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単発バイトにいた色白長髪眼鏡の筋肉に一目惚れした

社会とのつながりを失って数ヶ月が経った。初めは話すことすらできなくなり、今週人と話したっけ?なんて思いながら、何事も起きない日々が続いた。ごくたまに会う知人や友人にこのことを伝えると、「まあそういう時もあるよね」とか、「自分を慰める時間だから大丈夫だよ」なんて優しい言葉を投げかけてくれるが、今も続くこの空白の期間は、自身を追い込み痛めつけ、割ともうどうでもいいかと、行動に至るまでの絶好で絶望の期間であった。

口癖になっていた「どうでもいい」という一言は、その期間をかたどるキャッチコピーになり、自分そして他者、社会に対しても傷つける最悪の言葉となった。世捨て人なんて生優しいことじゃない。私は、世諦め人になっていた。

未来のことを本当に考えなくなってしまった頃、同居人の勧めもあって、日雇いの倉庫バイトに行くことになった。大学生の頃と全く変わってないなと自分を卑下しつつ、5分で完了する応募フォームを数日かけて書いて、あっという間に勤務当日になった。

家から勤務地の最寄駅まで電車で30分、改札を出て徒歩20分。工業地帯に連立する数々の倉庫から雇い先を見つけ出し、建物に入る。「派遣の方はこちら」という文字に従い、シフトの1時間前に点呼予定の待機室に入った。待機室は食堂も兼ねていて、暗黙の了解か派遣やパート、社員ごとにテーブルに座っていた。音量をオフにしたまま、ゲーム配信者のライブ配信を眺めながら、他の人たちの会話をうっすら聞いていた。

シフト予定の時間から5分が過ぎた。待機場所では常に周りに気を遣っていたから、それらしき担当者が入ってきた際には、無音のイヤフォンを外して、 話を聞いていた。それからまた数分時間が流れる。後ろの方で何かガヤガヤと気配を感じたので、振り返って会話を聞いてみると、年増の男性が女子更衣室に入ってしまったという嘘みたいな事件が起こっていて、それを男性社員が対応していた。女性社員たちは苦笑いをするしかないようであった。

そっちの事件が気になって仕方なかったが、今するべきは「初日のシフト遅刻」という冤罪から逃れることだ。先の事件の男性は謝罪をしながら言い訳を放っているが、同じように私も弁明という名の責任逃れをしなければならない。とりあえず近くに座っていた女性に声をかけ、一通り説明すると、待機室ではなく、さらに奥の作業スペースに行かなければならないことが分かった。そしてそこへは、IDカードが必要で、派遣の人間は社員の承認を以って通過できるということだった。

事前に送られた情報にはそんなことは一言も書かれておらず、しかも倉庫内の廊下には「派遣の方はこちら」という看板が何枚も貼られており、待機室への誘導がなされている。毎日かわるがわるの人間が往来する倉庫バイトのシステムは、まだオンラインでは追いつけないオフラインの了解が形成されていたのだ。まあこれは仕方ないよなあと思いつつも、一抹の苛立ちを携え、社員に声をかけ、通用口をクリアして作業スペースへと向かった。

やっと出会えた担当者に派遣会社名とシフト時間、今日が初めてという旨を伝えると、一言「遅刻になるので時間削るね」と機械的に放った。なるほどそういう感じなのね、だったらまあええわと思いかけた瞬間、移動も含めて2時間近く経過してこの言葉ということに非常に腹が立ち、事前情報や案内板の不備等々、言えるだけシステムの穴を指摘し、いかにして私が遅刻したのかという言い訳を放った。すると「社会人だから分かるよね普通。」というおもしろ社会人枕詞を返してきたので、「それはこの倉庫での暗黙の了解であって、反対に社会人としてできる準備や誘導もまたできなければならないのでは?」と言い返した。責任をどちらが背負うかのあげ足取り裁判は、この後数回続いた。全然違うけど、月が綺麗ですねだけでは何にも伝わらない、状況や前後の会話があってからこそ、みたいな言い分をそれっぽい要旨で伝えたところ、遅刻はなかったことにするという形で、私のパッションが勝利。2人とも社会人であるから、その後の作業における説明はそつなく終わったが、その最中、馬鹿馬鹿しい詭弁を吐いたことに後悔し、あんまり聞いてなかった。勝利もクソもない。阿呆だ。

作業場に入る。1本の大きなベルトコンベアから枝分かれにレーンが伸びていて、そこに送られた荷物を確認、レーンを囲うようにコの字に配置されたカーゴに乗せていくだけのシンプルなものだった。ただし、荷物はさまざまで、ゴルフバッグや家具等の重量のあるものから、アクセサリーや書籍まで、形も大きさも違うものがランダムに送られてくる。それをカーゴいっぱいに詰めるものだから、みなのスキルはそこに全振りしているようであった。供給ペースもかなり差があり、コンベア渋滞がしばしば起こり、反対に全く荷物が送られてこず、10分棒立ちなんてこともざらであった。暇な時は全員が大きなベルトコンベアを見つめ、大きな滑り台によくある、くるくる回る鉄管でできた目の前のレーンで暇つぶしをする。2時間ほど経っただろうか、退屈であった。金を時間で買っているということがつぶさに感じ取れた。

担当レーンが手すきになると、それを管理するマネージャーから移動勧告をされる。「〇〇番レーンの方、〇〇へ。」と倉庫内に響くアナウンスを聞いて、タラタラと移動する。たどり着いたレーンでは、まさに渋滞が起こっており、さらに上がり時間になったバイトの人たちが次々と倉庫を後にしていた。これはまずいと思い、1番精力的に動いていた方に「ここ担当になりましたー!よろしくお願いします!」と告げ、会話もほどほどに作業に入った。

他のレーンに比べ、配送が多い場所なのだろう、数人で対応しても、荷物が途切れることがない。カーゴが荷物でいっぱいになるまで、10分と掛からなかった。新しいカーゴを奥から引っ張り、荷物を入れ続ける。無酸素運動に近い状態なので、段々と荷物の扱いも雑になってくる。とはいえ、暇よりはマシであるから、黙々と作業を続けた。少し落ち着いて周りの人を見る。ほとんどが疲れ切ってうなだれた表情をしていたが、向かいにいた2人だけは、薄暗くゴンゴンと鳴り響く倉庫で光を放っていた。

ひとりは20代だろうか、色白で黒縁眼鏡、長髪を一つにまとめ上げている。もうひとりは50代くらいで、使い古したキャップを被っていて、作業服は汚れているが清潔感がある。2人はこの倉庫内でコンビを組んでいるようであった。送られてくる荷物の形状はわからないものの、どうすれば効率的に積めるのか、そのための準備として、コの字に配置されたカーゴとは別のものを用意したり、カーゴに入れる前の荷物仕分け、暇があればある程度積まれた荷物を積み直す作業を行っていた。積まれたカーゴを見ては、2人でフィードバックを行い、次の作業へと活かす。別の作業員に適切に、なにより優しく指示しながら、自分たちは率先して面倒な荷物を担当していた。倉庫内で1番であろう作業スピードでパズルをこなす。彼らに流れる額の汗は、先に見えた光の源であった。額を拭おうとタオルを当てる。腕を上げた瞬間、重力で作業着の袖が落ち、2人が持つ細くありながらも洗練された筋肉が垣間見えた。

惚れるかと思った。いや、確かにあの瞬間2人にグッとやられてしまった。決して一朝一夕ではない、長く働いた勲章のような筋肉を持つ2人が、あんなに楽しそうに、今でもどうすれば上手くいくのかを考え続けている。褒められたいとか、手を抜きながらゆるくやりたいとかそんな周りの思惑から一歩引いて、自分たちの結果にこだわって、その副産物が美しい筋肉なのだ。

その後声を掛けようとタイミングを見計らったが、渋滞が続く荷物を捌くのに手一杯で、話すことのないまま交代の時間になった。2人の笑顔を見てから、なんとなく荷物に対して愛を持って積み込んだ。あの荷物たちは関東一帯に送られているが、配送先のストーリーまでは流石に慮ることはできない。


人とのコミュニケーションの中で、「詮索と踏み込み」の違いについて考えたことがある。誰かと仲良くなるきっかけとか、その後の関係を深めるための方法として、会話の中から単語ないしはエピソードを拾って、一つ踏み込むことが重要だと考えている。挨拶から始まって、体調や生活、仕事、趣味などそれぞれが今思うトピックスについて会話する。話を聞くこと自体は難しくないけれど、どこまで詳細に聞いていいのかが時折分からなくなる。それが「詮索と踏み込み」だ。私的な話をするけれど、相手が聞いて欲しくないところまで突っ込むと「詮索」、その手前か、結果として相手が欲しかったコミュニケーションに辿り着くのが「踏み込み」だと私は思っている。

先の2人が持つ筋肉という副産物は、まさにその踏み込みなのではないだろうかと思う。上手く言葉にできないけれど、例えばあの2人に話しかけるとするならば、

私:筋肉がついていてかっこいい
2人:それに対する返答

よりも

私:作業に関する話
2人:返答
私:仕事についての長さ、考え方みたいな話から、筋肉の話
A:返答

の方が、「筋肉、キレてるね!」といきなり言うよりよっぽどコミュニケーションが深まりやすいのではないかと思う。会話を数珠繋ぎにしていくことと、加えて自分から見たシンプルな感想や考えを述べた上で、少し深めに質問や会話を続けていくと、詮索ではなくて踏み込みになるのではないか、そう思った。

会話を数珠繋ぎにしながら、自分が思ったことを正直に言ってみると、案外相手が想定していない内容だったりもする。これが他人の意見も聞いてみるのようなことだと思う。先の2人の話では、どんな作業であってもPDCAを回しつつ、誰よりも楽しそうに仕事をすることは大切だよね、が主旨であった。けれども自分で自分の話に踏み込んで、それよりも「やっぱり筋肉キレてるね!」の方が強く印象に残ったので、こうして構成も言語化もクソもない文章を書いている。多分「詮索と踏み込み」についてももう少し良い伝え方があるけれど、それはまた別に書くとして、とりあえず書いた。


派遣と筋肉を通して、派遣担当者にちゃんと詭弁を放つ元気はあったし、筋肉が単に美しいと感動した。家から1歩も出ず、もうどうでもいいかなんて思っていた自分は、最初からいなかった。ふよふよの自分の腕を見て、これが綺麗になったらどれだけ嬉しいだろうかと、未来に期待ができたし、社会に出られるチャンスはめちゃくちゃ転がっていて、期待してるのだったらもう一度頑張りたいと、そう思えた大切な日であった。派遣会社の勤怠表をつけて、もういちど行くかと募集フォームを開いたけれど、全身の筋肉痛がすでにやってきていたので、とりあえずやめた。結局あの場所に戻ることはなく、今はもっと楽な倉庫バイトでやりくりしている。あの日見たキレてる筋肉は、到底持てそうにない。

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