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運命とか立命とか宿命とか⑧

入院中に、主人は親戚に死産だったことを連絡したり、市役所に書類を取りに行ったり、火葬場に連絡して予約をしたり、骨壺や棺桶をネットで買ったり、悲しんでいる暇なく動いてくれていました。骨壺はサイズが分からず、掌におさまるほどの小さな壺と、一般的に赤ちゃんの骨が入るサイズの壺と2つ買っといてくれました。棺桶に入れるものは、、、思い出がないので、特に入れたいものがありませんでした。可愛いお花をたくさん敷き詰めてあげようと花をたくさん用意しました。
主人が辛かったと言っていたのは、親戚に連絡することだったそうです。電話の向こうで皆泣く声が聞こえると、主人も涙が出て止まらなかったそうです。嬉しい知らせは相手の気持ちを上向きにしますが、悲しい知らせは下向きにするだけでなく、こちらの思いまでも想像させてしまい、悲しみを共有させてしまいます。
退院の日、私たちは地下の駐車場から裏の入口へ出て帰りました。そのまま、息子を車に乗せて、火葬場に行きました。火葬場には私たち家族以外は誰もいませんでした。最期のお別れをする時、私も主人も抑えていた気持ちがこみ上げ、そこではじめて声を上げて泣きました。その姿を障がい児の息子は黙って見ていました。
息子は私が泣いている顔をじっと見つめます。普段は物を追視することが難しいようで、凝視することはできません。目玉が左右に動いてしまうのです。ただ、なぜか、私の泣き顔だけは凝視するのです。まだ息子が赤ちゃんで病院に入院していた頃、私は色々と疲れてしまいベッドの脇で思わず泣いてしまったことがあります。ふと涙を拭って息子の方を見てみると、息子は私の顔をじーっと見ていたのです。
火葬場でもそうでした。息子は私と主人の顔を見つめていました。

しばらく経って(といっても体がとても小さいので、30分くらいでした)呼ばれて、部屋に入ると、小さな小さな骨となって目の前に現れました。掌に入る骨壺に収まる程の骨の小ささです。
2人目は女の子でした。きっとやんちゃな娘だったと思います。生きていたらお兄ちゃんを守る強い子だったと思います。

病院にいる時から、目の前に娘の体はありますが、何となく、ここには居ないような感覚でいました。もう、すでにどこかに行ってしまっているような・・・。お腹の中であんなに動き回って元気な子だったので、もう次の命の場所に前進しているような気がしていたのです。だとしたら、私もちょっと前向きになれそうな気がしました。

「運命とか立命とか宿命とか⑨」に続きます。


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