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常識は敵か味方か

あなたは「常識」というものに対して、ポジティブな印象がありますか、それともネガティブな印象がありますか。その理由は何でしょうか。


常識があるから生きていける

よく「人が人間になる」みたいな言い方がされますが、それは人が社会的存在である所以でしょう。人が成長の過程で、他者との関係性や社会との関わり方などを学びますが、それは単なるお勉強以上の生き続けるための知恵でもあるわけです。

無防備な立つことさえ出来ない状態で生まれてくる人が、「その人」としてのアイデンティティを持って生きるために、常識が媒介となっていると考えられます。

常識を身に付けるから生きていける──そう考えると、常識というのは人を守り、人が人であることを支える力を持っているといえるでしょう。

常識があるから苦しくなる

それでは、どんどん常識を身に付け、常識的な人間になれば幸せになれるかというと、そうではないことに多くの人が気づいています。

「われわれは生まれた時は、それにそれからしばらくの間も、完全に<ナワール>なのだ。けれども自分が機能するには、その補完物が必要だと感じられる。<トナール>が欠けているのだ。」

「〈トナール〉はきわめて貴重なもの、つまりわれわれの「存在」そのものを保護する守護者だと言える。だから〈トナール〉の特徴は、やりかたが周到で嫉妬深いということだ。その仕事はわれわれの生の中でもとびぬけて重要な部面だものだから、それはわれわれの中でしまいには変質してしまい、守護者(ガーディアン)から看守(ガード)になってしまうのもふしぎはないのさ」

見田宗介著『気流の鳴る音 交響するコミューン』より

最初は守護者として登場した常識が、後に看守のようになり、常識の檻の中に閉じ込められてしまうからです。上に引用したテキストの〈トナール〉は常識そのものとは違いますが、常識的観念とか意味をつくりだす源泉となる力だといえます。

自分の考えと他人の考えを分ける

常識とは、自分の内側から湧き起こるものではなく、生まれた後に身に付けたものです。後天的なものであり、その証拠に生まれた国の文化によって、常識が大きく異なります。

常識がインプットされる経路は様々で、親から子へ伝達されるもの、教育課程によるもの、メディアの影響によるものなどなど、その影響は「呼吸すれば影響を受ける」と言っていいくらい避けがたいものです。

そのため、「本当にそうだろうか?」とか「本当のそれでいいのか?」というような吟味のプロセスを迂回して、「とにかくそうなんだ」「とにかく正しいんだ」と刷り込まれてしまうこともあります。

自分が自分らしく正直に生きようとするとき、こうした常識との間に摩擦が生じます。その度に無批判に常識に従えば、人は自分を見失います。他人の考えだけで構成された存在になるからです。

常識の壁に行き着いたら、「なぜ、これが常識なのだろう? いつから、どんな理由でそう言われているのだろう?」ということを調べたり、身近な人と「どう思う?」とつきつめて話すことは、とても大切です。

あなたが気になっている「常識」はありますか? その常識を、じっくり吟味してみてはいかがでしょうか。きっと「自分なりの考え」を確立するきっかけになるはずです。

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