少しほろ苦い追憶
昨夜10日は、バイト先の塾のメンバー16人での焼肉ご飯会とボーリング二次会だった。しかし私は行く前も参加してからも内心大いに戸惑っていた。恥ずかしい話、あまり知らない一年生と酒もないご飯会でどんなテンションで話せばいいのか。大学生になってからというもの、大勢でのご飯会で酒なしというのはあまり経験していなかったから、大して仲もよくない人もいる席で素面で顔を突き合わせて話すなどというのは苦痛ではないかと考えたのだ。むろん未成年の一年生もいるから仕方ないが、大勢のいる席では酒を片手に話す方が気楽なのである。実際参加してみて、気まずくなることもなく話せたしそれなりに楽しかったが、やはり酒がある方がいいと思った。どうにもテンションが上がっていかない。
とはいえ少しは気分も高揚したので、そのままみんなで二次会のボーリングに参加したが、私はすぐに後悔させられることになった。開始早々、私はあまりに自分がボーリングが下手なのに気づいて苦笑した。確かに、ボーリングなどここ二年ほどやっていないが、一ゲーム目ではガーターを乱発し、44点をとってしまった。二年前は、少なくとも100点は超えていなかったか。ストライクを連発でたたき出して、みんなの歓声を浴びているレーンを横目に投げるのは恥ずかしいこと極まりない。別に人からどう思われようがあまり気にしないメンタルは持ち合わせているので、それはさほど気にならなかったが、遊びにしろ競技やゲームとなると、自分がうまくできないと興が冷めてしまうものである。悔しいので人の技術やフォームをみて研究し、頑張ろうと頭では思うのだが、どうせいまこの楽しい場で大真面目にボーリングを頑張って何になろうかという、卑屈さがにじむような冷めた感情が頭をもたげてきたので、めんどくさくなってそのまま終わるまで流れに身を任せてしまった。
ボーリングという勝負で負けることの悔しさよりなによりも、下手な人の投球は注目されることがないので、周りと盛り上がれないのがなにより苦痛で気まずかった。酒が入ってたらまだよかったのになあ、と苦笑した。そもそも10人を超える大勢の場で一様に盛り上がることは苦手である。単に自分がボーリングが上手だったら盛り上がれただけのような気もしなくもない。自分が何か苦手なことをみんなでやっているときに、逆に楽しそうにやる人をどこか冷めた目で見てしまう卑屈な癖と、自分のコミュニケーション能力のなさとを自覚して、自己嫌悪から余計に酒が欲しくなった。やはり、いつものように多くても6~7人くらいでわいわい飲んだ方が楽しい。
夜はまぁたまにはこういうのもありなのだろう、と言い聞かせながら眠りについた。いまさら自分の思考や癖は変わらないから仕方ない。
朝一番でこれを書きながら、苦いコーヒーを飲み干した。
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