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とうとう60年生きたけど、なんだかなあ…-1- 寿命60歳宣告ともうすく死ぬんだどうしよう病

 
30歳の時、友人とロンボク島へでかけた。そこで知り合ったインドネシア人が、「私は手相をみることができます」というので、面白がって、友人と見てもらった。
友人は「長生きする」というような、曖昧なものだった。
私はなんとハッキリ「寿命は60歳」と言われたのだった。
その時は、夜の飲み会のノリの素人の占いというのもあるけど、
30歳のときの60歳寿命宣告は「倍もあるではないかー」としか思えなかった。友人の漠然とした長生きとの差はちょっと感じたけれど、前回にも書いたけど、本当にまだまだ先は長いじゃないか。と人事だった。

だが、しかし…

50代後半に入って「病名があるけど、特効薬もなければ日常生活にとんでもなく不便を感じるわけでもなく、病院へ行けばその場で手当してくれたり、薬も出されたりするけれど、完治するわけでもなく、継続して来いともいわれない、外からみると全然わからないけど本人だけが、なんとなくしんどい」という身体的不調があちらこちらと増えるにしたがって、その日の事が思い出され、記憶を反芻することで、よりハッキリとした輪郭を持って「60歳寿命宣告」を思いだすようになり、一時期は”もうすぐ死ぬんだどうしよう病”と呼びたくなる程うろたえてしまい、何も手につかないなんてこともあった。

あるとき、明らかにこれは病気では?という兆候があったので、いつもならどうしようかなあ、しばらく様子みてから病院行こうかなあ、病院もいったいどこへ行けば…とうだうだしてしまうのに、狼狽えつつも、珍しくちゃきちゃきと行動に移し病院へ。胃カメラ(超超苦手!)と大腸カメラ(初体験)を勧められて、これまた、そうすべきだと強く感じて予約を入れたのだが、なぜか、検査2日前からひどい咳と鼻水がまったく花粉もとんでないのに始まって、とにかく咳をとめようと市販の咳止めを1回飲んだら、もう頭ふわふわするわ、体はだるいわで、こんな状態で内視鏡検査は無理!と中止にした。

その時なぜか、
「ああ、私って神様に見放されたのね?」
「いつも頑張れないから、私はだめなんだと思ってたけど、そうじゃなくて頑張ったってだめなんだ。神は私を見放してるわけだから、60歳寿命宣言も努力なんてしようがないんだ
と、素人の占いの宣告なのに神様まで出して来るという、かなり後ろ向けな考えが浮かんだ。


だがそれが、ものすごく腑に落ちてしまった。


そして急に”もうすぐ死ぬんだどうしよう病”から開放された。まるで幾晩も高熱でうなされていたのが、急に下がった時のような爽快感さえ感じたのだった。  

というわけで結局内視鏡検査は行っていない。60歳になった今はなぜか胃腸の不調は全然ない。まあ隠れた何かが潜んでいるかもしれないが知ったこっちゃない、もりもり食べるし、キレの良いバナナう◯こも出ているし、これで内視鏡はやっぱりめんどくさい。それに「どうせ神には見放されるから、なるようになれー」と自分の怠慢さを完全に神のせいにできてしまって心穏やか。
見放されたんじゃなくて、不要な検査を今するなという救いだったと取る事もできるのだが、なぜか 「救い」より「見放される」が腑に落ちる。「救い」だときっと今後本当に病になったときに神を恨まなきゃならなくなるからそれは面倒だし体力がいる。体力温存のためにもやめておこうという本能的な回避かもしれないが。

だが、いちど「見放されて」みると本当に楽なのだ。
何をどうしようと自分でできることは限界があるということになるので、なにかの結果が気に食わなくても「見放されて」いるんだから予定通り!と動揺しなくてすむのだ。

家事についてもそうだ。家というのは意図的に汚さなくてもホコリは溜まるし、どうしたって日々の掃除が欠かせないし、食事だって誰かが用意しなければ食べることはできない。料理をすれば後片付けは必須だし、テイクアウトで買ってこようが、自炊しようが、ゴミはでる。分別もして決められた日時に捨てなければいけない。
洗濯も然り。衣類、タオル、寝具、布巾、雑巾…。家族がいればそれだけ増える。それを一手に引き受けているのが私なのだが、それに対する賃金が発生するわけでもなく、感謝してもらえるわけでもないのに毎日毎日、休日なしの作業である。
感謝してもらえないだけでなく、何もせずに家にいる人扱いで邪険にされていたりもする日々。ここで「救い」を求めて祈ってもなにも変化は起きないけれど「見放されて」いると知っていれば諦めもついて余計な心的ストレスは減るのである。

もしこれを読んでくれているあなたが、「救い」を求めて祈ってみても
変化がなくて、凹んでいたりするのであれば一度「見放されて」みませんか?


 

 




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