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今まで出会った、またこれから出会う人へ

発声やトーンだけでは、発話者の伝えたいことの2割程度しか伝わらない、とどこかで聞いたことがある。考えてみればそりゃそうなのだが、テキストや身振り、さらにはその場の状況全てが取り払われて、音声のみの情報を聞き取っても、その人が何を伝えたいかだなんて全くわからないと思う。

例えばブックオフ。もうしばらく行ってないから、今どうなっているかは知らないけれど、入店した際に店内にこだまする「いらっしゃいませ」の音は、「ようこそ」の意味しかわからない。なぜなら、何人の店員がそれを発声したのか、店員それぞれの容姿、状況、やる気などが音だけの情報からはほとんど類推できないからだ。十数年前のミームであるが、もしかしたら立ち読みしてる客が「いらっしゃいませ」と言ってるのかもしれない。そうなると、「ようこそ」の意味ですらなくなる。

音声情報を疑っているわけではない。音のみの情報だけでは、よほど特徴がない限り、行間の意味や個性を掴むことが難しく、発話者自身の情報が伝わりにくいということだ。

個人的な意見だが、普段の生活や人との対話の中で、意識を傾けているのは音声の情報だ。ラジオから流れる交通情報や天気予報で1日の動き方を変え、通勤中は音楽を聴き、仕事中は電話を多用する。お客さんには目を合わせずになんとなく喋るし、口頭で物事を進めたりもする。もちろんメールや資料で可視化はするが、やっぱり音に重点をあてていると錯覚している。

しかし、この人なんかええなあとか、逆にちょっと喋りづらいなど、人となりを判断する材料に、音声情報だけがキーになることは少ない。やたらええ声とか聞きやすい声など、声色は特徴になるが、要因にはなりにくい。それよりも全体の雰囲気に目が向く。

これも考えてみればそりゃそう。単純に顔が好きとか、性格がいいとか、あの時やさしくしてくれたからみたいな、かなり限定された場合も含めて、判断基準は数え切れないほどある。でも、人のことを信頼する大きな要因は、「〜癖」とつく言葉に集約されているのではと思う。

癖。前述の通りそれは信頼する要因にもなるし、信頼を増幅させるものにもなる。反対に、あんなにいいなと思っていたのに癖ひとつで急に冷めてしまうこともある。口癖、手癖、食べ癖、寝癖、趣味の癖、動きの癖、性癖・・・これも数え切れないほどあるが、癖は、個々人の生活、なんだったら半生が、澱みなく発出される。

私でいうと、話しだすと時折声が裏返る。普通に話してるはずだのに、急に裏声になる。トーンに展開をつけているつもりは全くない。歌もそんなに上手くない。だのに裏声が出る。「めっちゃ若いやん!」から、「まあまだ若いし」と言われるようになった年齢の男が、日常会話で裏声を出す。これほど情けないことがあるものか。

あと、動きがナヨナヨしている。背筋をぴんと立て、寄り添いながら「話聞こうか?」なんてできない。笑い声をテキストにすると「はっはっは」ではなく、「ギャハハハハ!」である。最悪だ。猫背になりながらしかめっ面で酒を飲んでいるのに、話しだすと手足をぐにゃぐにゃさせて、手を叩きながらジャラジャラと裏声で笑う。手癖で指をぐにゃぐにゃさせるし、就寝中は手を頭の上にやりながらブンブン体を上下させる。滑舌は悪く、まあまあの頻度で吃る。

「あっあっあっあのー、、132番ください、、、いや、32じゃないです。ひゃく、ひゃくさんじゅうにばん。は、はい、それです。支払いは楽天ペイで。クイックペイじゃないです、楽天。楽天ペイ。」そうしてペイペイのホーム画面を出し、いつも吸わない銘柄の煙草を受け取る。そんな毎日だ。

「大学」が上手く言えない。「だいあく」になる。何度確認しても、毎朝忘れ物をしている。落とし物は先週の金曜日にした。二人用のソファと、椅子と、テレビボートの端を使って、言葉にできない体勢でNetflixのドラマを流して、少し前に配信された野球シミュレーションゲームをやり、一喜一憂している。日常生活の癖は、どれをとっても情けないものだ。

生活はそんなものだと思う。自分が伝えたいことはほとんど伝えられないが、その代わり思っている以上に自分のことは伝わってしまっている。だから、「お前面白いな」とか「ええやつやん」とちょっとでも褒めてくれる人がいたら、「お前ダメだな〜」と怒ってくれる人がいたら、それだけで自分のことをちゃんと知ろうとしてくれているんだと、そう思いたい。

自身の生活の登場人物は少ない。指で数えられるくらいで、あとはモブキャラだ。そして、自分は他人の人生のモブキャラでもある。エキストラにもなれない、存在の認識すらされない人物だ。だから、ちょっとでも自分と関わった人、しかも評価してくれた人を認識したい。その人の癖を知って、なんやあいつと思ってもいいし、遊びたいな〜となってもいい。

偶然で出会った人でさえ、自身のことを上手に伝えられないのが、なんとも皮肉である。それは知識とか地頭の良さとかでもなく、これまでの生き方の結果だけが伝わり、それが基準になるから。それでも仲良くなるのは、なぜなんだろう。

癖の話をまとめたかったはずが、また新たな疑問が生まれた。今生きている意味や、生きながら関係のできた人とか、どうやって決まるのだろう。この世に必然はあるのだろうか。神様はいるのだろうか。神様が説明してくれないと、わからないことばかりだ。

ねぐせまでかみさま頼みか我々は

2023年10月初旬 ライブ喫茶亀にて


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