見出し画像

言葉にするとはどういうことか(身体としての言葉)

「言語化することが大事」と言われます。確かに言葉にしないことには伝わりませんから、大事なことであるのは確かですよね。でも、表現したい中身に対して不正確な言葉にしてしまうと、無意味を通り越して大きな混乱を招きます。


空虚な言葉じゃ意味がない

流暢に話す人の言葉を聞いていて、気持ちよく言葉が入ってくるときと、なんだか居心地が悪く感じるときと、両方あります。相性の問題もあるわけですが、他の問題もあります。

それは、話し手にとって、話している言葉が、不正確な場合です。

不正確というのは、言い方を変えれば「正直さ」ということになります。「理屈ではこういうことになる」というのは、理屈の世界では“正確”であると言えるかもしれませんが、話し手自身がそのことに対して自信を持てなかったり、違和感を感じていたりするならば、本質は「嘘」ですよね。

話し手が心から信じていないことを、借りものの言葉で語るとき、それらの言葉は空虚で、聞く人のなかに浸透していくことはありません。

身体としての言葉

ことばをからだの一部だと考えたのは、竹内敏晴さんです。数々の間身体的レッスンは、それらを体験的に教えてくれます。

竹内敏晴さんが明らかにしたのは、その人自身が心から発した言葉と、記号的な意味によりかかって本心を脇に寄せて放たれた言葉というのは、本質的に異なるということです。
そして、心から発せられた言葉というのは、身体の延長であり、手で相手の肩に触れるようにして、心に触れることが出来るということでした。

そのようにして言葉にするためには、言葉以前の「感じたこと」を感じ取って、そのなかでその瞬間に言葉になることだけを言葉にする(言葉にならないことを、似たような言葉で間に合わせない)という、透徹した正直さが必要です。

嘘の言葉は何も生み出さない

本心でなくても、人は「ありがとう」や「ごめんなさい」と言えます。でも、そこに心がないならば、それらの言葉は空虚です。

言語化することが大事だからといって、本心を脇に寄せて、間に合わせの言葉で語ってしまえば、本来語られるべき内容は奥に引っ込んでしまいます。誰かを欺く意図がなくても、正直さを欠いた嘘の言葉で話せば話すほど、その言葉が本体にとって変わろうとします。これは、言葉の力の恐ろしい側面です。

正直に、自分が本当に思ったことを表現する。単純なことのようですが、ここが基本です。それは、他者とつながることになるだけでなく、自分自身とつながることになるからです。

声のメディアVoicyでは、同じテーマを音声でお楽しみいただけます。この内容が気に入ったら、ぜひこちらをどうぞ。無料メルマガ『冒険と灯台』もおすすめいたします。


コンテンツが役立った!共感した!という方は、よろしければサポートをお願いします。大変励みになります。noteでの情報発信のために、大切に使わせていただきます。ありがとうございます。