出国し、日本に到着しました
皆様、こんばんは。お盆の連休明けに恐縮ですが、少しだけお話をさせてください。
5年前のある日、僕はいつものようにカフェでコーヒーを飲んでいた。すると、突然カウンター越しに店員のAさんが「人生を変えるにはどうしたらいい?」と話しかけてきた。僕はその時、特に深く考えることもなく、「日本語を勉強してみたらどうだろう?」と答えた。それがこの長い物語の始まりだったんです。まさか、こんなに続くとは思ってもいませんでしたが、ついにこの物語も完結を迎えます。
ミャン子が、ついに出国しました。
本来ならば7月31日に出発予定だったのですが、日本側の事情で少し延期されました。実際に飛行機が飛び立つまでは安心できない、そんな不安な状況の中で、2週間後にようやく確定しました。今回ばかりは、本当に飛び立つんだな、とようやく胸を撫で下ろすことができました。
家族との面会についても触れておきたいと思います。出国までの間に田舎へ帰省し、最後の家族との時間を過ごしたかったのですが、ミャンマーの現状では帰省が危険すぎる。民主派の荒らし者や軍に絡まれ、事件に巻き込まれる可能性もある。そこで、エージェント側の判断で、家族をヤンゴンに呼び寄せることにしました。
僕も何かしてあげたいと思い、ヤンゴンでミャンマー人が大好きなホットポット(鍋料理)の食べ放題に、家族全員を招待しました。ミャン子の家族にとっては初めての体験であり、まさに一生に一度の贅沢でした。彼らがパンパンになるまで食べたのは、なんとも微笑ましい光景でした。
そして、僕のサポートもこれで終わりです。5年間にわたる日本語指導とサポートは、今月をもって終了します。この5年という歳月、長かったですね。最初は「とりあえず日本語検定5級を目指してみたら?」と言っただけだったのに、ミャン子は毎朝5時に起きて勉強し、半年でN5を取得しました。本気で取り組んでいる姿を見て、僕も覚悟を決めたのです。半端な気持ちで始めた以上、途中で投げ出すことはできない、と。
しかし、この5年間は順風満帆ではありませんでした。コロナで語学学校が閉鎖され、クーデターで田舎に避難し、半年間勉強が中断。日本企業の撤退で失業し、軍による土地の没収で生活は困窮。さらに10回もの面接に落ち続けた。しかし、ミャン子は一度も希望を捨てることなく、最後までやり遂げました。
この5年間、僕自身も多くのことを学びました。人を育てる難しさ、そしてその中で得られる成長。ミャン子が日本で活躍する姿を信じています。
最後に、ご支援いただいた皆様に心から感謝申し上げます。ミャン子の夢を実現するために、多くの方々のご支援があったからこそ、ここまで来ることができました。日本への渡航に伴う経済的な不安は大きく、皆様からのご支援がなければ、この夢は実現しなかったでしょう。
これまでのご支援で、生活費やエージェントへの支払いに充てることができました。また、これからの生活に必要な物資や手続きにも多大なサポートをいただきました。皆様のおかげで、彼女は日本で新しい生活を始めることができます。
日本に帰国した際、これまでお世話になったミャンマーへの恩返しとして数人の若者を日本へ送り出してきましたが、今回のミャン子が最後の教え子となります。5年間の間に、私なりにできる限りの支援をしてきたつもりです。個人としてできる限界を感じつつ、若い世代の仲間たちがミャンマーで新たな活動を展開しているのを見ると、彼らにバトンを渡す時が来たのだと思っています。
今後もミャン子の日本での生活について、責任を持って報告を続けてまいります。彼女とその同僚たちが、無事に日本へ到着し、各々の夢を実現できることを祈っています。
ありがとうございました。
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