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毎月定額収入があるという特殊性について

会社に勤めて、毎月決まった金額の給与が振り込まれてる。マジメに働いているからこその恩恵であり、当然の結果だとも言えますが、これが「特殊なことである」ということを自覚する必要があるのではないでしょうか。


なぜ、毎月決まった金額がもらえるの?

なぜ毎月決まった金額が? と問われれば、そんなのはちゃんと働いているからだと言われそうですが(その通りなのですが)、ここで言っているのはその「仕組み」についてです。

変化の激しい世の中です。会社だって、良い月・良い年もあれば、悪い月・悪い日だってあります。そうやって上がったり下がったりしても定額の給与を支払えるのは、業績が良く安定しているからだとも言えますが、一方で全体のパイが増減しても問題ないくらい絞り込んだ金額が給与として設定されているからだとも考えられるのではないでしょうか。

上がったり下がったりが自然なのかも

人も社会も変化し続けています。新型コロナウイルスや生成系AIの登場で大騒ぎになっていますが、こんなこと5年前には想像もしませんでした。マーケットは、その動きに敏感に反応し、上がったり下がったりを繰り返します。その行く末は誰にも分かりません。

上がったり下がったりするというのが自然なことで、「定額が受け取れる」ということの方が特殊なのです。巨大なシステムのなかで定額の給与を手にするというのは、ある意味魔術的なことですよね。

大事なのは、そうした「定額の給与」は、労働やそれに付随する生活・生き方の様々を差し出したことへの対価だという点です。それ、本当に釣り合っているでしょうか。他の会社と比べて上か下かではなく、自分自身の絶対評価に照らして妥当だと言えるでしょうか。

「当たり前」がどんどん移り変わっていくなかで、「定額の給与」という当たり前も、それに対して当たり前のように「差し出しているもの」も、疑ってみる必要がありそうです。

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