おしふぃー

中学校不登校、16歳時独学で大検に合格し大学入学。新卒リクルート入社。地域活性の関心か…

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中学校不登校、16歳時独学で大検に合格し大学入学。新卒リクルート入社。地域活性の関心から町役場出向。その後県庁へ転職し一年で退職。ミャンマーへ移住し日系広告代理店勤務。半年無職しヨーロッパ放浪、インドでヨガ修行を経て帰国。現在はGAFAM勤務

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  • キャリアの話

    不死鳥のように何度も蘇るキャリアの話

  • ミャン子の奮闘記

    軍事クーデターにより混沌としたミャンマーから脱出すべく、軍に実家の農地を没収され、帰る家を無くしたミャン子が崖っぷちで日本への就職を目指す奮闘記。

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    日々の生活に関するあれこれをまとめています。

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    中学3年間不登校から中卒の経歴の筆者が日系大手に新卒入社し、町役場職員から県庁職員という2つの自治体の公務員の立場から地方創生分野で活躍し、更に英語力0から海外勤務を経てGAFAMに勤めるまでに至ったノウハウを詰め込んでいます。 日本国内で100万人を超える不登校でお悩みの方、地方創生に携わりたい方、キャリアに悩んでいる方、2拠点生活のポイント、公務員転職の裏技など、あらゆるニーズにお応えします。

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不登校のススメ

不登校のススメ 僕は10代の頃、不登校だった。当時はインターネットがまだ黎明期で、ダイアルアップが主流だった。情報も少なく、自分以外に不登校の学生がいるなんて想像もできなかった。親も教師も、友人たちも、僕の不可解な行動に困惑し、まるで異質なものを見るような目で僕を見ていた。彼らには僕の気持ちが理解できなかったし、僕自身も、自分がなぜこんな行動をとるのか、最初はよくわからなかった。ただ、その答えを探す手がかりは、誰も教えてはくれなかった。 不登校は本当に悪なのか 不登校と

    • 出国し、日本に到着しました

      皆様、こんばんは。お盆の連休明けに恐縮ですが、少しだけお話をさせてください。 5年前のある日、僕はいつものようにカフェでコーヒーを飲んでいた。すると、突然カウンター越しに店員のAさんが「人生を変えるにはどうしたらいい?」と話しかけてきた。僕はその時、特に深く考えることもなく、「日本語を勉強してみたらどうだろう?」と答えた。それがこの長い物語の始まりだったんです。まさか、こんなに続くとは思ってもいませんでしたが、ついにこの物語も完結を迎えます。 ミャン子が、ついに出国しまし

      • 日本へ行くための手続きあれこれ

        さて、話は7月に戻るが、ミャンマー支援のその後についてだ。軍が再びインターネット規制を行い、一時的に連絡が途絶えたが、最近になって回線が復旧し、再び連絡が取れるようになった。 現在は、引き続き介護の研修プログラムを進めている。日本行きに関しては、いくつかの必要な手続きがあり、その申請と承認を待っている段階だ。特に重要なのが、Demand letterとCOE(在留資格認定証明書)だ。先日、VISA申請も完了し、準備は最終段階に入っている。 ミャンマーの為替が対ドルに対して

        • 日本行き、決まる

          一月の終わりが近づくにつれて、ついに大きな変化が訪れた。支援を続けていたミャン子にとって、一月は二つの面接と日本語検定の結果発表という重要な局面を迎えた。今日は、その結果について報告しようと思う。 まず、三度目の正直、日本語検定の結果はというと…。 不合格! 残念だった。苦手意識があった文法がやはり足を引っ張ったようだ。日常会話レベルのN3を取得できれば、面接でもかなり有利になるはずだったが、今回は惜しくもそのチャンスを逃してしまった。しかし、まだ諦めるわけにはいかない

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        記事

          大学での出張講義

          毎年恒例の行事毎年、春と秋の二度、僕は長野県松本市にある信州大学で講義をすることになっている。もう7年か8年目になるだろうか。ニート期間中でさえ、彼らは僕を招待してくれた。「無職の方はちょっと…」と、大学の事務職員を困らせたこともあった。他にも福岡大学や広島大学で講義を頼まれることがあり、要請があれば、柔軟に応じるようにしている。 講義の内容は、仕事を活かしたマーケティング関連か、経験に基づいたキャリア教育が多い。特に最近では、コロナ禍で活動が激減してしまった学生たちに対

          大学での出張講義

          36歳で実家住まいの無職になった話 その3〜再就職〜

          友人たちに促され、再就職を決意したものの、現実は想像以上に過酷だった。36歳、無職、実家住まい、そして過去8ヶ月間を自堕落に過ごしてきた僕は、自分の置かれた現状を冷静に見つめると、なかなか絶望的な状況にあることがわかった。 だからといって、「仕事なら何でもいい」というわけにはいかない。無駄に高いプライドが邪魔をしていたのか、それともまだ働きたくないという心の奥底にある前向きな気持ちがあったのか、僕は自らに無駄に高いハードルを課して就活を始めた。さらに、ミャンマーでの起業の

          36歳で実家住まいの無職になった話 その3〜再就職〜

          36歳で実家住まいの無職になった話 その2

          ニート生活は、意外にも快適だった。当時、世界中がコロナに翻弄され、日本でも外出禁止や感染者への誹謗中傷が蔓延していた。ワイドショーでは、感染者を特定し、袋叩きにする光景が日常化していた。そんな騒動の中で、僕はというと、ネットフリックスとビデオゲームに明け暮れる毎日を送っていた。 36歳無職、実家での自堕落生活 ステイホームのスローガンのもと、ビデオゲーム機やサブスク動画のデバイスは飛ぶように売れていた。メルカリでは、何倍もの値段で取引され、世は完全にステイホーム一色だった

          36歳で実家住まいの無職になった話 その2

          36歳で実家住まいの無職になった話

          2020年の4月。30代も後半に差し掛かった頃、僕は実家にいて無職だった。 インド滞在 2020年の初め、僕は突然思い立ち、2月からインドのバンガロールへ旅立った。Airbnbで借りた一軒家に身を寄せ、毎朝ヨガに励む日々を過ごしていた。バンガロールは一年を通して気候が良く、僕が訪れた時も涼しい日が続いていた。治安も良く、物乞いに囲まれるようなことは一度もなかった。マイクロソフトやグーグルが拠点を置くこの街は、僕たちが一般にイメージするインドとはまるで異なる風景が広がってい

          36歳で実家住まいの無職になった話

          人生を変えるにはどうしたらいい?

          ミャンマーとの関わり 2016年の4月、僕は一人でミャンマーに向かう決意をした。英語もミャンマー語もまったく話せない状態での移住だった。ちょうどアウンサンスーチー率いるNLDが政権を握り、民主化が進んでいく時期。そんな流れの中で、僕は人生で初めての海外生活をミャンマーで経験することになった。3年か4年の間、アジアの最果てとも言えるその国で、僕の人生が少しずつ形を変えていった。 おしふぃーの仕事 ミャンマーでは、日本の広告代理店ADKに勤め、アジア最後のフロンティアに希望

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          プロフィール

          はじめまして。おしふぃーと申します。この度、noteを始めることにしました。インスタやTwitterも、少し頑張ってみようと思っています。 はじめての方に向けて、まずは簡単な自己紹介をさせていただきます。 僕は福岡県の生まれで、現在は湘南に住んでいます。中学校には入学して30日で挫折し、それ以来、学校には通いませんでした。新聞配達のアルバイトをしながら、高校には進学せずに中卒。その後、16歳のときに独学で大学入学資格検定に合格し、地元の大学に進学しました。現在は本業の傍ら

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