運命とか立命とか宿命とか⑬
息子が人工呼吸器(以下:呼吸器)を装着する生活となって初めて、呼吸器を装着して学校へ通学することがとても困難なものだということを知りました。うちは気管切開手術をしてから入退院がほとんど減り、毎日通学することができていました。しかし、息子と同じクラスの友達はたまにしか登校できなかったり、リモートでしか会えない友達もいました。息子と同級生で呼吸器を常時装着している子がいます。その子は入学式後ほとんど会うことができませんでした。入院している様子もなく、時々学校に来ている様子でしたが、私は、病気でなかなか外出が難しいのかな?と思ってました。
障がい児の通う支援学校とは、(特に息子のいるクラスは重症児(重度の肢体不自由と重度の知的障害とが重複した状態を重症心身障害という。その略称)で医療的ケアを必要とする子供がいるクラス)お友達がどんな病気、障がいを抱えているのかということをお互いよく知りません。学校は個人情報なので決して他言しません。親同士仲良くなると、少しそのような話をしますが、お互い見た目が似ている障がいであっても、違う病気や障がいの度合いが違うので、詳しくは分からないものです。
ある日、呼吸停止して病院に3ヶ月間入院。その間呼吸器を装着し、退院後、家では寝てる間だけ装着して、朝、起床後に自発呼吸を促し呼吸器を外して生活していました。赤ちゃんの頃、脳幹(生命維持に関与する意識・呼吸・循環を調節するなど、極めて重要な場所)の損傷が激しく、呼吸ができなくなると言われていましたが、なぜか自発呼吸が出ている息子。いつか呼吸ができなくなる日が来るかもというのを頭の隅に置いておきながら生活しています。
もともとそれまでの登校実績があったからか?呼吸器を外して登校できるようになったからか?退院して1~2ヵ月は在宅での勉強でしたが、その後私と一緒に登校する期間が設けられ、やがて、1人で登校できるようになりました。この期間中、息子の登校に向けて学校の先生方が何度も会議をしてくださり、もし呼吸停止した場合に備えてのマニュアルを主治医と何度も連絡をとりあって作成してくださったり、教育委員会と話しを進めて下さったり、と担任の先生をはじめ多くの先生方、養護教諭、校長先生などなどたくさんの方々のご尽力を頂き、息子の登校が実現したのです。
息子の通う学校では常時呼吸器を装着している子と違い、体調を崩すと呼吸器をつけ、そして元気になれば外すというような児童は今までいなかったらしく、初めての仕組みづくりだったようです。にもかかわらず、連携して急いでその仕組みを構築してくださいました。本当に感謝しきれません。
この一連の動きを見てきて、呼吸器を装着している児童が学校に通うということの難しさを身に染みて感じ、初めて息子の友達(そしてその家族)が通学のために大変苦労していることを知ることができました。
「運命とか立命とか宿命とか⑭」に続きます。