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それ、本当にあなたの意見ですか?

あなたは、意見を求められた時に「自分の意見」を述べていますか?
そこであなたが語った言葉は、本当にあなた自身の意見でしょうか?

世の中の意見?それとも自分の意見?

こういう場ではこういう感じのことを言えばウケがいい──みたいなのってありますよね。自分が本当のところでどう思っているのかということとは関係なく、その場で求められている意見を述べればそこそこウケるはずです。

ただ、そうして述べられた意見は、その人の意見ではありません。

他人の考え、世の中でよしとされている考えをそのままコピペした内容を、あたかも自分の意見であるかのようにして述べているだけです。その場限りならバレないかもしれませんが、かかわりが深くなるほどほころびが出てきます。嘘というのはそういうものです。

大文脈から自分の意見を切り離す

最近はSDGsというコンセプトが一般化しました。すごく「善いこと」として扱われています。

SDGsが本当に善いことなのかどうかはさておき、それを「善いこと」だとしている人たちが、どういう根拠でそれを「善い」と判断しているのかが問題です。

世の中で「善い」とされていることは、うつろっていきます。ある種のトレンドみたいなものです。自分としては、どう思うのか。世の中的にはこれが「善い」とされているという大文脈に依存し、それが本当に「善いこと」なのかどうかの判断を放棄すれば、その人には自分の意見などないということになります。

論理的整合性と自分の意見を切り離す

世の中的に善いとされている大文脈だけでなく、論理的整合性と自分の意見も別物です。

例えば、どうすれば一番効率的かということは、論理的に考え進めていけば導き出せるでしょう。でも、それを求めているのかどうかは別物です。

論理的にはこうなるんだけど、自分としてはそうしたいと思えないというような矛盾や葛藤は、まず個人レベルで大切ですし、それだけでなく社会レベルでも重要な問題とつながっている場合があります。

大文脈や論理的整合性を無視するということではなく、それを理解した上で、さて自分としてはどうなのかと吟味する。自分の意見を確立するためには、そうしたプロセスが必要なのではないでしょうか。

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