊していた時に、私は偶然歌番組で推しを見つけた。


そう、見つけてしまったのだ。


私の推しは、推しの所属しているグループのメンバーは、みんなとても楽しそうに音楽をしていた。ステージ上でキラキラしていた。ファンのためとか、そんなことよりも、自分たちが大好きな音楽をやりたい!と言っているようだった。もちろんファンのためにと想ってくれることは有り難いが、私自身好きなことに熱中する人を好きになる傾向にあるので、音楽を愛する彼らから目が離せなくなった。そしてその日の内に画像を検索し、メンバーの基本情報を押さえて始めていた。

彼らへの思いを燻らせたまま夏が終わり、9月8日、ホンデの小さなライブハウスで行われたライブに参戦。初めて彼らの音楽を生で感じられる機会だった。マイナー過ぎるイベントで外国人故にチケットが取れず何も持たぬまま韓国へ飛び、韓国人の友人に当日券があるかを受付で確認してもらって何とか現場に入ることに成功した。そしてそこで、あまりにも完成度の高い素晴らしいステージを見て、圧巻された。これほど実力のある彼らを好きにならないなんて、そんな選択肢のなかった私は、彼らを本気で推そうと心に決めた。あの日の感動は、トキメキは、本当に忘れられない。


残念ながら、推しのグループは韓国でも知名度が低い歌手だった。歌番組やフェス系の出演は多かったのだが、アイドルではなくバンド活動をメインとしていたこともあり、日本での知名度なんて…言わずもがな。そのため日本語の記事やブログがほとんど無く、まだまだ韓国語の初心者であった私はとても困った。探せど探せど日本語での情報がない。英語の情報も僅か。韓国語を勉強する他ないと思った。その時すでに大学4年生の夏である。当時初級韓国語の講義は履修していたものの、それではもちろん情報収集するには知識が足りないわけで。中級は独学で軽く触りつつ、ネット記事を翻訳しながら韓国語を勉強した。なので私の韓国語のボキャブラリーは未だに偏りが激しい。

社会人になったら、最初のうちなんてヲタクできないだろう…と腹を括っていたので、大学生の間にあったイベントには極力出向いた。ファーストコンサートでは米花輪を初めて贈った。歌番組の収録にも参加した。どれもとても楽しく思い出深いものだった。もう大学生活に悔いはない…。

しかし、腹を括ったはずなのに、社会人6日目の私は韓国にいた。あれ、おかしいな?まぁ、その…社会人になると時間はなくてもお金があるので、日帰り10万かけて韓国へ飛べるようになってしまったのである。初めてのサイン会も日帰りだった。セカンドコンサートも日帰りだった。元々体力がないので身体はボロボロになったけれど、一瞬でも彼らの歌を聴けるだけで幸せになれた。私は彼らに対して接触を望んだことはない。私は推しを崇拝するタイプのヲタクであるので、推しに認知されたいわけでもなかった。もう、兎にも角にもステージが最高なのだ。歌番組の収録だろうがライブだろうがフェスだろうが常に生歌アンド生演奏。大人顔負けの技術を持ってして演奏される、身体で感じる音楽にハマってしまった。特にベースの生演奏なんて、本当に身体の芯から震えた。彼らはアイドルではなく、バンドであり、プロのアーティストだった。

この感動を、この喜びを、きちんと伝えたい。彼らの話していることも、きちんと理解したい。そう思った私は10月頃からマンツーマンの韓国語レッスンを毎週受けるようになった。仕事をだいぶ覚えてきた頃で、できることも増えていたので仕事量は増えていた。通勤電車の中で課題に取り組み家に帰ると死ぬような日々でも楽しかった。幸せだった。そろそろ次の活動があるのではないか、と思っていたタイミングだったので、サイン会があれば学んだことを発揮したい!次はいつだろう!と準備をしていた。


しかし、レッスンを開始して約3週間後、彼らはステージから降りざるを得なくなった。


これが、ただの会社の不祥事ならよかった。いっそ推しの結婚とか彼女バレとかの方がよかった。もっともっと、闇の深い、韓国芸能界の膿が溢れた事件だった。記憶が定かではないが(悲しすぎて情報を追い切れていなかった)、刑事事件になったんじゃなかろうか。裁判も終わり刑も確定したはず…いや、控訴したんだったか。曖昧。概要としては事務所がメンバーを日常的に虐待していてメンバー(2推し含)から訴えられたのだが、これはまずいと思ったのか告訴から数日後にメンバー全員を解雇したのだ。推しはある日突然、契約終了でもなんでもなく、芸能人ではなくなった。

おしまい。

ちゃんちゃん。


…なーんて話で済んでいれば、私は怒りの矛先を事務所に向けることができた。いや、あの時も、今も、事務所(というかその中の特定の人物)に怒りを向けているが…とてももどかしかった。なぜなら、不当に解雇されたにも関わらず推しは事務所側についたからだ。つまり、2推しと対立したのだ。メンバー同士で対立する姿なんて、裁判をする姿なんて、見たくなかった。推しはなんで事務所側につくんだろう?自分だって被害者じゃないか…と理解に苦しんだが、幼い頃に上京し事務所を家族のように思っていた推しは、きっと事務所の異常さに気付けなかったのだと思う。児童虐待そのものだったのに、彼にとってそれは日常だったようだ。そう思うと、苦しかった。君が大切にしたい人たちは、君を大切にはしてくれなかったんだよ。未成年の愛しい子ども達が経験するには、あまりにも残酷すぎる事件だった。

一時期、この事件はKpop界隈で話題に上がったはず…多分。自分の界隈のことしか分からなかったので、他の界隈の人には知られていないかもしれない。会社の会長が韓国芸能界の重鎮と表現すれば良いだろうか、そういう人だったから余計韓国では話題になったようだった(し、その恩恵を受けていたから歌番組の出演なども多かったのだろうと、私は勝手に思っている)。きっとKpop界隈に数年前から身を置いている人は、あの会長が作った音楽を聞いたことがあるはず…某オーディション番組に曲の提供をしていたから。それもあり、推しグルが一時期番組のファンから貶されたこともあり、番組への嫌悪が強めだったりする。好きになる努力はしたけどれど、どこかしら引っ掛かってしまうのは致し方ない。


あの事件から約1年半。推しが一般人になって、約1年半(※事務所に所属しているのかどうかがまだ不透明なので一般人と定義しておく。元事務所関係者の新設事務所に所属しているような気もするが)。長いような、短いような、どちらとも言い難い期間が過ぎた。その期間が彼らを癒したのかどうか定かではないが、私の推しともう一人を除いて、メンバー達はテレビなどの表舞台には立たないけれども細々と芸能活動を続けている。やはり、誰も彼らから音楽を奪うことはできなかったのだと安心した。活動していない一人のメンバーはあまりにも幼過ぎたので(虐待開始時は小学生くらいのはず…)傷が深かったのか、はたまた幼少期からの長い芸能生活に飽きたのか、学生を謳歌しているらしい。しかし芸能関係の学校に通っているので、今後また元気な姿で活躍してくれたら応援したい。

私の推しはと言うと、2019年11月25日の月曜日に入隊した。入隊するという直筆の手紙を見た時は絶望で泣いた。辛かった。家族での海外旅行あたりから薄々そんな気はしていたが、まだ二十歳だったから油断していた。それに裁判が収束に向かっていた頃で、これからの活動に期待していた最中だった。しかしゴタゴタの後すぐに芸能活動を開始するよりは、少し時間を置いてからの方が彼もいいのかもしれない…それに、数年細々と活動して入隊するくらいなら今行った方が賢明な判断かもしれない…そう自分に言い聞かせた。事実彼の手紙にも、「みなさんと長く一緒にいるために入隊を決断しました」と書かれていたので、彼が芸能界に戻ってきてくれるつもりがあるのならばそれまで待っていたいと思った。

彼の何がここまで強く私を魅きつけるのか分からない。ただの意地かもしれない。確かに彼の歌声は世界で1番だと思っているが、ほとんど露出のなかった不安定な1年半、そしてさらに入隊しての約2年間、待ててしまうと思えるだけの何かが、彼にはあるらしい。つまり、誰に理解されなくとも、彼は私にとって本当に尊い存在なのだ。見返りもなく(休暇中はたまに送ったインスタのDMに返信や反応をくれるけれども)、ただ待つだけだが、良い。彼が幸せでいてくれれば、それで。

きっと推しに対する気持ちなんて、みんなそんなものではなかろうか。


…お気付きの方もいるかもしれないが、彼が入隊する前日はWE IN THE ZONEの韓国ファンミーティングがあり、私は渡韓していた。飛行機の時間をずらせば、追いかけられたかもしれない。しかし入隊を見に行くことはなく帰国した。彼は私の中で特別なだけで、ただの一般人である。一般人が入隊前に家族と過ごす大切な時間をぶち壊してまで応援に行きたいなんて思えなかったし、そこは彼のプライベートだから踏み込んではいけない。正直、そう思っていても、ファンミーティングの時は公演を見れている嬉しさと、明日推しが入隊してしまうという悲しさを抱えていて複雑な気持ちになることが多かったけれど…納得していても、悲しいものは、悲しい。

除隊まであと約400日となった。早く帰ってきて欲しい。早くおかえりと言いたい。早く、芸能人に戻って欲しい。全ては私の願望であるが、彼が自ら戻ってくることを示唆しているのでただただ待ち続けたい。きっと私は彼の言葉を信じていたいのだ。しかし、裏切られたからと言って嫌いにはならないだろうとどこか自分を俯瞰していたりもする。一般人を推す期間が長すぎて感情が拗れてしまったのかもしれない。



色々あり過ぎて自分の中でもタブー視していたけれど、こうして言葉にすると、やはり彼の存在を愛しいなぁと再認識してしまう。好きや嫌いで表現できるような気持ちではないみたいだ。

今後も私は定期的に彼を懐古するだろう。休暇中にインスタライブをすれば、フォロワーさん方に迷惑をかけるくらいには盛り上がるだろう。でも、今のWE IN THE ZONEのように大きな熱を注ぐことは少なくなるかもしれない。だって彼は、アイドルでもバンドマンでも芸能人でもなく、入隊中の一般人だから。書いていて、やっと納得できたかもしれない。一般人だと知りつつも、彼は私の中のアイドルであったから。

でもでも、それは彼を応援しなくなるということではなくて、彼のことを正式に「推せる」日が来るのを、地を這い春を待つたんぽぽのように、静かに待っていたいという気持ちに似ているかもしれない。こんなふうに思える存在に出会えるなんて本当に奇跡であるだろうから、私はかなりの幸せ者のようだ。

これからも、彼のことは継続してそっと推していきたい。熱を注ぐのは、きちんとした芸能人にしようと思う。そして芸能界に戻ってきてくれた暁には、本腰を入れて追いたいと思っている。


彼が自らの意思でステージを降りる、その時まで。

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