励ましの姿をした否定
相手を励ましたつもりが、じつは否定している。そんな「励ましの姿をした否定」があります。実体験を交えてお話します。あなたの励ましは、本当にだれかを励ませていますか?
実際より身長が低く感じる現象
僕の身長は、平均よりちょっと高いくらいなのですが、もう身長が伸びきった学生くらいまで「自分は身長が低い」と感じていました。実際の身長にかかわらず、背が低いというフォーリングがあったのです。
小学生の頃は身長が低くて、大抵前から2〜3番目くらいでした。そのことをことさら嫌だと思ったことはないです。でも、同居していた両親・祖父母から、
「いまにぐ〜んと背が伸びるよ!」
と言われていました。「励まし」を意図した言葉だと思うのですが、小学生の僕にとってはうまく受け止められない言葉でした。それでも僕の心に残ったのは、「自分はそうやって励まされるような存在なのだ」ということと、「背が伸びるかどうかなんて分かるわけがない」ということでした。
励ましたつもりが相手を否定している
両親や祖父母は、僕を励ましたつもりでいました。僕によって良い両親でしたし、良い祖父母でした。父が中学生の頃にすごく身長が伸びたらしいので、特に祖父母にはそのイメージがあったのでしょう。
でも、僕にしてみれば、そんなの分からないわけです。そして何よりも、し、「いまの身長では(つまり友達より低めの身長では)ダメなのだ」ということ認識を静かに持ちました。
いまにして思えば、その励ましは、意図はどうあれ、ありのままの僕への否定でした。やがて「身長が低い」というフィーリングは、「力が弱い」というような弱小感へとつながりました。
僕が小学校入学前から空手の道場に通い、ハードな練習をしたりしていました(中学卒業までみっちりやりました)。でも、そうした実体験とは別次元で、「自分は小さくで弱いんだ」という感覚が刻まれました。
ファッションが好きになって溶解した
大人になって時間を重ねるなかで、次第に弱小感は薄れていきました。僕なりに自分に自信をつけたからだと思います。
また、僕はファッションが好きでサイジングにも気を使うので、自分の身体のサイズがどれくらいなのか、客観的な認識を積み重ねたことも、それを後押しした部分があると思います。
「自己肯定感を上げましょう」なんていう言葉が溢れる世の中です。でも、「あなた、その自己肯定感の低さではダメですよ」という否定のニュアンスが強い場合も多いですよね。「励まし」の姿をしていても、内実は「否定」であれば、人を傷つけます。
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