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アクリルスタンドは失われかけた豊かさと時間を取り戻すたったひとつのカギなのだ

アクリルスタンド、通称「アクスタ」をご存知だろうか。透明な板に絵や写真のプリントが施され、それを専用の台座にくっつけると、直立するグッズである。幼い頃、図工の時間にプラ板制作をした覚えはないだろうか。プラスチックに絵を描き、オーブントースターで焼いて固めたものだ。世界に1つだけのキーホルダーを作り上げ、大事に大事にランドセルに取り付けたは良いけれど、1週間も経てば失くしてしまったプラ板。アクスタはあれのもっとすごいやつだ。

アクリルスタンドの存在を知ったのは、おそらく10年前だっと思う。当時は主にアイドルや二次元キャラクターのグッズとして販売されており、私の周りには所有している人がほとんどいなかった。かくいう私もアニメや漫画は好きだけれど、グッズ所有に関しては作品への盲信的な思想を感じてしまって、どうにも手を伸ばせなかったのである。

もっと正直はっきり言うと、アクスタを買う理由が全く分からなかった。もしグッズを買うとしても、フィギュアや、ぬいぐるみなどの立体作品を手元に置いて、画面や紙からは得られないキャラクターの造形を楽しみたい。そんな思いからガンダムシリーズのサザビー1/60モデルを購入したこともあった。組み立てが面倒で、この世界にお披露目されたのはそれから1年半が経った頃だった。雀の涙よりも小さいグッズ愛しか持っていなかった私にとって、アクスタに何の魅力も感じていなかったのだ。

単に小さい画像が独立しているだけのグッズ。もうPCもスマートフォンも普及しているのだから、そんなに好きならディスプレイ壁紙にでもすれば良い。実際に好きな漫画のイラストをラップトップやiPhone5の壁紙にしていたし、それで事足りた。何度も言うが、アクリルスタンドなんて買う意味が本当にわからなかったのだ。自分の人生にアクスタというグッズが交わることはないと思っていた。

アクリルスタンドへ興味が芽生えたのは2023年4月14日の夜。あるベテランプロ野球選手の圧巻の振る舞いに撃ち抜かれることとなる。

NPB公式試合で3年ぶりのセーブをあげた沢村拓一投手の投球シーン。渾身の一球を放ち、打ち取った打球を仁王立ちで眺める姿は、まさにベテランの貫禄であった。超一流の風格を名実ともに纏った仁王立ちを見て、私は思わず「アクスタ欲しい」とひとりごちた。

衝撃パフォーマンスに気を取られ、無意識に口に出してしまった一言に、なんてご冗談を・・・別にあったところでな・・・。とすかさず思い直した。それからさらに1年の月日が経ち、アクリルスタンドへの興味は風化したはずであった。

先日、知人が悩みを抱えているという話を聞き、すぐさま我が家へ招いた。ミュージシャンの彼は、バンドメンバーとの関係や日々のコミュニケーション、作詞・作曲など音楽活動における全てに悩み、息詰まっていた。私からできることはとにかく話を聞くことぐらいしかできず、少しでも気が軽くなるようにと、多少のアルコールと、ちょうど作っていた晩ごはんを振る舞うことにした。「家で人の料理が食べれるだけでうれしい」と、お盆にのった小鉢や茶碗を手に取る様を見ていると、この仕事があればなあと頭をよぎった。非営利の深夜食堂でも開いてしまおうか。

空になった皿たちを台所へ追いやる。そのまま冷蔵庫を開け、数本目のビールを手に取り彼へ渡す。腹ごしらえも済み、酔いが回り始めた私と彼は、重ための悩みを置き去りにし、与太話を肴に酒を飲み始めた。

ダイニングテーブルに空き缶が並ぶ。その列が増えるたびに、我々の体幹は軸を失い、曲がりくねる。彼のバイト先にいる、瞳孔が開き切った社員のエピソードは、何が面白いかももう判断できないが、毎回私が放つ「なんやねんそれ」を皮切りにゲラゲラと笑いが起こる。先ほどまでの団らんから一変、ダイニングは駅前の安居酒屋になった。

家への安心感なのか、それとも数%のアルコールのせいか、紅潮し緩み切った顔。半開きの口から放たれた、脈絡もクソもない私の一言が、アクスタへの欲望を再燃させた。

「アクリルスタンド、欲しくないですか?」

「は?」

唐突な一言に彼は上手く答えることができない。私もいきなり何を言っているんだろうかと戸惑ったが、身体にこだまする一言は、先ほどまでの赤ら顔をすとんと白に戻し、同時になんとかこいつにわからせたいという青い熱にすり替わった。

「アクスタですよアクスタ。欲しくない?」

「いらんやろ」

返答は至極真っ当なものだった。彼からアイドルもアニメの話を聞いたことはなく、別に推している人がいるわけでもない。そもそもアクリルスタンドについて考えたこともないだろう。

「ですよね。そうなんですよ。いらんのよ。でもね、なんでアクスタが欲しくないのかって考えると、結構簡単なんよ。」

そうして私はつらつらと理由を述べた。

「まずね、インテリアに合わないじゃない。多分CDとかレコードとかいっぱい持ってるやろうし、ポスターとか貼ってるかもしれない。お気に入りの植物があるんかもしらん。そんなとこに透明の板あったら変よな。あと、たがだか透明な板よね。そんなものにお金を払う理由がよくわからん。なにより、アクスタ持ってる自分が恥ずかしい。誰かに見られるものじゃないけれども、なんか持ってる自分って、めっちゃ恥ずいじゃないですか。」

「あとはまあ、アイドルとか好きとかちゃうしなあ。」

「そうね、推しがいないってのもわかる。それはまた別なんやけど、ここでな、さっき言った理由を全部取っ払ってもう一回考えてほしい。1番大事なことは、所有の恥ずかしさを捨ててしまうことだ。」

・自宅のインテリアに合わない
・たかが(されど)透明な板
・所有の恥ずかしさ

これらを取り払った場合、アクリルスタンドについての機能について2人で考えた。そうすると、偶像としての純粋な姿が浮かび上がったのである。

まずアクリルスタンドは喋らないし動かない。もちろんそうなのだが、例えば芸人の話芸や俳優の名演技の要素はアクリルスタンドには全くない。アクリルスタンドが持つ役割は、ビジュアルただ一点なのである。

ただし、日常にはいるはずのない「推し」のという物体を、自宅という最も自分が気を許す場所に擬似的に存在させることができる。会話もなければ動くこともない。しかし、これほど簡単に推しという非日常を自分の領域に持ち込めるものもない。友情や恋愛といった感情ではなく、いるだけで嬉しいというとても純朴な気持ちを、先述のいらない理由を飛び越えるだけで、たったそれだけで獲得できるのだ。

膨大な情報を取捨選択し得られる社会になった今、メイン/サブカルチャーという区切りはほとんどなくなってしまったように思う。どこを切り取ってもカルチャーで、個人単位でその趣味は変わる。とすれば、何かが好きだから気持ち悪いとか、こんなものが好きな自分は恥ずかしいという感情は、ただの勘違いなのではないか。その社会に向けた勘違いを、自分が安らげる場所である家に持ち込むのは、もう古い考えではなかろうか。これだけ多様性について叫ばれている社会で、たかが透明な板であるアクリルスタンドを所有して嬉しい気持ちになってもいいんじゃなかろうか。やっぱり恥じらいはあるけれど、それを超えてアクスタがあって良かったなと思えても良いんじゃなかろうか。それくらいの権利はあるはずだ。その権利こそが、現代に必要な豊かさなのだ。

社会では当たり障りのないコミュニケーションをしている我々が、非人道的でない限り、どんな趣味を持っていても認められつつある社会に生きる我々が、家という閉鎖された空間の中で、隠れキリシタンのようにアクリルスタンドに豊かさを覚える。この背徳感にも近いような感情が、アクリルスタンドの価値の入り口になるのではないだろうか。中学生の頃、人気者たちから離れて、こそこそと深夜アニメや漫画の話に花を咲かせたあの時の自分を、もう失われかけているあの時間を、この現代に取り戻すのだ。


そこまで話すと、あれほどいらないと言っていた彼は、ぽろぽろと言葉を紡いだ。

「実は、とあるサーキットフェスで観たアイドルの1人がな、なんかな、すっ好きでな・・・。インスタフォローしてるねんな・・・。できれば会いたいんやけど、でもそれは叶わないから、ちょっとその子のアクスタ欲しなってきたわ・・・。」

さらに、アクリルスタンドを置く場所さえも語り出す。「家のスピーカーブロック塀とスポンジ噛ませてあってそこに布敷いてんねんけどスピーカーちょっとずらしてそこ置けるわあと置くならどこやろかレコード棚は合わへんからんーどうしよヤバいな楽しいな・・・」まるで新婚カップルのように未来予想図を語る彼の顔は、やっぱり赤くなっていた。それは飲みすぎた酒のせいなのか、まだ見ぬ新しい豊かさへの期待なのかはわからない。

数日後、すでにハードルを超えた別の知人の話を聞いた。彼女はアクリルスタンドへ手を出してから、家のあらゆる箇所に様々なスタンドを配置しているらしい。もう置く場所がないと嘆きつつ、新たなアクリルスタンドの購入を目論んでいるようだ。

あれからもう1週間近く経つが、私は私でアクリルスタンドの欲求は止まらない。2日前、お目当ての品が揃う店舗へ赴き、様々なイラスト、または写真が載った透明な板を眺めた。推しを見つけた時、マジで泣くかと思った。可愛すぎた。撮影は禁止だったけれど、店舗スタッフの私物アクスタが置かれており、そこだけ撮影OKだったので、ニヤニヤしながら連写した。

良いから俺にアクスタを買わせてくれ。千葉ロッテの澤村拓一と講談師の神田伯山、Vtuberの空澄セナのアクスタが欲しいんだよ。4人がけのダイニングテーブルに彼らを置いて、一緒に鍋を囲ませてくれよ。「みんなは何の鍋が好き?暑くなってきたし、あっさりしたものがいいと思って、鶏肉使ってみたよ」とかさ、やるからさ、それで、フォトセッションするからさ、頼むよ。


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