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主要記事まとめ

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長田英史の主要記事まとめです。
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記事一覧

【自己紹介】どこにも居場所がなかった僕が「場づくり」を仕事にするまで

こんにちは、長田英史です。 僕はれんげ舎というNPO法人の代表をしています。「場づくり®」をキーワードに、新しい生き方・働き方・暮らし方・コミュニティを創造する仕事を、25年間やっています。1972年神奈川県茅ヶ崎市生まれ、この分野のパイオニア的な立場です。 帰国子女でもないのに日本の「普通」がことごとく合わず、どこにいても「居場所がない」と感じていた僕が、いまなぜこんな仕事をしているのか。日本の「常識」の外側でどうやってサバイバルしてきたのか。そんなことをお話したいと思

僕が「宗教づくり」を始めた理由─オルタナティヴ宗教の可能性

企画会議をしていて、「宗教づくり」というアイデアが出てきた瞬間、声を上げて笑いました。僕がその言葉を口にすると、他のメンバーも「何それ!」と楽しそうに笑いました。宗教づくりだなんて意味不明だし、明らかにヤバすぎるのに、わくわくする冒険が始まる幸せな予感に充ちていました。 設立27年目のNPOです僕が代表をしているれんげ舎というNPOは、活動を開始して27年目に入りました。学生の頃、子どもの居場所づくりや大人が自分らしく居られるコミュニティづくりをしていて、卒業後は就職せずに

何に根ざして生きるのか?「自分らしく」を新しくする─「生き方開発lab」のコンセプト

「あなたは何に根ざして生きていますか?」 この問いは、「生き方開発lab」にとって大切なものです。あなたの生き方の「土台」となるものは、何ですか? 常識や社会通念に根ざした生き方常識や社会通念と言われるものがあります。明文化はされていないけれど、多くの人がその範囲で生きようとし、また他の人にもその範囲で生きることを求めます。 もし、地面に「常識」という名前のついた地層があるとしたら、オフィスビルや商業施設、住宅は、そこに根ざして建設されていると言えるのではないでしょうか。

夢を叶えるには半信半疑がベスト!揺れる心でも前に進めた話

夢に向かって挑戦していると、期待と不安が交錯します。夢を語り「うおーっ! 俺はやれる!」と高揚した夜が明けると、容赦ない朝の光の中で「無理に決まってるよね…」と白けたり。こういうのつらいです。 同じようなパターンで、夜書いた文章を翌朝読み返して気恥ずかしく感じた経験はありませんか? そういうときって、夜と昼がまるで別世界のように感じられます。夜と昼で別々のリアリティが存在していて、両者がせめぎ合っているからです。 『どこにも居場所がなかった僕が「場づくり」を仕事にするまで

自分に嘘をつかず生きた人の言葉が照らしてくれたこの道

人はみんなそれぞれの道を行くけれど、自分に嘘をつかずに生きようとする人の道は、どこかでつながっている──そう僕は信じている。なぜなら、先を行く人が遺した「言葉」が、闇のなかでも進む道を照らしてくれたから。 おかげさまで、れんげ舎は25周年を迎えました。ここまで来られたのは、多くの皆様に支えていただいたお陰です。本当にありがとうございます。弱く無力だった僕が道に迷わず進めたのは、いくつかの「言葉」が進む道を照らしてくれたからでした。 それがどんな「言葉」なのか、その「言葉」

コロナ慣れ日本で 「何事もなかったふり」は危険すぎる

コロナ慣れの日本。昼も夜も人が溢れる街にいると、まるでコロナ前に戻ったみたいな錯覚に襲われます。でも、それは錯覚。世界は非可逆的な変化を遂げました。変化には、楽しい側面もありますが、辛く苦しい側面もあります。「何事もなかったふり」をして無理をすると、心身を損ないます。この難しい時期をどう過ごせばいいのか、整理してみました。 表面は戻っても、中身は戻らないいま、都心には人が溢れています。先日、ゴールデンウィークの原宿駅を通ったらすごい人出で、まるでコロナ前に戻ったかのようでし

合わせる価値のない空気もある

空気を読んでそれに合わせる──日本社会では、多くの人がそうしています。でもその空気って、本当に合わせる価値のあるものでしょうか? 合わせる価値のない空気だってあります。 場の空気には「合わせる」がデフォルト?場の空気に合わせようとする人と、しない人だと、日本社会って合わせようとする人が圧倒的に多いと思うんです。ただ、空気に合わせるというのはひとつの技術なので、 合わせようと思って、合わせられる 合わせようと思って、合わせられない 合わせようと思わない という感じで、

人生を奴隷として楽しむ?それとも自分自身として?

「普通」に暮らしていても、色んなことを強いられる日本社会。様々な選択肢を予め限定され、その中で生きる様は、一種の「奴隷状態」とも捉えられます。奴隷は奴隷なりの楽しさを見つけるしかないのでしょうか。 すっかり日常化された支配構造朝から晩まで働いても、ギリギリの生活を強いられる──こんなことが、当たり前のように見られる日本社会になりました。ギリギリの生活は忙しく、生活そのものを見直す機会はなかなかありません。 こうなると、衣食住もすべて相応の選択肢の中から選ぶことになります。

01:コロナが呼び覚ます身体/prologue

この「息苦しさ」に慣れることが、 アフターコロナを生きることではない──。 むしろ、コロナ以前からあった 「透明な息苦しさ」に気付き、 それを手放していく契機にしたいのです。 "新しい生活様式"で窒息する身体新型コロナウイルスがやってきて世界は一変しました。ワクチンではもう世界が元に戻らないことに、多くの人が気付いています。 アフターコロナの世界では、いままでの「当たり前」が通用しなくなりました。マスクを手放せない「新しい生活様式」は息苦しく、矛盾や葛藤に満ちています。

鳥山敏子さんのこと

 2013年の秋、師である鳥山敏子さんが亡くなった。亡くなってからの数ヶ月間で、たくさんの大切なことに気づかせてくれた。鳥山さんはやっぱり僕の先生だと思った。 豚一頭まるごと食べる授業 鳥山敏子さんは、30年間小学校の教員をして、退職後「賢治の学校」をつくった。豚一頭まるごと教室に持ち込んで解体して食べる授業などが話題を呼び、著書もたくさんある。  僕は学生のころ、鳥山さんの著書に出会った。豚の授業の他、スイミーになりきってイメージを探る授業などどれも魅力的で、収録された