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逃げ腰じゃ何も得られない

何らかの団体やコミュニティに加入する時に、入りたい気持ちはあるものの、どこか逃げ腰にもなって、「軸足は外に置いて、逃げられるようにしておこう」と思うことはありませんか? 安全な考え方のようですが、そういう関わり方では望むものは得られないかもしれません。

逃げ腰になった経験あります

ある組織に入りませんかとオファーを受けて、様子を見に行ったことがあります。有意義だし、楽しそうだし、せっかく誘ってくれたし──と思いつつ、ちょっとよぎったことがありました。

「でも、来月からしばらく、ちょっと忙しいんだよな…」

その組織(コミュニティ)はすごく歓迎ムードで、そのムードに乗ってしまうことで「巻き込まれてしまうのでは」という警戒心が出てきました。

でも、僕は自身の長年の場づくり経験から知っていました。そうやって、軸足を外に置いて逃げ腰でやっても、意味がないということを…。結果的に、関わる期間を決めて、その期間は全力で関わることに決めました。おかげで、変な出し惜しみをせずに全力でやれて、僕自身も充実感を得られたし、実際かなり貢献出来たと思います。

逃げ腰の奴、多いよね

長く場をつくっていて、ほとんど条件反射のように「逃げ腰」になる人がいることに気付きました。何らかの場に対して深くコミットするということに対して、根源的な恐れを抱いているタイプの人たちです(僕もその一員なのかと思うのですが、実践経験によって乗り越えました)。

逃げ腰で、半身で、軸足を外に置いてかかわると、安心感があるでしょう。でもその安心感は、他者との壁とトレードオフです。他者との間に壁をつくりたいならそれでもいいですが、それなら始めから関わる必要なんてありませんよね…?

正面から向き合うからこそ、両足を突っ込んだからこそ、得られる楽しさがあります。この楽しさだけは、逃げ腰の人には決して得られません。そして、それがその場がつくり出している本当のリアリティであり、価値でもあります。

やるだけやって、嫌になったらやめてもいいと思います。でも、逃げ腰で出たり入ったりしていても、得られるものは非常に限定的で、「一番素晴らしいもの」以外のものだけです。

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