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権利を主張する前に義務を果たす

大人になって学びました。大人って何歳からでしょうかね。
それまでは安定に「どうして」「なぜ」と義務を果たす前に権利を主張するうえに、納得させろーというワガママな子でした。

わたしは意識して意識してようやく実行出来るので、スタンダートにこの思考を持ってる人を尊敬します。

自分に無いものをスタンダートにできる人って尊敬しますよね。

友人の事をわたしはとても尊敬しています。
歳をとるにつれて、わたしもみんなみたいになれたらなあってずっと思っています。
現実派の思考が多いので、余計に思います。

会社内でよく話すENFJと話した時に、尊敬できる人のもとで働きたいと言っていました。

尊敬出来るとはどの点なのか、尊敬できる人集合体なのか、囲まれたいのか、その人のもとで働く事で気持ちが満たされるのか、向上心が出てくるのか……

わたしのめんどくさい所が出てきました。

わたしは人の尊敬できる所を細々と見つけていきます。
現実的なタイプを尊敬する傾向にあります。

そしてその人のもとで働くのも大事だと思いますが、働くだけで終わらずその人のような機能、スキルなどを身につける事を重要視します。

尊敬する人のもとで働いてるという充実感はあまり重要視しません。そんな現実よりも、それによって自分はどう変われるかが重要です。

だって自分が周りから尊敬する人になる方が人としての魅力があがるじゃないですか。

また、尊敬できる人という理想を探しているのがわたしにはない視点だと思いました。

あまりに他力本願すぎませんか?

ENFJからしたら、世間の人は我が強い人が多くストレスかもしれません。ENTPなんて、まさにその対象です。
でも、自分がストレスに強くなる方が手っ取り早くないですか?人間的にも強くなります。
我が強くて自分の事ばかり考える人という見方を変えて、相手よりも自分を大切にする面を視点にしたらいいじゃん?などとENTPは思うのです。

違いました。

「そうだよね、尊敬できる人って大事だよね」

これでした、この一言で良かったのでした。
また気付いてたはずの事実を放り投げてしまいました。

尊敬できる人と働いてる、ふぉー!!!!って現実に浸れないのが我が愛しのN機能です。

わたしはENFJの子の「他人に判断基準がある」事の理屈は理解出来ませんが「他人の事を第一に思いやれる」という点では尊敬します。

それが本当に他人の為になっているのかとか、そういう小難しい事を考えずに行動してみたいものです。

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